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1If he had been there, I could have given him your message .

2If I had a little more time, I could finish it.

3You should have joined the trip last week.

4With a little more time, I could finish it.

5If I had followed your advice then, I should not be suffrting
like this now

6It,s time I went home right now.

1can have なんて形はあるんですか??
 willやmayには「~だろう」や「~かもしれない」といった推量のようなニュアンンスの意味があります。
しかし、canには「~できる」、「~してもよい」といった意味しかないですよね。
なのに、助動詞 haveの形は現在から過去に対して、 ~だろうなどの推量のようなニュアンスをもつ助動詞は使えると思えますが、
canは推量のようなニュアンスがないので使うことは難しくないですか??

2canには、未来の可能性について推量する場合はbe able toじゃないんですか???

3この文を仮定法に書き換えよという問題があったんですが、書き換えるということは双方の文が同じ意味になるということですか??

4仮定法と書き換えられるwithは必ず、with(without)~、~の形になっていますか??

5shouldはあるか、ないか可能性50%のときに使われる助動詞ですよね。 仮定法の文では未来の時にしか使わないんじゃいんですか??


6right now.とはすぐにという副詞句ですよね。
もう~する時間だという構文の~の部分は仮定法過去がくるのが一般的ですが、もう~するというのはまだしてないのだから未来じゃないかと思いませんか??
以上 詳しく教えてもらえると幸いです。

A 回答 (6件)

年を越してしまいましたね



>have Vppの部分は別に仮定法に関連しているわけではなく過去の推量をするときに必要な形と考えるべきではないのでしょうか??

原則としてはそうとらえてよい、と思います。というより have pp は形から見て助動詞から見て過去(過ぎ去ったこと)を表すべきものであるはずです。そして推量・推定などは助動詞部分が表すべきもののはずです。

must have pp「したにちがいない」
may have pp「したかもしれない」
cannot have pp「したはずがない」

will have pp
1「してしまっているだろう」…いわゆる未来完了。未来の助動詞 will から見て完了していること。
2「しただろう」… will は現在から見た推量で過去のことを回想。

これらは仮定法ではありません。助動詞が現在形なので話者は素直に推量や推定をし、そこに仮定法の気分はありません。have pp の部分の可能性を0とみるか100に近いと見るか五分五分かは助動詞が持つ意味によるものでそれが「法」に関わっているのではありません。

助動詞を過去にした might have pp, could(not) have pp, would have pp (2) は仮定法であるとされます。明示されるされないに関わらず何らかの条件の下で発せられ、その条件を通すため推量や推定の気持ちがストレートでなくなり、事実に反する仮定の元では過去の事実に反する(特に would have pp)、might や could(not) では推量する「気持ち mood」が弱くなることが起こります。仮定法、直説法などの「法」は mood と言い、助動詞を別名「法動詞 modal verb」と呼びます。

ところが英語では明確に仮定法過去であることを示せるのは I were, he were などくらいしかなく、加えて本来助動詞は mood を表すものであるため、その意味は話者の主観を帯びることや文脈に依存することが強くなり、いくつもの意味の可能性をもつことになります。さらに助動詞は分詞をもたないため「できただろうに」は *would have could(この could は過去分詞) do となるはずなのにできないため could have pp という形をとり「したかもしれない」と同じになります。

could not do「できなかった」→事実に反する仮定の元で「できただろうに」なら「did not do → would have done」にならって *would have could(pp) do のはず。

(ちょっと面倒な話になりますが、帰結節の「だろうに」は本来'そのための'助動詞が表さなくても動詞が「明確に仮定法過去と分かる形」であれば表せるものです。事実ドイツ語では帰結節に助動詞がなくても構いません(今日ではある方が好まれる)。仮に英語がそうなっていれば、
「しただろうに」は「had(仮定法用の形) pp」
「するだろうに」は「一般動詞の仮定法過去用の特別な形」
「できるだろうに」は「could(仮定法用の形) 原形」
「できただろうに」は「had(仮定法用の形) could(pp) 原形」
で表され would すらいらないところですが、had(仮定法用の形)、一般動詞の仮定法過去用の特別な形、could(pp) は存在しません。)

結局、助動詞 have pp が多義であったり、仮定法との関係が分かりづらくなるのは英語の助動詞(法動詞)が不備でありそのためますます主観や文脈への依存性が強くなるためであると考えられます。そしてそれが皮肉にもドイツ語などより mood(気分・法)らしくなっているようです。

なお、should have pp「するべきだったのに」、could have pp「できただろう」など、“完了になるべき位置がおかしい” ものについては

had hoped to do = hoped to have done「しようと思ったができなかった」

を参照。助動詞でなくても同じような構造を取るものがあります。
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この回答へのお礼

やっと納得できました。
長い間、本当に有難う御座います。
また、英語の質問を見ていただけると幸いです。

お礼日時:2010/01/05 18:08

must have pp は仮定法ではありません。

must は現在形です。
should have pp「したはずだ」の should は先の回答で「要求話法」と書いたものに起源があります。一見別物に見えますが「はずだ」という推定のは「(自分的に)そうでなくてはならない・そうある必要がある」という気持ちを表現したもので、「べきだ」と「はずだ」は裏腹です。

She should have arrived at the station.
彼女は駅に着いたはずだ < 状況から見て自分の意見としては駅に着いているという状態でなければならない。だからこう発言する。

これは must のもう一つの意味「ちがいない」にも当てはまることで、もともと must は should より意味が強いので話者の自信度も大きくなります。
ちがいない < 自分の意見としてはそうでなければならない

need は一般動詞としては当然 needed「必要だった」となります。助動詞としての need は奇妙な振る舞いをし

Need he go? / He need not go.(これらは現在の意味)
× He need go there.(肯定文では使えない)
× He needed go. × He needed not go. × Needed he go?
(過去形は使えない、というか過去形はないとされる)

一般動詞としては肯定、過去ともに使えます。He needs to go. He did not need to go. など。did not need to は need not have pp に比べ非難の意味は薄いとされます。

こういう振る舞いをする理由は分かっていませんが、need not have pp は他の 助動詞 have pp 形の表現に合わせたあるいは影響を受けた(つられた)のではないかと想像できます。

この回答への補足

この部分の解釈が引っかかります。(すいません抵抗ばっかして)
助動詞の過去形でこれを仮定法で時制をズラス場合は原形動詞を完了形の形にする。まずこれは納得しました。
ここで僕が引っかかているのはこれと助動詞の過去推量などの時の
助動詞 have Vppの形との関連性です。
確かに、should have Vppはshouldは~すべきという意味で過去に起こらなかったことなので、仮定法によりshouldの時制をズラスよって
should have Vppという表現ができた。
同様に、should~はずだ この表現も要求話法なので時制をズラス。
could~かもしれない、話者はそうは思ってない。よって時制をズラス
could have Vpp「~したかもしれない」
ここまでは仮定法との関連性があるように思えます。
しかし、cannot~はずがない。話者は可能性0だと思っている
よって仮定法。 時制をずらすcould not
となりcannot have Vppの形になりえない。
よって過去の推量を表す助動詞 have Vppと仮定法を関連ずけようとしてもおかしくなる。
なぜならmust have Vppは別に時制がずれてhaveの形になっているわけではないから。
よって助動詞 have Vppのhave Vppの部分は別に仮定法に関連しているわけではなく過去の推量をするときに必要な形と考えるべきではないのでしょうか??

長文失礼

補足日時:2009/12/31 10:24
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>could haveが直接法で書かれていてそれをもし、仮定法の形にしたらどうなるんですか



ここで could have pp が直説法 というのを

He could have lied to her.「彼女に嘘をついたかもしれない」

のような過去の行為への推量であると一旦決めておきましょう。まずこれが条件節に来ることはまずありません。仮定条件というのは単なる仮定であれ事実に反する仮定であれ、とりあえず「~ならば」と決めてしまうものなのでそこに「だろう」とか「かもしれない」のような推量はそぐわないものと英語の感覚ではされています。条件に未来形は使わないというのもこの性質によります。

では条件節ではどうか。

If she had been there, he could have lied to her.
(She was not there, and he could not lie to her.)
彼女がそこにいたのなら彼は嘘をつこうと思えばつけたかもしれない(実際は彼女はいなかったわけで嘘をつかれることはなかった)。

仮定法の帰結では could に推測以上に可能の意味をもたせることが多いようです。これは can が分詞をもたず *would have could lie のようなことができないことによります。どうしても可能の意味を明記したいなら would have been able to lie も文法上可能ですが長たらしいのでまず見られません。しかし may と can は意味が重なることがあるので might have lied と同じ「ついたかもしれない」という推測になることも考えられます。
その結果 he could have lied to her は

・独立していれば「嘘をついたかもしれない(可能性あり)」
・非現実条件の帰結節では「嘘をつこうと思えばつけたのだが」か「嘘をついたかもしれない(同じ かもしれない でも可能性は0)」
・さらに話者が条件節を不要と考え省略した場合も考えうる(可能性0)。

可能性のあるものとないもの、推量と能力が同じ形で表しうることになります。明確に事実に反する仮定があれば可能性0ですが、それがなければ可能性があるかないか、また推量か能力か文脈や状況から判断しないとすぐには分からないことになるのです。

これは表現の限界とも言えるし、そのくらいの幅はあってもよいとも言えます。仮定法は事実をまともに述べない表現なので、話者の主観や文脈に依存するところがあります。たとえば if S were to..., S' would... 形式で
述べられることが絶対ありえないことかありうることかは主語や動詞で決まります。またどの程度あり得るかも主観や文脈から決まります。

学校の問題のように一文だけ出して判断せよということがそもそも無理があり、それが仮定法の誤った極端な理解につながるのです。

ここで初めの「直接法で書かれていてそれをもし、仮定法の形にしたら」に戻りますが、推測であるものを仮定法の非現実話法の帰結の前提条件(ややこしいですね)にもってくること自体が考えにくいのです。
つまり、非現実話法は現実を前提としそれをひっくり返すことに意味があります。初めから「したかもしれない」という不確かなものはそぐわないのです。

ここでネタをばらすと、初めに「直説法と決めておこう」的なことを言いましたが、助動詞の過去形で現在の意味を表すものは実は全て仮定法(の帰結)です。そこには話者の主観や考え、直前に明言されなかった条件のようなものが存在し、その仮定の元では という判断です。そのため相手は発言の真意を完全に把握できない場合がありますが、「可能性100%ではないな」ということだけは伝わります。元来そういうものなので間違いなく伝えたければ仮定法のような遠回しはせず直説法で言ってやればいいのです。

>助動詞 have の形は過去のことに対する現時点での推量や過去の行為に対する非難や後悔

・may have pp
・might have pp
・must have pp
・cannot have pp
・could have pp(したかもしれない)

これらは理にかなった分かりやすい表現です。have pp で過去のこと(完了形=終わったこと・助動詞よりも前のこと)を、助動詞で現在の視点からの推量・推定。

You should have taken the medicin.
その薬を飲んでおくべきだったのに(飲まなかった君が悪い)。
I should have taken your advice.
君の助言を聞くべきだった(今では後悔している)。
You need not have gone there.
そこに行く必要はなかったのに(行ってしまうなんて…)。

これが過去の行為への非難・後悔ですが、変だと思いませんか。
may have pp などと比べてみましょう。
have pp は助動詞よりも前のことを表すはずです。しかし「義務」や「必要」とされることは助動詞と同時かこれからのこと、少なくともそれ以前ではありません。過ぎ去ったことを義務や必要にされても仕方ないからです。「したべきだ(った)」とか「した必要がある/あった」とは言わないでしょう。でも、“そういう形” をしています。
また、非難や後悔は義務や必要が果たされなかったことに向いています。とすればまずは、その部分を過去や完了にし、

*had should 原形/ *shoulded 原形
*had needed 原形/ *needed 原形

とするのが筋です。しかし現実にはできない。

つまり、完了や完了にするべき位置が違っている、言い換えれば完了あるいは過去になるはずのところができないため他のところに肩代わりさせていることになります。
非難・後悔の意味が生じるのは何もこういう形をしているからではなくて、過去のことを「べきだった」とか「必要なかった」と、言っても仕方ないのにわざわざ言うと、聞き手はそこに話者の「感情」を感じるからです。

could have pp が「できただろうに」と「不可能な過去の能力」、つまり could 原形 の裏を表現しうるのはこれと同じで、理論的におかしくても定着した言い方なら 助動詞 have pp 全体が助動詞の過去のような意味をもつことが共有されるようになるのです。(could have pp が過去の推量という理論にかなった意味も持つのは初めに述べた通り)

この程度のことは辞書にも書いていますが、鵜呑みにせず納得したいという意図が見えたので長々と書きました。

この回答への補足

trgovecさん回答ありがとうございます。
要するに、助動詞でやってきた助動詞+have+過去分詞が仮定法だったということですね。
確かに、should have とneed haveは現実ではない話をしているから時制をズラシて完了形になっている。
ですが、should have Vppやmust have Vppは「~したはずだ」、
「~したちがいない」は明らかに、話者から見たら可能性はかなり高い。
よってこれらを仮定法の形になっていると判断するのは厳しくないですか??
後、need haveですが、時制をずらすならneededでもいいはず、
これでも同じ意味ですか??

補足日時:2009/12/29 09:00
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かつて受験生の頃同じようなことにはまった記憶があります。


出来るだけ回答してみます。

ちなみに、canの用法は、辞書にもう一度あたってみてください。
「可能性」の項が記載されています。これで解決するでしょうか。「ありえる」ってな意味です。
(受験の頃これだけ覚えるだけで偏差値2上がると覚えさせられました)

さて、仮定法(過去、過去完了)の本質は、「ありえなかった、若しくはありえない事実を仮定する表現方法」ですので
went(過去形)が使用されると思われます。よくある「私が鳥だったらきみのところに飛んでいけるのに」みたいな例文を思い出してみてください。ちなみに、仮定法~の「~」は文の形を表現しているのみで、意味は、過去形であれば、「現在の事実に反することを仮定」し、過去完了であれば「過去の事実に反することを仮定」するものと理解しました。

うーん日本語との違いを丁寧に覚えるのが英語ですかな。結構つらいけど頑張って。

一応こんなんでどうでしょうか?
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He was not there, and I could not give him your message. が現実であるとすれば、could 自体をずらす(過去完了にする)ことはできないので原形の give をずらして could have given としたことになります。


ここは意味的に推量の「かもしれない」というより可能「できる」ととらえた方が自然です。普通の could であれば「能力があった」という事実を表しますが(1回の行為ができた、という意味でないことに注意)、非現実の条件を提示された仮定法の帰結では「現実にはできないが、仮にそうであればできるのだが」簡単に言えば「できるのに」となります。
仮定法では条件節が示されないこともあるため、「できた」の意味で could を使おうとすると仮定法と思われてしまうことがあります。

I could finish the homework in an hour. を「一時間で宿題を終えられた」のつもりで使っても「私なら一時間で宿題を終えられるのに」のように条件(やるのは私ではないがもし私がやるとすれば、など)の隠れた仮定法と取られる可能性が高くなります。こういうときは could を使わず finished にするとか managed to finish「なんとか終えた」のようにするなどします。これが could が “過去の一つの行為の成功” に使えない理由です。


特に学校英語ではそうです。一定の書き換えパターンのように教えられます。


あります。その「ある」ことや「ない」ことが現実に、普通にありえるなら、現実に反することはなく「~があれば/なければ…である」ということになります。文頭に With/Without をもってくるのを仮定法で習うことが多いのでそう感じてしまうのです。ただ普通は with/without は特に強調するのでなければ文末に来ることが多く、それゆえ文頭にもって来られると、強調されているような、何か特別なことが あれば・なければ でないかと予断させるかもしれません。それでも普通に ある・ない ことであれば直説法が続くことになります。


仮定法と感じないような文でも should はいろいろな意味で多用されます。英語話者も should はもはや shall の過去形というより独立した should という助動詞と感じているのではないかと思わせることもあります。しかし過去形が現在の意味で使われるということはこれらは全て起源的には仮定法だったのです。
「はずだ」というのは「ある条件から判断すれば…でなければならない→はずだ」であり、「べきだ」は*「…することを要求・提案する」です。
(* You should do it at once.「君はすぐにそうするべきだ」は I demand/request that you should do it at once.「君がすぐにそうすることを私は要求/提案する」の主節が省略されたのが元になっていて、本来 should に「べきだ」の意味があったわけではありません。こういう使い方も仮定法の一種で 要求話法 と言います。一般的な仮定と条件の形をしていないので仮定法という名前はふさわしくなく、接続法(どこかに接続する節つまり従属節で使う法)と呼んだ方がいいものです。)

この例文は I did not follow your advice then, and I am suffering like this now. の「裏」と考え、..., I would not be suffering... と同じ意味の英国用法の should ととったほうが自然です。時たま思い出したように英米の用法を混ぜたりするから困ったものです。


It is time S 過去形 という固定表現としてとらえておけばよいです。「普通に考えれば未来」というより「仮定法の常識で考えれば would 原形 となりそうなところ(これも確かに未来の動作ですが)」を過去形にするということです。

この回答への補足

1番以外は納得できます。
助動詞 haveの形は過去のことに対する現時点での推量や過去の行為に対する非難や後悔を表すんですよ。
ですから、couldを時制をずらしてcould haveにしたところで時制をズラシしたことにはなりませんのでその解釈には問題があると思います。
じゃあもし、could haveが直接法で書かれていてそれをもし、仮定法の形にしたらどうなるんですか??

補足日時:2009/12/28 20:35
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can には may に近い推量の意味がそもそもあります。ただしこれには制限があり

Can she still be at the station?
彼女はまだ駅にいるのだろうか(疑問+be)
That cannot be true.
それが本当のはずがない(否定+be)
*一般動詞では「可能」の意味を含んだ推量
He cannot have told a lie.
彼が嘘をついたはずがない(否定+have pp。ppは一般動詞も可)
*肯定文は不可。I can have got the dinner ready.(まれ)は未来完了を推測(してしまっているだろう)することになり、通常未来のときを表す語句を伴う(by ten「10時までには」など)。

肯定文では may あるいは could を用いる。

He may have told a lie. 彼が嘘をついたのかもしれない。
He could have told a lie. としても意味はほとんど同じで、帰結節としてではなく単独でも用いる。

could have pp が助動詞の過去を用いているのに could “そのもの” が過去を表していない(全体で過去のことを推測しているが、「したかもしれない」であって「したかもしれなかった」ではないのは今の視点から過去を振り返っているから)のはこれが本来仮定法の帰結に使いうるということです。

助動詞の need が否定と疑問、need not have pp「する必要がなかったのにした」に限られるように、助動詞には制限がつくものがあります。


If I had a little more time, I could finish it.
もう少し時間があれば仕上げられるのに。
現実は As I have no more time, I cannot finish it.「もう時間がないから仕上げられない」ですね。あえて able を使っても I am not be able to finish it. で充分で、未来にする必要はありません。will be able to は「できるようになる(未来予測)」「できるだろう(現在の推測)」、would be able to なら「できるだろうに(実際はできない:現在)」「できるようになるだろうに(実際は難しいだろう:未来)」。

be able to が未来というわけではなく、普通の未来形で助動詞の will と can が並立できないからそういうイメージがついたのかもしれません。単なる be と形容詞です。

以上から ..., I would be able to finish it. とすることも可能ですが、ここでは I could は I cannot の「裏」で、“現在”の能力を示しているに過ぎません。「時間がないからできない。時間があればできるのだが」。わざわざ未来や推測の意味の will/would にするまでもないということです。


言いたいことがほぼ同じとか近い、ということです。単語が違ってくれば100%同じにはなりません。書き換え問題は言いたいことを表現する方法を増やすことが本来で、数学的に等価な置き換えのように考えないことが大切です。
You should have joined the trip last week.「君は先週の旅行に参加すべきだったのに(今更言っても仕方ないんだけどね)」には話者(I)の残念な気持ちがあります。淡々と事実を語っているの(You did not joind the trip)ではありません。例えば

I wish you had joined the trip last week.
君は先週の旅行に行っとけばよかったのに。


「あったら・なかったら」で with/without を使えというのあれば with/witout... にしかなりません。


可能性うんぬんは条件節(仮定法未来)で使うときや should be/have pp で「~したはずだ」のときです。

This should be our way.「この道でいいはずだ」
She should have arrived at the station.「駅に着いているはずだ」

もっとも「はずだ」に条件を付けても良いわけなので、If I had followed your advice then, I should not be suffering
like this now. を「あのとき君の助言に従っておけば今はこんなに苦しんでいないはずなのに」と取ると「過去の事実に反しているのだから可能性は0だろう。可能性50%の話はどうなる」ということになります(ただ、日本語としてはそれほど不自然ではない)。
ここは、主に英国用法での伝統的な will/shall の使い分けに則ったものと考えればいいでしょう。

I shall / We shall
You will
He will / They will

これは未来の助動詞の使い分けです(今日では一人称でも will を使うことが多くなった)。この使い分けが仮定法の帰結にもそのまま適用されて一人称では I should となるのです。つまり普段使っている I would と同じですが、一瞬戸惑うのは仕方ないでしょう。


これは特別な言い回しと考えた方がよいです。
でもあえて理由を言えば不利用法の名残なのです。

>もう~するというのはまだしてないのだから未来じゃないかと思いませんか

そのとおりです。特に動作動詞なら尚更で、我々が普通に習っている仮定法に従うなら

*It's time I would go home right now.

となるはずです。「帰る」は条件部分にあるのではないし、「本来“なら”(=if)すぐに帰るで“あろう”(=would)時間」という意味からこうではないか?と考えるのは自然なことです。

今では使わない形ですが *If I had some more money, I bought the house.「もうちょっと金があれば家を買うのだが」と帰結にも仮定法過去を使う形がかつてありました。見て分かるようにこれでは単に過去の条件と帰結(直説法)なのか現在の事実に反した仮定と帰結(仮定法)なのか区別がつかないので、帰結に助動詞の過去を使う形に置き換えられたのですが、一部には残り、それが It is time S 過去 です。

この回答への補足

trgovecさんいつもありがとうございます。

一応確認しておきたいんで補足しておきます。

1could have Vppはcan have Vppから時制をひとつズラシタ形ではない。 can自体で推量の意味はなくcouldが使われる。
よって今回のcould haveはcouldを仮定法で使われるので時制をひとつズラス必要があるが、これ以上ずらせないのでcould haveという形である。

2このcouldは1番でいっていた「~かもしれない」のcouldですか??
 もし、canが時制がずれて使われたなら~だろうになんて意味はないですよね。 
そして、それ以上時制がズラセナイのでこの形になっているんですか??(~かもしれないだったら未来のような意味合いを持つことも可能ですし)

3まったく同じ内容でなくても言い換えると言っていることが同じであれば、英語では同じこととして扱われるということですか??

4普通の直接法で使われるwith,withoutは
with~、~やwithout~、~という形はあるんですか??

5では、今回はshall「~のはずだ」が時制によってずれている形ということでしょうか??
ですが、直接法の文でも普通にshould「~のはずだ」は使いますよね??

6It's timeでは、普通に考えれば未来が来るはずだが、言い回しとして覚えておけばよいのですね??

補足日時:2009/12/28 14:59
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