映画のエンドロール観る派?観ない派?

日露戦争で奉天会戦がありましたよね?そこでの会戦の最中、一時休戦して日露で協力して死体などの回収を行ったというエピソードを聞いた事があるのですが…本当でしょうか?
もし本当なら、何か名称はついていますか?例えば「◎◎休戦」とか。それから、休戦の最中は日露の兵士が出会うと思うのですが、どんな感じだったのですか?やはり、無視したのでしょうか?

A 回答 (3件)

現代のイラク戦でもやってます。

目的は単なる死傷者回収です。ファルージャで米軍が反米派への停戦提案したのは有名です。

日露両軍の兵士は無論遭遇しますが、それ以上に死にかけた兵士の救出は大事ですのであまり相手にしてないようです。
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よくある「戦場掃除」ですね。


死傷者の収容。   機密資料探しが目的です。
その日の戦闘が終わった夕方が多いようです。
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休戦には2通りの事例があり、戦略的な休戦と戦術的休戦があると考えられます。


戦略的休戦の場合、日露戦争ではポーツマス条約の調印により休戦を経て終戦の為の戦後処理へと移行していきますが、戦術的な休戦はその戦域により多々見られたという事です。

奉天の会戦のみならず旅順攻略(203高地)戦闘の最中もクリスマス休戦や正月の休戦等戦域司令官同士の合意によって双方の負傷者を収容したり犠牲者を弔う為の時間を定めて休戦をどちらの陣営からともなく申し入れたと言う事は事実のようです。
大日本帝国側は「武士道」に基く精神から休戦を尊び、同様にロシア側も「騎士道」精神により休戦の趣旨を遵守したと言う事です。

休戦状況の様子として記録に残っている事柄で有名な逸話は、双方の兵士が互いに食料や医薬品更にお酒や食料を相互に融通し合ったり交換したりする事があったようです。

日本側の僧侶が埋葬の為の経を上げる際、ロシア側の犠牲者に対しても弔いを行なったり、聖教国家のロシア側でも神父や司教クラスの人が帝国側の犠牲者を悼み冥福を祈るシーンが見受けられたという事です。

十字架の墓標で眠る帝国軍人もいたでしょうし、日本的な弔いを受けたロシア軍人も対と言う事です。

元々帝国側はこの戦争に関して勝算を見出す事は出来なかったにも関わらず巨大なロシアとの戦闘に勝利できたのはロシア側の国内事情による所が大きく国内に対して求心力を失いつつあった中、強行に戦争へと舵を切った政府に対するロシア国民の反応が極めて冷酷に作用していたと言う事です。(クーデーターや反乱が懸念されていました。)
また、ロシアは世界最強、最大規模と言われたバルチック艦隊を失い、帝国側も勝利を得ると言う為の犠牲にしては余りにも大きすぎる犠牲者を出し、既に状況が戦争を継続する意味も力も無くしていたと言うのが本音の所なのでしょう。

帝国とロシアの戦力は…帝国1に対してロシア10とも15とも言われていました。

参考文献を探すと結構出てきますが、その殆どは凄惨な戦争を風化させない為記録したものなのだそうですが、結局この戦いにある程度の勝利をもたらした軍部が国家の中で台頭、暴走しやがて休戦の為尽力したアメリカに牙を向く結果に繋がっていく事になります。

余談が多くなりましてすいません。
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