プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

フルシチョフのスターリン批判に呼応して東欧で展開された反ソビエト暴動として、ハンガリー動乱とポーランドのポズナニ暴動があげられますが、このうちハンガリー動乱はソ連の軍事介入を受けたのに対し、ポズナニ暴動は介入を免れています。
このほぼ同時期に起きた2つの暴動へのソ連の対応に相違が生じたは何故ですか?
特に、なぜポズナニ動乱は介入を受けなかったのですか?

ポーランドは東ドイツとソ連本国との中間にあるので、地理的にはハンガリー以上の要衝に見えます。
ソ連はどんな口実をつけてでも介入しそうに思えるのですが…。
(何よりポーランドの「いじめられっ子」的イメージに反する。)

A 回答 (2件)

ハンガリーの場合は反ソ運動が全土に飛び火して大きくなり、ハンガリー政府が事態をコントロールできなくなりました。


そのため10月24日にはソ連にソ連軍の介入を要請しています。

ポーランドのポズナニ事件はポーランドの治安部隊が短期間に鎮圧し、全土へ暴動が広がる事がありませんでした。
ただし、ポーランド国民にポズナニで事件を起こした労働者達に同調する空気が生まれたばかりか、支配者の機関であるポーランド統一労働者党(共産党)内部でも脱ソ連・独立共産主義という考えを持つ者達の勢力が大きくなり、その代表者であるゴムウカが台頭してきます。
10月17日のポーランド統一労働者党中央委員会総会でゴムウカが第一書記(党のトップ)に選出され政権を担う事が決定的になります。
この17日の朝、ソ連から急遽、飛行機でフルシチョフなどのソ連政府代表団がワルシャワを訪問し、ポーランド首脳部と会談します。
この時、ソ連軍戦車部隊が既にワルシャワへ向け進撃を開始していました。
ソ連の代表団とポーランド首脳部、(総会前で第一書記就任前のゴムウカ)らの会談で、ゴムウカは共産圏から離脱せず、ソ連に敵対もせず、ワルシャワ条約機構から脱退する事もしないと約束したそうです。
それを聞いてソ連の代表団は帰国し、ソ連軍戦車部隊は進撃を停止し引き上げたそうです。
もし、ゴムウカが強硬な態度に出て反ソ連の立場を維持したら、もしかしたらポーランド動乱が起こっていたかもしれません。

ポーランドのポズナニ事件は一地域の小さな事件ですぐに鎮圧された事と、その後の展開もポーランドが激しい反ソ運動に突入する事なく、ポーランド政府が全土を支配下に置き、ソ連寄りの立場をとったため、ハンガリーとは違いソ連軍の介入を受ける事がなかったのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。
「世界史B」の教科書や参考書では単純に並列されているだけでしたが、規模や性質はかなり違うんですね。
上の質問文でも「動乱」と「暴動」がごっちゃになってます(恥ずかしい…
介入の直前でソ連がゴムウカの懐柔に成功し、暴動が鎮圧されたことで「反ソ連」の主張が撤回され、結局「反スターリン」的な運動に収まったという解釈もできるでしょうか。

お礼日時:2009/11/22 19:34

結局、ポーランドというのは、国際関係の微妙なパワーバランスの中をたくみに潜り抜けることにたけているのではないでしょうか。



No1の方の書かれたとおり、ポズナン暴動の際は、ゴムウカがうまく事態を収拾しました。ウィキを見ても確認していただけますが、その後も、農業の集団化を阻止するなど、独自路線を進めることに成功しているのです。

時代は違いますが、1980年代もそうでした。国内が騒然として、ソ連の介入が現実のものとなろうというときに、ヤルゼルスキが強引に事態を収拾しました。きれいに収拾したわけではありませんが、でも反体制勢力を根こそぎにしたわけではありませんし、その後反体制勢力と連携して、東側ブロックでははじめて自由選挙を実施しました。

ハンガリー動乱や、その10年ほど後のプラハの春は、ナジもドゥプチェクも国内が盛り上がっているのをとめることができませんでした。
どちらかといえば、ナジ政権もやドゥプチェク政権も一緒に盛り上がっていたような感じがあります。
そこで、ソ連をなめたらあかん、と考える指導者が現れなかったということがポーランドとの違いではないでしょうか。

ポーランドはその歴史から、大国にたてついてもろくなことにはならない、というセンスを他より少し多く持っているのかもしれません。
その昔、ポーランドといえば、今のウクライナやベラルーシの地域も含むヨーロッパの大国でした。
それがスウェーデン、ロシア、プロイセン、オーストリアなどに侵食されれ、最後にはなくなってしまったという歴史があります。そんな歴史から、大国とうまく折り合っていく微妙な感覚があるのではないですかね?

もちろん、ポーランド人が政治的におとなしいという意味ではないです。ゴムウカは結局、民衆暴動がきっかけで引きずり下ろされました。次の、ギエレクも同じ。
ワレサ議長の活躍も、日本でも良く知られていますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ポーランドの歴史的経緯に関する解説ありがとうございます。
ポズナニ暴動に関してだけでも、介入を阻止しつつも、暴動の結果首班に選出された人物がそのままトップに居座るというのは、実に巧みと思いますが、その後も政治的手腕を発揮し続けている国なんですね。
日本も海を挟んで米中露の大国と隣接していますし、学ぶことがたくさんありそう…。

お礼日時:2009/11/22 19:41

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!