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公明党支持者は創価学会の会員が多いと聞きました。
宗教が政界に進出するのはどうか、と思うのですが・・・。
政党の最終目的は政権を取ることを目指していますが、もし公明党=創価学会が日本の中心になったら中東戦争のように宗教絡みのややこしい争いに発展してしまうことも考えられると思うのですが。
創価学会の会員の中には「創価学会が一番正しく、他は邪教だ」とか、神社や寺には「魔」が住むとか言って決して鳥居や門をくぐらない、徹底した信仰をしている人がいますよね?強い信念は認めますが柔軟性を欠いてそれらがエスカレートしていったらイスラム過激派のようになってしまい怖いと思うのです。

それから、なぜ創価学会は学会の会館に爆弾を仕掛けられたり、ヨーロッパではカルト指定されたり、一部の人は「とんでもない悪の団体だ」と言っているのですか?
日本最大の宗教団体で会員数(信者数)も日本一なのに、明らかに他の宗教団体より批判が多いですよね?そこまでされる何かが過去にあったのですか?

A 回答 (7件)

> それにしても NO.3 の学会員の方からの二度目のご回答(反論)がないのが残念です。



同感ですが、彼らの言葉は、論理が無いから反論は出来ないと思います。

だって「社会が悪いから自分たちが非難される。非難される故に自分たちは正しい」っていう論法で、おまけに「社会が悪い」根拠は「今が末法の世だから」ですヨ。

こんな屁理屈以下の妄想を、自信を持って「折伏」と言って喜び、自らの反社会的な行為に対する非難は、宗教的受難と曲解し正当化して憚らない連中です。
彼らと交わす言葉など無いんじゃないでしょうか?
少なくとも一般の人には益するところは無いです。
彼らには、会話では無く、それこそ「折伏」の姿勢で望むべきかと思いますヨ。

彼らが望んでるのは「現世利益」という欲得であり、それを実現する野望が政界進出です。
これこそが日蓮上人が憂いた末法そのものでは?と思います。

本来の宗教があるべき姿は「求道」であり、欲得や野望とは程遠いものです。
求道の体現者である日蓮上人やガンジーの様に、優れた宗教家・思想家であれば、政治に携わることで公益性があると思いますが、自己中心的で排他的な求道は、求道とは言いません。「私益」と言います。
犬作だかと言う人物を神格化しているあたりは、オームや偉大なる将軍様の国と似たものを感じますし・・・。

日蓮正宗が非難する通り、宗教的には「邪教」の部類に含めて良いと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。そろそろ締め切りたいと思います。
このサイトは同じ人にポイントふたつ渡せないんですね(笑)
色々ありがとうございました。本当に、ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/08 14:27

No.2 & 5です。



学会には謎っていう程の謎は無いですヨ。
ですから、質問者様が感じる疑問や違和感は、それがそのまま学会の「矛盾」や「宗教としての未熟さ」とお考え下されば良いかと思います。

仏教でもキリスト教でもガンジーでも、広く社会に受け入れられる宗教や思想などは、とても判りやすいでしょ?
判りやすい理由は、普遍性があると言うことです。
普遍性とは多面的に見ても「矛盾や間違いが無いこと」であり、矛盾を無くすには「受容力があること(≒許容値が広いこと)」です。

ですから、判りにくい時点で「一般性が無い」とか「排他性がある」と言うことです。

キリスト教には「汝の敵を愛せ」と言う言葉がありますが、この言葉一つで敵は居なくなるし、全ての宗教等も否定しないという概念が生じます。
またガンジーも「不服従」のみであれば対立を生じますが、「非暴力」の精神と併用されることで、他の思想などとも協調・共生が可能になります。
仏教でも、本来は「折伏」のみでは無く、対語で「折伏」の上位概念として「摂受(しょうじゅ)」が有ります。
「折伏」は相手に言い勝つことで、「摂受」は相手のありのままをまず受け入れることですが、仏教は、受け入れることを上位に据えています。

これらを見ても、優れた宗教や思想は、基本的には「受け入れる」と言う概念の方が、必要不可欠な本質なのでしょう。
その道を踏み外したのが、イスラム原理主義の過激派や、オーム真理教などです。

とは言え、日蓮上人の様な偉大な宗教家であれば、排他性(折伏)を用いて教化することも可能でしょう。
しかし正統を自負する宗教家であれば、自らの正当性を主張するために、(たとえばガンジーなどの)異教徒の言葉を借りる様な破廉恥なマネは絶対にしませんよ。
むしろこの様なことは、日蓮上人が最も忌み嫌う行為です。

自らを「真の宗教」などと称す宗教は、排他的であるだけで無く権威主義的と感じますが、道祖である日蓮上人はまだしも、ガンジーなどの偉人の名まで持ち出す時点で、権威主義の表れと言って良いかと思います。
ノーベル平和賞を自体したガンジーは、権威主義から最も遠い方です。
権威主義に悪用されることはなど、ガンジーも嘆いておられるのではないでしょうか?

宗教が政治的関心を抱くことは否定しませんが、それは動機によりますね。
学会が排他的な宗教であり、その宗教団体が権威主義的な動機(野心)で政治的関心を持って出来た政党が公明党だと思っています。
従い質問者様の危惧は至当と考えます。
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この回答へのお礼

お忙しいのに何度もありがとうございました。
それにしても NO.3 の学会員の方からの二度目のご回答(反論)がないのが残念です。

お礼日時:2009/11/05 11:25

No.2です。

丁重なお礼有り難うございました。
私も質問者様の常識的な立ち位置には感心致します。

学会は、自己の正当性を主張すればするほど、正当性を失っているという点が、全く判っていない団体の様です。
日蓮上人はお嘆きのことでしょう・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
やはり、もっと色々聞きたいですね。なぞが深まるばかりで・・・。

お礼日時:2009/11/04 12:16

公明党は創価学会の一部門ですから



>公明党支持者は創価学会の会員が多い

というのは間違いで、
単語の順序が逆転しています。

創価学会の全員が公明党というわけではないんです。
公明党の全員が創価学会なんです。
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この回答へのお礼

そうだったんですか・・・。
でもマニュフェストとかを見る限り良いことも書いてあるので無党派層の人も支持してるのかと思いました。

お礼日時:2009/11/04 12:18

創価学会に所属する者です。



今は連立政権に加わっている某政党の女代議士が、かつて選挙運動中にこんなことを喚いていました。「(創価学会は)政治に口出しせんと、山にこもって、おとなしく修行でもしておけ!」。

これが、現代人が大なり小なり抱く、宗教のあるべき形のようです。ですが、インドの独立指導者・ガンジーの言葉に「宗教は政治とは何ら関係がないと言明する者は、宗教の何であるかを知らない者である」とあるように、「宗教は政治に関わるな!」というような見解を示す者は結局、宗教音痴であるというほかはありません。

真の宗教ならば、社会の諸事象に積極的に加わるべきなのです。宗教とは、人々を幸福にするためにあるはずですよね。「社会が、他の人がどうなろうが、知ったことではない。修行して自分だけ悟りを得られれば、それでいいんだ」となってしまうのならば、宗教者として責任放棄したとはいえませんか?

創価学会は、日蓮大聖人がお示しになった「立正安国」の精神に基づき、社会の諸事象の一つである政治の世界において、仏法の慈悲の精神を実現するべく、政党を結成して、政治に関わるようになったのです。やはり政治が、社会を動かす根本であり、避けては通れないからです。公明党が目指すものは、反学会勢力が既定事実であるかの如く喧伝するような、「創価学会と池田大作だけの利益を図る政党」などでは、断じてありません。途方もない偏見です。すべての国民の福祉のためです。それが証拠に、公明党が与党時代に、上記のような偏向した政策など推し進めたことが、ただの一度でもあったでしょうか。

神社や寺の教義は、学会としては断じて受け入れられるものではありません。その教えでは、人々を幸福にすることはできないからです。こうはっきり言わねば、人々を納得させることはできません。反発覚悟で断言する。これが「折伏」です。しかし、「鳥居や門をくぐってはならない」などと学会は指導してはいませんよ。信仰行為をしない限り、単なる見物で寺や神社に行くことまで、禁じてはいないのです。池田名誉会長は、神社の敷地で商売をすることを悩む学会員に、「信仰と商売は別だ」と示すため、わざわざ鳥居をくぐったことさえあるのです。詳細は省きますが、仏法には「随方毘尼(ずいほうびに)」という、仏法の教えの柔軟性を示す法理もあります。「学会には柔軟性がない」。これも偏見です。

創価学会だけが、真の生きた宗教であるゆえ、様々な難や魔が生じるのです。法華経には法師本などで、「末法に法華経を広める者には、仏在世の時よりも、よりいっそう悪口雑言され、憎まれるなど、多くの難が生じる」と説かれています。創価学会が流布するのは、法華経の真髄「南無妙法蓮華経」です。末法に法華経の真髄を広めれば、難・魔が生じるのは必然なのです。何も悪いことなどしてもいないのに、嫉妬に狂った攻撃を受ける。これこそ、創価学会が真の法華経の行者であることの証明となっているのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
あなたの学会に対する熱意、十分伝わりました。
しかし、しかしですよ。やはりあなたもおっしゃるように「創価学会だけが、真の生きた宗教である・・・」との発言が部外者から客観的にみると柔軟性を欠いているように見えてしまうし、それらがエスカレートしていったらイスラム過激派のようになってしまうようで怖い・・・と思うのです。
ごめんなさい。学会の会員でないから「わからん奴はわからんで良い」と思われるかも知れませんが、純粋に客観的な視点だとやはり怖いです。なにかご意見(反論)がございましたら、もう一度ご回答お願いします。

お礼日時:2009/11/01 17:17

人を救うべき宗教団体ですが、それが現実の治世である政治に関心を抱くことは判ります。


しかし、それ自体が宗教性を損なうことも事実ですね。
宗教色が濃い政治的な団体は、排他的行動、即ち戦闘や戦争を行っている例が極めて多いことは歴史的事実であり、戦闘や戦争は、本来、人を救うべき宗教が、最も忌み嫌うべきものですからね。

宗教団体としての創価学会の批判は、日蓮正宗が専門です。
参考URLを貼っておきますね。

・日蓮正宗に破門された時点で、創価学会は宗教的・仏教的な道統は失い、正宗に「新興邪教集団」と位置付けられている点。
・日蓮正宗の方も、宗教団体でありながら露骨に攻撃性を示している点
など、なかなか面白いです。
もちろん、学会の悪事(出版妨害活動など)も散見出来ます。

その他については、「被害者の会」もある様です。こちらも貼っておきます。

何にせよ、質問者様の危惧は至当。憂うべきことだと思いますヨ。

私の見聞する範囲では、国内外で、偽りのサークル活動などで人を集め、最終的には学会に入信させた上、多額な献金を強いる様な活動をしていますよ。
これはオー○など、カルト宗教が良くやる典型的な手口。

偽りの看板を掲げねば信者を獲得出来ない時点で、少なくともその宗教が正義では無い点、卑怯と疑われる点は容易に理解出来ます。
日本は宗教問題には億劫というか腰が引けてますが、欧米などは、この様な卑怯なやり方には寛大では無く、危険・人権問題として、カルト(セクト)指定などをやる様です。
欧州を中心に、フランス・ドイツ・アメリカなど10カ国弱で指定されてると思います。

参考URL:http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/link/so …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
参考URLもどうやって見つけたのか・・・大変参考になりました。
良く色々ご存知ですね。分かりやすい回答ですので、もっとあなたに聞きたいこととかありますが、またの機会にも宜しくお願いします。

お礼日時:2009/10/31 20:38

>>宗教が政界に進出するのはどうか、と思うのですが・・・。



8月の衆議院選挙で、幸福実現党が「宗教政党」として立候補者を全選挙区に立てたとき、いろいろと話題になりましたけど、問題はありません。世界的にみても宗教政党は多いです。
また宗教を持つ人も被選挙権はありますからね。それを否定することはできません。

ちなみに「宗教を信仰していない人は価値基準がないので信用できない、獣であって人間ではない」という判断をする国も世界的にみるともあるようです。

>>政党の最終目的は政権を取ることを目指していますが、もし公明党=創価学会が日本の中心になったら中東戦争のように宗教絡みのややこしい争いに発展してしまうことも考えられると思うのですが。

もちろん、そういうこともあるでしょうが、無宗教という人も「神は居ない」という他の宗教と同様に科学的に証明できない主張をする「無神論」という宗教を信奉しているわけですよ。
また、「私たちは、無宗教。そんな争いに無縁だ」といっていても、いずれは、その勢力争いから逃げることはできないでしょう。
日本が戦後、戦争に巻き込まれないのは、憲法九条のおかげではなく、「日米安保(日米軍事同盟)」による、アメリカの武力、核の傘のおかげですからね。

>>強い信念は認めますが柔軟性を欠いてそれらがエスカレートしていったらイスラム過激派のようになってしまい怖いと思うのです。

なんでも、柔軟性を欠いてそれらがエスカレートすれば、問題になります。イスラム過激派は、「聖戦」をご都合主義で拡大解釈して、日本の「神風特攻隊」を手本にテロを続けていますね。まあ、イスラム教は教祖のころから戦争(人殺し)をやっていますので、戦い好きの傾向はあります。

>>日本最大の宗教団体で会員数(信者数)も日本一なのに、明らかに他の宗教団体より批判が多いですよね?そこまでされる何かが過去にあったのですか?

2chとか、ここでも書かれたことがあるように、過去、さまざまな暴力事件を起こしています。
新聞ネタになるような重大事件(放火・傷害事件等)は、裏の世界の人がやったことでしょうが、見る人がみれば、依頼者はだれかがわかりますからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2009/10/31 09:05

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