No.4ベストアンサー
- 回答日時:
なかなか勉強のやりがいのあるジャンルを選びましたね。
はっきりいって「デタント」そのものに魅力を感じて研究する人は、現在ではかなりの少数派ではないでしょうか。でもデタント当時の東西冷戦構造を主体とした国際情勢は、各国の思惑が何重にも複雑に重なっていて、それはそれで面白いですが大変ですよ(^_^;)ということで「デタント」についてですが、「デタント」そのものが当時誰(あるいはどの国家)の発案によって成立されたかは断定は出来ないと思います。ただソビエトからではないということだけは確かだといえます。
「デタント」の生まれた時代は東西冷戦構造がある意味確立された時期であって、奇形ではありますがそれなりの平和を享受していたといえます。しかしそれは同時に国際情勢における強い閉塞感を各国の首脳たちに与えていたことも事実です。
そこで世界は政治的・イデオロギー・経済的立場から、この膠着した国際情勢に何とかして流動性を与えようともがいていました。その中でまずフランスのドゴールがソ連邦との関係を修復しようと画策し、東ヨーロッパとの「デタント、協商、協力」政策を提唱しています。余談ですが、これって現在の台湾・中国が行っている「三通」に酷似していると感じるのは私だけでしょうか(^_^;)
さて当時の冷戦の西側の主人公であるアメリカ(フランスは、というかドゴールはこれが気に入らなかったようですね)ですが、泥沼化していたベトナム戦争に対する国民の不満を逸らそうと、より関心事の大きな対ソ対決状態を緩和させるためと称して、「平和の国際的構造」なるものをぶち上げました。
これらの概念はそれなりに多くの支持を集めたのですが、本質的には単なる理念でしかない「デタント」に、実効性を認めようとしない反対論も同じように噴出しています。実際「デタント」がどのような実績を上げたかと聞かれれば、だれもがすぐには思い浮かばないのが実情だと思います。
「デタント」自体に魅力を感じなかった、あるいは本質を見抜いていたともいえる人物の代表格がヘンリー・キッシンジャーです。彼は当時軍備拡張に邁進していたソビエト(ソ連邦)に関して、多大の評価と恐怖を感じるのは危険だという意見を持っていました。
キッシンジャーは、ソ連は「デタント」を西側からの平和共存のアプローチとして捉えて、これをアメリカ・西側諸国の弱さの現われだとしている、との警告を出しています。さらに当時のキッシンジャーの賛同者によれば、このままこのようなイデオロギー的対決に移行するのなら、アメリカやNATO諸国はソ連邦に不必要な優位性を与え、アメリカそのもののヨーロッパにおけるヘゲモニーを奪い、将来的にはヨーロッパからの撤退を強いられるとさえの懸念を示しています。
つまり「デタント」はアメリカのコンサバから見れば、危険極まりない思想にしか見えなかったということです。これに関しては当時のニクソンも多少は理解をしていたようで、「デタント」は当時でさえ軍事的・経済的に行き詰まっていたソ連の目的にかなっている比率と、アメリカのそれと比べればはるかにソ連に偏っていたといえます。
「デタント」は軍縮会議とは一線を画すものであって、実体のない理念あるいはイデオロギーによって世界の秩序や平和な時代を創造しようとした、ある意味壮大な人類の実験であったのではないかと考えます。
そういう意味では「デタント」を単なる国際政治上のエポックではなく、政治家や思想家、あるいは政治学者など、当時の冷戦を闘ってきた様々な人間模様から観察するのも面白いかもしれません。中でも一時はアメリカを差し置いて、少なくともヨーロッパの政治的覇権(ちょっと大袈裟なら、リーダーシップと言ってもいいのですが)を掌握しようと夢見ていたフランスのドゴールは興味深く、これとキッシンジャーをうまく対比させれば意外な面白さが出てくるかもしれませんよ。
No.3
- 回答日時:
これはアメリカで発想されたが、ソ連側も同様な考えにたどり着いていたと思われます
No.2
- 回答日時:
デタントは、経済的要求によってもたらされました。
社会主義国の経済圏と自由主義国の経済圏では、数倍以上の差があるにもかかわらず、核兵器などの軍事負担は同じだけ持たなければならず、規模の小さな社会主義国側は、軍事費の多さに経済が持たなくなってきたのです。
その結果、平和協調路線で軍事費を減らそうという方向になり、デタントの時期が訪れました。
経済を基盤にして考えてみると、ブレジネフ時代に行われた数々の条約集結(SALTなど)の背景が見えてくるように思います。
核兵器開発よりも第三世界の紛争介入へ方向転換したのも、やはり軍事費が理由なのでしょうか?
興味深いので調べてみようと思います。
ご回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
デタントとは、戦争直前の二国間の対立関係が緊張緩和することを言うのはご存じと思いますが、共産主義とは関係ない外交用語です。
キューバ危機は、ケネディの時代でソビエトがキューバにミサイル基地を造ることで第3次大戦も辞さずというアメリカの意思が産んだ緊張のことで、その後、フルシチョフが取りやめを宣言してデタントとなった。
東欧がほぼ東西各陣営に固定し、アジア、南米に陣取り場を移していく過程の、東西冷戦の象徴な出来事です。
アメリカのとってキューバのミサイルは、のど元に匕首を突きつけられた状態になるのでケネディの発言となり欧州を含めた西側陣営の結束に繋がったことから、ソビエトの焦りからくる拙策といえます。
ご回答ありがとうございます。
どのサイトか忘れてしまったのですが、
『フルシチョフの平和共存の政策は、レーニンの"peaceful cohabitation"を元にしている』
というような一文があったので、デタントもある程度は共産主義の思想に基づいているのかな?と疑問に思っていました。
ですがやはり、相互の利益の一致(この場合は戦争回避)なしではデタントは成立しなかったのですね。
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