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今日は、ベルリンの壁崩壊20周年の日です。
僕は、ベルリンの壁崩壊当時は、まだ1歳で全く記憶はありません。
ですから、壁崩壊をリアルタイムに見られた方は、どう感じたか教えていただければ幸いです。

A 回答 (7件)

ニュース映像でしたが、東ベルリンから西ベルリンに入ってきた母子の子供の方が、市場の野菜を見て「お母さん、トマトだよ。

何で冬なのにトマトがあるの?」と、心底不思議そうな顔で訊ねているのが印象的でしたね。共産主義の社会には、「付加価値」の概念が欠如しているのだな、と言う事を改めて実感した瞬間でした。
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ちょうどその日は西ドイツに居ました。


10日程前からの出張も終わり、空港に行く途中に泊まったホテルで
夜中のニュースと翌朝の新聞記事を見ました。なんか表現しようもない
静かな興奮にフランクフルト近郊の街は覆われていました。
何かが起こる予感は有り、ドイツ人の同僚達は時間が有れば東ドイツの
話しでした。普段ならドイツ語流暢な日本人として話しの中に入って
居るのですが、何かこの話題は彼らの問題と感じて距離を置きました。
そんな真剣さと近寄りがたい空気が漂っていました。

翌年は統一直前の西ドイツを訪れました。
西ドイツへの入国はかなり自由になっていましたから、街やアウトバーン
で東ドイツからのトラバントを見つけると歓迎のクラクションを鳴らして
いました。何か期待が膨らむ明るい春の様な雰囲気でした。

翌々年は統一後のドイツを訪れました。
ドイツ人の同僚は統一後3年程で格差解消がなると言う人も居ました。
慎重な人で数年でと、旧東ドイツ支援の「団結税」を払っていました。
私が、見通しが甘い、十年以上掛かると言うと誰もが異議を唱えました。
ドイツ人のやる気と自信満々の時期でした。
この間にベルリンを訪問しました。まだ残った壁、博物館や美術館は
旧東ドイツ料金(1~2マルク、100円位)、何をしているか判らない
ような職員が多数ブラブラしていました。
泊まった安宿で、新しくオーナーになった西ドイツ出身の女性が
東ドイツ人の従業員は働き方と効率というものを知らないと大声で
怒鳴るようにまくし立てる様に異邦人の私に話しかけて来たのには
驚きました。

あれから20年、未だに大きな格差が残っていることは私の予想をも
大きく越えています。ただ大きな流れの転換点にいるという当時の
ドイツ人達の議論は正しかったと懐かしく想い出します。
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私はちょうど30でした。



生きているうちにあれが壊されるとは思っていなかったので、心底びっくりしました。

その年は、結構その話題でうかれたような記憶があります。おおむね、これで世界も少し良い方向に進むような感じがみんなしていたはずです。

結果は、アメリカの我が儘が天井しらずになって、結局、底なしの世界恐慌になりそうですが^^;
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とうとうその日が来たか・・・


という感じでしたね。共産主義というのは美しいだけで実際にはだめだなあとつくづく思いました。
あの頃東ドイツは共産圏の優等生でした。トラバントという乗用車があり、東ドイツではすごく人気があり、その車を買おうと思ったら数ヶ月待っても買えないくらい需要があったのです。それが、壁がなくなったら誰一人として買わなくなりました。共産主義のダメ振りの象徴となりました。
更に東ドイツの人々は西ドイツから来るバナナをむさぼりました。バナナをほとんど食べたことがなかったのです。そういう現実を見て、よくもまあキムジョンイルは共産主義を維持して哀れな国民は耐えているものだなあとしみじみ思いましたよ。北朝鮮人民って羊みたいにおとなしいのかなと思ったらサッカーの国際試合で審判のジャッジに抗議して暴れていました。そんなガッツがあるならキムジョンイルを打倒しろ!
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 ソ連のゴルバチョフ書記長がペレストロイカを進めてきたあたり(1985年以降)から、東西の緊張が緩んできている感触はありました。


 前の方も書かれていますが、89年はベルリンの壁崩壊に至る前に、ポーランドの民主化があって、ハンガリー/オーストリアの国境線の事実上の開放があって、それを受けて東ドイツでは民主化を求める大規模なデモが連続して…と、すでに東欧全体がガタガタだった印象があります。壁は壊れるべくして壊れたというか、そこまでの流れがあってこその壁崩壊だったというか。

 当時は壁が壊れたことよりも、そこから東西ドイツ統一まで僅か11ヶ月だったことに驚きましたね。
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ベルリンの壁崩壊は、確かに象徴的でしたけれど、実際にはその前日くらいのニュースの方が印象的でした。

特派員が「今、東ドイツから国境を越えてどんどん西ドイツに人々が流れ込んでいます」と実況中継をしました。その少し前から、ハンガリー経由で自由に往来ができるようになってきた、というニュースは流れていましたが、まさか東が突然国境を開放するとは思ってもいませんでしたから。

確かに、親子連れなどの家族が東西の国境ゲートを通って普通に西に来る、それを拍手で迎える西ドイツ国民、という驚くべき映像が突然ニュースで映され、「いったい何が起こったんだ」と思いました。壁が壊されたのはその後ですから、象徴的な意味では大事件ですが「壁が壊されたので、行き来ができるようになった」というのではありませんし、文字通り「壁を越えて」来たわけでもありません。

あの破壊行為自体は、どちらかというと熱に浮かされた東西両国民のお祭りで、気持ちは分かるけれど単なる若者の馬鹿騒ぎにしか思えませんでした。
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その頃20代前半でした。


北朝鮮の人がいつでも電車乗って韓国いけるようになった
みたいな事なんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答どうもありがとうございました。

>北朝鮮の人がいつでも電車乗って韓国いけるようになった
 みたいな事なんじゃないでしょうか。
そういう日が来るといいですね。かなり時間かかりそうですが。

お礼日時:2009/11/09 22:39

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