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なぜ第二次世界大戦時、
ドイツとソ連は敵対してたのに
独ソ不可侵条約を結んだのですか?
意図を教えてください!

その後、スターリングラードの戦い
が行われましたが条約結んでたじゃん!
とつっこんでしまいました。

「条約」と言うのは
建前だからですか??

初心的な質問ですいません><
回答お願いします!!

A 回答 (4件)

第二次世界大戦の時というより、そもそもファシズムと共産主義は、極右と極左ということで、水と油、犬猿の仲です。


それなのに、独ソ不可侵条約が締結されたのですから、世界は本当に驚いたのです。ヒトラーに翻弄された同盟国日本の内閣は、総辞職の事態にまで追い込まれているほどです。

さて、その意図ですが…。
(1)電撃戦をせざるを得なかったドイツにとって二面作戦は不利だった。そこでドイツとしては、独ソ戦突入の前に西欧の主要部分を占領したかった。
(2)ソ連としては、それ以前のミュンヘン会談に出席要請がなかったことから、イギリス・フランスに対して不信感を持っていた。それならドイツと手を組んで、ともにポーランドや北欧を占領した方が得策と考えた。
意図については以上です。

「その後、スターリングラードの戦いが行われましたが条約結んでたじゃん!」ですが、外交は当事者間の利害で変化するのが当然です。
その時点では、お互いに不可侵条約を結ぶのが自国の利益と考えて締結したわけですから、利益に反すると思えば破る(破棄する)のも当然です。
お互いに相手を利用するのも外交手腕の一つです。
建前なんかではありません。

だいたいヒトラーは、「我が闘争」の中でも東欧への領土拡大を主張しているのですから、ドイツのソ連侵攻に無防備だったスターリンは、ただの阿呆ということになるわけです。
ドイツのソ連侵攻という情報は、イギリスによる策謀だなんて言って信じていなかったのですからね。
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元々ファシズムというのの一番の敵は共産主義です。

無学な私から見ると共産主義も社会国家主義も似たようなものに見えるのですが、それはまたの機会に。

そんな不倶戴天の敵同士が不可侵条約を結んだのは、腹黒い「大人の事情」によるものです。
ヒトラーにとって「今そこにある危機」は対英・対仏問題です。当時ドイツを上回る大陸軍を持っていたフランス、世界一の海軍国家イギリスとの問題を解決しなければなりませんでした。そこで「当面の間」ソ連と不可侵条約を結びました。しかしヒトラーは最初から条約を破る気満々でした。というのも、イギリスの首相チャーチルは大変な共産主義嫌いだったのでもしドイツがソ連と戦争をしたらイギリスはドイツと和平が結べると期待していたようです。
一方、スターリン(ソ連)がどう思っていたのか、彼についての正当な資料はほとんど残されていないので真相は歴史の闇ですが、近年の研究でスターリンもドイツに対する先制攻撃を考えていたのではないか、という説が出ています。実は第二次大戦前のスターリンの政治的な国内基盤は決して安定していませんでした。スターリンはソ連を軍事大国にするために重工業に力を入れていましたし、軍隊も強化していましたがまだ時間を必要としていました。
そこでスターリンも相手が信用できない(元々スターリンは誰も信用しませんでしたが)のは重々承知の上で不可侵条約を結んだ可能性もあります。一説には、1942年をメドにスターリンはドイツへの侵攻をたくらんでいたともいわれます。
その証拠として指摘されるのが独ソ開戦時点でのソ連軍の配置です。当時ソ連軍は異様なまでに国境線沿いに大軍を展開しています。もし防衛を考えるならもっと後方に予備を準備するのが「同点でノーアウトランナー一塁ならバント」ぐらいのセオリーです。そのセオリーに反していたのは攻め込むつもりでいたから、というものです。

ちなみに当時の日本は「ヒトラーは反共産主義」と信じていたのでイタリアと共に「防共(反ソ)協定」を結んでいたのですがよりにもよってその相手とヒトラーが不可侵条約を結んでしまったので(ドイツとの戦争がなくなれば極東ソ連軍が満州国に侵攻する可能性が俄然現実的な問題になります。ノモンハン事変などで、近代化されたソ連軍に日本軍は太刀打ちできませんでした)大問題になり、首相は「欧州の政治情勢は複雑怪奇」とのコメントを残して退陣に追い込まれてしまいました。
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「敵の敵は味方」だからです。


ヒトラーの政策の中心は、共産主義打倒とユダヤ人絶滅で、当然ソ連とは仇同士でした。両国はスペイン内戦へ、義勇兵の名目で軍を派遣し、代理戦争を行なっていたほどです。
ところが、両国には共通の敵がいました。英仏です。
ロシア革命以来、共産主義を脅威とみなす英仏は、干渉戦争の後もソ連をなかなか国際連盟に参加させなかったりと、圧力をかけ続けます。
一方、生活圏拡大と称して領土要求を繰り返すドイツに対しても、英仏は宥和的ながら、封じ込めを図ります。
独ソが英仏を共通の敵として協力し、勢力圏を拡大しようとしたのが不可侵条約です。イデオロギーの対立を棚上げすれば、反ユダヤの全体主義独裁国家同士、けっこう体質は似ていました。
ソ連はポーランドをドイツと分割し、バルト三国を占領、フィンランドへ攻め込むなど、一気に勢力を拡大すると共に、石油などの資源をドイツへ送り、英仏との戦争をサポートしました。
フランスがドイツに降伏し、イギリスも屈服寸前になると、ヒトラーは本来の敵との戦争を決意し、不可侵条約を破棄しました。独ソ戦の開始です。
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ヒトラーはポーランドと戦うために後顧の憂いを絶つため、


スターリンは軍備再建のための時間稼ぎのためという双方の思惑の一致の結果、
締結されたものと考えられています。
 この条約では、相互不可侵、第三国との交戦の場合における他の同盟国の中立維持を定めていましたが、
ポーランド、バルト三国の分割を定めた付属秘密議定書が付属していました。
これによってポーランド分割が合意され、両軍がポーランドに侵攻して分割占領し、
ソ連は同年11月30日フィンランドに侵攻しています。

 なお、その2年後にドイツはソ連に侵攻しますが、
これはヒトラーが西方電撃戦の成功でソ連との戦争は勝てると思っていたこと、
またソ連に勝つことこそイギリスとの和平を促進すると期待していたためと言われています。
 一方のスターリンは、この条約を結べば、当分の間はドイツは攻めてこないと考えていたようで、
情報部からドイツ軍が国境に集結しているとの情報が入っても、
スターリンは、独ソ不可侵条約を骨抜きにしようとするイギリスの謀略と考え、本気にしなかったため、
特別の備えをせず、一方的なドイツ軍の奇襲を受けたようです。
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