アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

第二次世界大戦について、もしもナチスドイツが勝利するシナリオがあったとするなら、どのようなストーリーが考えられますか?

A 回答 (15件中1~10件)

 久しぶりに補足(No.13)したくなりました。


 No.14さんの危惧は、もっともだと思います。
 それでも、私は可能性をあげてみたいのであります。

 まず戦争目的だが、ヒトラーは『わが闘争』の頃から、あるいはもっと前から、ドイツは海外植民政
策よりも大陸政策を、と考えていた。第一次大戦の失地回復とゲルマン民族の父祖の土地を取り戻すことを考えていた。これはドイツ人が多かれ少なかれ持っていた情念だったのかもしれない。
 そして人種的に近いイギリスとは、海の王者と陸の王者で共存していける(いきたい)と考えていたようだ。
 だからこそ、イギリス・フランス連合軍をダンケルクに追い詰めたときに進撃を停止したり、西部戦線
の趨勢が決まらないうちにソビエトを攻撃したのも、イギリスが態度を変えてくれることを期待したか
らのようだ。そんな総統の心情がわかっているから、ルドルフ・ヘスは単身イギリスに飛んだりしたの
だ。
 私は、昔々、ドイツのある年輩の方と文通していたことがあった。そのときに、「ドイツ軍はなぜダン
ケルクでイギリスに追撃を加えなかったのか?」と聞いてみたことがあった。その答えは、「イギリス
の王室はドイツの血統を持っている。だから、そんな無下なことはできなかったのだ。」というものだ
った。
 人種理論に立脚していたヒトラーの弱点だったかもしれない。
 もしもヒトラー・ドイツに「東方への野望」がなかったら、大戦自体起こらなかったかもしれない。
 イギリス・フランスがナチス・ドイツに宣戦布告したのも、前述の理由でドイツがポーランドに侵攻し
たことが引き金になっている。
 だが、それは直接自国の利害ではないので、当然戦意も低い。だから当初「奇妙な戦争」というにらみ合いだけが続いた。
 話が飛ぶが、その後、ドイツ軍はダンケルクにイギリス・フランス連合軍を追い詰めた。
 このときが、戦争か平和かで揺れるイギリス国民を説得する最大のチャンスだっただろう。
 だが、このチャンスをヒトラーはみすみす逃がした。
 追撃による最大の果実の収穫は、『戦争論』の著者でドイツ軍人だったクラウゼヴィッツも語るところ
なのに。

 話を東部戦線に移そう。
 バルバロッサ作戦が順調に進む中、中央軍集団をモスクワに突入させるか、一部を南進させてキエフ(ウクライナ)を占領するかという話になった。
 ヒトラーは南進してウクライナの資源を確保する判断をした。
 だが、これがドイツ軍のせっかくの突進力を奪ってしまった。キエフを攻略し、冬がそこまできてから
モスクワを目指したが、もう遅かった。普通の冬ではない。またこの間に物資も消耗してしまったよう
だ。
 このとき従軍していたものの感想では、「最初この戦争は数週間で終わるだろうと思っていたが、この後は数年は終わらないだろうというものに変わった。愕然とした。」と語っていた。
 確かにモスクワに向かって占領したとしても、突出した行動で(スターリングラードよりはよほどまし
だろうが)、包囲される可能性等考えられる。資源を獲得することも確かに重要だろう。
 だが、クラウゼヴィッツは次のような趣旨のこと言っている。

・優勢の確保のほとんどは奇襲によってなされる。
・時間の経過は、攻撃者よりも防御者に有利に働く。攻撃者が小国の場合はなおさらである。
・敵が均衡を失い、よろめきを示したならば、これを回復するためのいかなる時間の余裕も与えてはな
 らない。

 ドイツ軍に力があることは既に立証されているのだから、あとはその用い方である。
 また、最後の最後まで、ヒトラーに「南進よりもモスクワ攻撃を」進言していた、ドイツ装甲部隊の父、
ハインツ・グデーリアン上級大将は、次のように言っていた。

・モスクワ進撃は有利であり、キエフ進撃は不利である。
・これまで重大な損失をこうむっている敵をさらに撃滅することが重要。
・モスクワの持つ重要性は、パリよりも大きい(交通・通信・政治行政・工業)。
・モスクワ陥落によりソ連国民が受ける衝撃は計り知れないほど効果的。
・モスクワ占領が連合諸国や世界に与える精神的影響。
・中央軍集団の兵士たちは、目標であるモスクワへ向けて士気が高い。
・モスクワ方面の敵主力を撃破すれば、ソ連軍は交通の要衝を失い、ウクライナはいとも簡単に
 手中にできる。
・キエフ転進は、本国方向への後退を伴う。時間、物資、兵力をいたずらに損耗する(往復450キロ だったか)。

 私は、グデーリアンが浅慮によって主張したなどとは到底思えない。包囲の危険性などは確認済みであっただろう。
 どちらかといえば、北方軍集団と南方軍集団こそ、中央軍集団を側面から支援して、モスクワ突入を優先したほうがよかったのではないかと思う。ドイツの場合、日本ほど資源は喫緊の問題ではなかったと思うが。
    • good
    • 29

他の方も述べられていますが、ナチス・ドイツの本質と振る舞いから言って(あるいは、シュトレーゼマンを含む当時ドイツ人の東方領土への固執から言って)、ドイツの勝利は困難だったと考えられます。



あえてその本質を無視しますと、あり得べきドイツ勝利の要諦は、来たるべき戦争が欧州覇権の交代を意味する戦いになると自覚し、あくまでもソ連は(そして東欧は)域外であると捉え、対英戦争を遂行することであったと考えます。
イギリスを屈服させ、六分四分の条件で講和を結ぶこと。これこそがドイツの限定された目標であるべきでした。そのためには、史実の大戦と規模においてそう変わらない、しかし異なる形態の大戦を遂行しなければなりません。そしてそれはドイツにとって苦い勝利となったでしょう。

イギリス本土の制空権奪取と本土上陸が困難であったことは史実が証明するとおりです。このため、ドイツの戦争遂行は地中海を中心としたものにならざるを得ません。具体的には、スペインを味方に引き入れることによる「西方」封鎖と、リビア防衛とマルタ制圧、エジプト攻略を必然的に伴う「東方」作戦が同時並行で行わなければならないでしょう。
また、イギリス軍の兵站と戦時体制の持続に負担を与えるためには、開戦時における潜水艦戦力も史実を大きく上回る程度でなければならないと考えます。
ドイツがどこまで進まなければならないかは謎です。恐らく、講和を結べるのは1944年よりも後になるでしょう。この間、ドイツはあり得べきソ連の挑発と拡大、そして軍事侵攻の構えに対して、ひたすら耐える必要があります。
講和条件は、恐らく、ヴィシー・フランスの存立を公式に確認すること、ジブラルタルをスペインに、マルタをイタリアに引き渡すこと、ベルギーとオランダの再独立を認めることが含まれるでしょうね。ドイツが得られるのは、欧州覇者としての地位と新たな負担です(もしかすればポーランド西部とアルザス・ロレーヌも)。講和をまとめるためには、イタリアの野望を抑制せねばならず、ドイツは大変な外交的努力を要求されるでしょう。

しかしながら、ドイツが大戦に勝利するためには、イギリスとの苦い平和を築くことに全ての努力を傾注するしかないと思われます。

史実のドイツは、イギリスを屈服させることを目的の一つとしてソ連に侵攻しました。テクニカルな方法でドイツ軍がソ連軍を打倒したチャンスがあるかと言えば、それは否だと思います。
最大の議論として、キエフ転進が挙げられます。一ヶ月以上早くモスクワ攻略に取り掛かるべきであったというイフのことですね。
ここでは兵站学上可能であったかは取り上げません(恐らく困難だったでしょうが)。また、モスクワに到達しえるのかという問題も取り上げません。単に、ドイツ軍にとってモスクワが維持可能であったかを考えたいと思います。
モスクワの重要性は、政治的なものと言うよりも、交通の要衝としての価値が挙げられます。一般に言われる議論としては、モスクワ制圧によって、資源地帯と生産地帯との結びつきを断たれたソ連は継戦基盤を失い、崩壊するというものです。
しかし、ドイツ軍がこの利得をえるためには、当然、十分に長い期間モスクワを維持し続ける必要かあります。
11月にはじめてモスクワに転がり込んだドイツ軍は、まだ周辺に敵が残っていることに気付くでしょう。ソ連は既に大規模な動員を行い、モスクワへと集結しつつあるからです。更に、ウクライナ東部もまたソ連の手の中にあります。
すなわち、ドイツ軍は包囲された格好になります。この包囲を脱するには、攻略直後に残敵を掃討し、かつ、トゥーラを攻略・維持し続けることをはじめとする南翼の援護が絶対条件であると考えます。
既にバルバロッサ作戦の初期でも見られたように、包囲網から敵の一部を逃がすなど、ドイツ軍は必ずしも戦果の徹底を行えませんでした。従って、ドイツ軍にはモスクワ制圧を長期に渡って確実とする余力はなく、なおモスクワに残り続けたのなら、1942年に殲滅される運命が待つのみであると考えます。

以上の理由から、戦争目的の再考以外に大戦に勝利することは不可能であると思います。そしてそれは実際的に言って、史実の「大戦」とはだいぶ異なる戦争であり、結局、ドイツが「大戦」に勝利することは出来ないというのが私の考えです。
    • good
    • 15

日本と違って、ドイツには勝利の可能性があったようです。


まず、最初にドイツ軍が連合軍をフランスのダンケルクに追い詰めたとき、
すかさず追撃を加えて30万人を捕虜にしていれば、イギリスと講和した可能性があります。
アメリカは当初、イギリスを拠点にドイツに攻撃を加えていたので、
イギリスが戦線離脱すれば、ドイツへの攻撃方法がほとんどなくなります。
戦争自体が自然に消滅する方向になったと思われます。
東部戦線では最初の快進撃のとき、キエフなどを攻撃しないで、
冬が来る前にモスクワを直接攻撃して占領していれば、
ソビエトは崩壊状態になったでしょう。
このふたつが実現していれば、多少の小競り合いは残ったとしても、
事実上ドイツの勝利に終わった形だったでしょう。
このふたつは、ヒトラーの基本的にして重大なミスと言われており、
戦後、ドイツの将軍たちが嘆いていたそうです。

ナチスドイツとて、永遠に戦争を続けるつもりはなかったでしょう。
ヒトラーは天才との自負から、自分が生きている間になすべきことを全てやっておく、
という考えだったから、あのようになったのでしょう。
ヒトラーのもともとの考えは、東欧に大帝国を築くというもので、
イギリスとは人種的に近いので、当初、戦争する気はあまりなかったようです。

もしもナチスドイツが勝利していたとしても、人の常で、
人間は自由を求めていくものですから、長い間には次第に自由化していったでしょう。
    • good
    • 8

フランスを屈服させた後に、フランス(ヴィシー親独政権)と共同で


ヨーロッパ平和会議を提唱する。
その際にポーランドに親独の傀儡政権を樹立しておく。
(英国のドイツへの戦争理由を形式的にでも弱める)
こうした体制を作りつつ英国含めた欧州各国(スペイン・トルコ
含めて多数が親独か枢軸参加国)に会議参加を働きかけ
英国を外交的に追い詰める。(平和か戦争続行か)

チャーチル政権が戦争続行を決意する場合、枢軸に参加していない
欧州各国は独と仏の連合(実態はドイツ一国による支配)側を支援
せざるを得なくなる。英国の戦争理由はフランスと共同でポーランドを
支援することでありそのフランスがポーランドの独立を認めた
(領土が半分以下になったいい加減な形であれ)
ドイツと戦争終結を宣言する講和条約を結ぼうとしているのだから・・。
ビスマルクが行ったような対象国を孤立化させた上で
最後の選択肢として戦争を行う外交を行っていれば
仏の世論含めて相当数の欧州各国はドイツ側に立っていたはず。

その世情の醸成が形成された機に独側は仏の戦争捕虜(190万人)を
返還し、ヴィシー親独政権の国内威信を高め、ドイツの傀儡となっている
ヴィシー親独政権が決めつつある(無論ドイツの指示)英国への戦争参加
を仏世論に支持させるように仕向ける。

その上で日本をオブザーバー国として参加させた英国抜きの
欧州平和会議を開催し「欧州新秩序のアライアンス」を提唱しドイツと
フランスを中心とした経済共同体(参加しやすい)に参加国を組み込み、
その共同体をもって改めて英国に講和を提唱する。

この段階でチャーチル政権は間違いなく崩壊しイーデン(保守党)又は
アートリー(労働党)にとって代わられているはず。
新政権となった英国に対して欧州新秩序共同体への参加を働きかける。
英国が参加した共同体(英国参加が果たせなくても良い)を、経済から
集団安全保障条項を盛り込んだ軍事同盟に変遷させ、その上で
ソ連に矛先を向ける。

そのやり方も、欧州新秩序に参加している各国
(ポーランド領土の返還、フィンランドが割譲した領土返還、ルーマニアが
割譲した領土返還)の大義を果たすことから要求し、欧州世論を味方にしながら
(戦争に負けたと思っていない潜在敵性をもった英国を気にしながら)要求を
つりあげていく。
このようにすれば、必ずソ連とドイツ率いる欧州共同体とは断交状態に陥り
戦争状態に突入する。

大切なことはソ連との開戦名目と「全欧州とソ連との戦い」に形式的にでも
持ち込むことである。
このようにすることで二正面作戦を完全に回避し、欧州の全工業力と兵員を
背景にドイツが戦えれば、英国が味方していない(米国も)ソ連には
勝利できるはずである。

*全欧州を率いてソ連との戦争を行っている最中にはユダヤ絶滅政策は一切
行わないことも重要である。


上記シナリオのケースだとソ連敗北は時間的に最速で1942年、遅くとも1943年
となり、米国の戦争準備が整う前には英国を除き全欧州とユーラシアがドイツ軍の
支配圏域に入ることとなる。
(このシナリオで推移すれば欧州の経済援助とのバーターで日本はソ連に
参戦している可能性は高く、敵性国家の海軍がいないインド洋と大西洋を超えて
日本海軍の活躍が見込め、ソ連崩壊は早くなる≒英国の中立化による欧州との
海上シーレーンの確保並びにそれによる欧州からの経済援助の具現により日米開戦は
この時点では回避されている)

ソ連崩壊は地政学的に欧州と中東の大変革を齎し、この情勢をもって
初めてドイツが世界覇権をもくろむ力と機会が持てることとなる。

ソ連崩壊後にドイツが世界制覇を目指し、米国との覇権争いに向かっていくことは
ナチス国家である以上、想像に難くない。
    • good
    • 16

 シミュレーションウォーゲームなどで良く出て来るテーマですが、ナチスに関して知らない人が持ち出す仮説のようです。

ナチスを知らないだけでなくて、ナチスの真似をしていた旧日本軍の本質も知らない人が持ち出す仮説でもあります。

 情報操作をご存知でしょうか。噂やデマを流して人の名誉を失墜させたり、周囲の人を疑心暗鬼にさせて仕事や地位を奪ったり、信用を無くさせたり、それに異論を唱えようとすると、発言を封じて何も言えないように弾圧したり、言論の自由だけではなく、仕事も地位も名誉も人権もあらゆるものを奪って、それに反論する自由も奪い、滅びる運命の民族だから滅ぼして構わないのだとか、そういう扱いを受けたら、誰でも武器を取って立ち上がるのは当然でしょう。

 ナチスや旧日本軍に限らず、情報操作は世界中でおこなわれていますが、情報操作を使って特定の民族を絶滅に追い込もうとしたのがナチスです。同じ扱いを受けたら、どんな平和主義国家でも武器を取って立ち上がるはずです。

 ナチスが勢力を拡大していた当時も、ナチスのやり方に反発を感じていた人は多くいましたし、自分の国も同じ扱いを受ける日が来るのではないかと警戒していた国々も多かったはずです。世界征服が成功したら、最後は日本も裏切られた可能性もあります。

 そういう意味ではナチスが勝利を得るのは危険だという意識を持つ人が多数派になっていたはずで、それが無くならない限りはナチスが世界征服に成功する可能性は無かったでしょう。

 ナチスの亜流をやったのがオウム真理教だったのは有名な話です。オウム以外にもナチスの真似や亜流を演じている国や組織は数多くあります。日本も例外ではありません。人が信じられない時代が終わらない限り、ナチスが世界征服に成功する可能性はないでしょう。
    • good
    • 3

頭の体操くらいの軽い気持ちで、、、参加します^^;



「中近東からインド(この辺は当時英国領)はご自由に」という条件(エサ)で、日独伊同盟に露も加わってもらう。

どこをどう考えても、英国とソ連を相手の2正面作戦はありえません。これ以外は勝利のシナリオはないでしょう。
    • good
    • 6

ソ連進行中に紳士的にふるまいソ連人民の支持をうけてソ連崩壊。


残りイギリスはカイロ戦占領し、Uボート増産で43年に上陸して降伏
アメリカはほっておく。
おもしろいので、おっとり参加します。
    • good
    • 4

現実にあり得る話としては「ソ連が枢軸側として参戦する」というものがあります。


ご存じのように独ソ戦が始まるまで独ソ不可侵条約により独ソは同盟国であり、ポーランドやフィンランドにも侵攻するなど英仏からは「潜在的な敵国」と見なされていました。
このためイギリスはドイツに対する石油供給を絶つため、ソ連のバクー油田空爆を計画し、実行の一歩手前まで行っています(イギリス空軍がバクー油田周辺への偵察飛行を繰り返したため、スターリンがチャーチルに抗議までしていました)。
この作戦の詳細は不明ですが、イラクにある基地から当時は親英中立国であったイランの上空を侵犯して行うつもりだったと言われます。
しかしこの空爆が実行に移される直前にフランスが屈服し、英政府はドイツ軍の英本土上陸の危機を迎えたため、戦略の根本的な練り直しを余儀なくされ、当然ながらこのバクー油田空爆作戦もお蔵入りとなってしまいます。
もしフランスの屈服が少し遅く、バクー油田空爆が実行に移されて、ソ連が枢軸側で参戦していればその後の戦局は全く別のものとなった事でしょう。
もちろん独ソ共に海軍力の貧弱さから英本土への上陸は困難ですが、最終的に英国が根を上げて独ソ有利な条件で講和という可能性はかなり高いと思われます。
    • good
    • 1

なぜ皆さんが口をそろえて「無理」というのかというと、それはナチスドイツ政権の本質に問題があるからなんですね。


ナチス政権は軍事力をバックに周辺諸国を恫喝し、領土を割譲させたり併合したりして、その領土拡大で得た資金や物資を軍事力に回してそのまた周辺国を恫喝する・・・というものなのです。国家維持のための軍事費は大変な負担となり、その負担をまかなうには新たな領土を得るしかないのです。
この図式でいくと、ナチスは永遠に領土を拡大しなければならなくなるのです。だから、ナチスドイツが勝利する系の仮想戦記小説がストーリーの終わりどころがなくなってグダグダになってしまうのです。

さて、通常のアプローチ(○○の戦いに勝ったとかモスクワが占領できたかとか)では光明が見出せないので、ここで私はちょっと突飛な説を持ち出したいと思います。

独ソ戦のいわゆるバルバロッサ作戦のときにソ連軍がやけに豪快に崩壊したこと、またその布陣が国境周辺にやけに集中していたことは謎のひとつなのですが、近年の研究で、実はスターリンはドイツへの先制攻撃を考えていたのではないかというのが出ています。
元々ナチス(ヒトラー)は反共主義でソ連とは不倶戴天の敵です。その独ソが不可侵条約なんかを結んでしまったので当時の日本では首相が「欧州の政治は複雑怪奇なり」という言葉を残して内閣が崩壊してしまいました。これは今でいえばアメリカとアルカイダが不可侵条約を結ぶようなものです。ポーランド侵攻で遅れをとったソ連軍はポーランド領をほとんど手に入れられませんでした。また、ドイツは対イギリスの戦争が続いていました。ですから、いってみればそのナチスの後背を突くというのはソ連側に立てば(いずれナチスとの戦争は避けられないと考えるならば)ありえる選択肢です。

ですから、逆にソ連が先にドイツへ侵攻し、それにドイツが耐えたならばナチス勝利というシナリオがあったかもしれません。

なお、他人の回答にけちをつけるのは削除の対象になってしまうのですが、蛇足ながら注釈すると、ソ連軍はドイツに攻められたときもシベリアにあった部隊を対独戦には投入しませんでした。それはモスクワにあと30キロと迫った1941年12月の最も切羽詰ったときでさえそうでした。それは日本からの侵攻を警戒したからで、日本軍はそれがちゃんと分かっていたのでシベリア侵攻はできませんでした。ノモンハン事変や張鼓峰事件などで火力に勝るソ連軍に日本軍が苦戦することは日本軍もちゃんとわかっていたし、なにより展開できる戦力はソ連軍のほうが多かったのです。戦力に勝る敵軍に正面から攻撃をしたらどうなるか、後に日本軍はガダルカナルで嫌というほど思い知らされるのですが。
またバルバロッサ作戦のときに、ドイツ軍はモスクワから突然南方に矛先を変えてウクライナ地方を占領しています。これは他の方の指摘どおりに豊かな穀倉地帯であり、石炭が豊富で重工業地域も持つウクライナ地方を得るためで、これはヒトラーの指示により行われました。ドイツ軍の将軍達はモスクワに真っ直ぐ向うべきといいましたが、それに対するヒトラーの見解は「将軍達は戦争経済というものがわかっていない」というものでした。モスクワにそのまま行くのが正解だったのか、南方地域を占領したからあれだけの長期戦をドイツが戦えたのか、それは現在もホットな論争の的となっています。
    • good
    • 1

いや、まあ難しいですが楽しそうなので参加します。



ポーランド侵攻後まもなくしてソ連がフィンランド侵攻をしますが、この時英仏が本腰でフィンランド防衛のために軍隊を送ったら、ソ連・ナチス同盟(モスクワ・ベルリン枢軸)対西側連合というすごいことが起きます。これがおきたらドイツはタイミングを見計らってソ連侵攻をおこない、戦争を共産主義対西欧、という形にしてしまう……というのは、ひとつありえます。
フランスの政権と軍はドイツに対する先制攻撃能力がないので、ドイツから対仏戦をしかけない。また、アメリカ・イギリスには共産主義よりナチズムのほうが「話がわかる」という風潮があるので、根回しをキチンとしておけば、ナチス・ドイツは史実より大丈夫なように見えますね。

フィンランドがなく、史実通りに対フランス戦までやってしまったら……

イタリアに「アルバニアとリビアの防衛以外、おまえは何もするな」と釘を刺しておく必要があります。史実ではイタリアがギリシアに攻め込んで、ギリシアに返り討ちにされた上に英国軍までギリシアに来てしまうという大火事になりました。結局ドイツが介入しますが、ギリシアで失った装備、兵士、時間は取り返しがつかず、その上ユーゴスラヴィア侵攻までしなくてはならなくなります(結局、最後までパルチザンと戦い続けねばなりません)。

このイタリアのドジがないと仮定すると、ソ連攻撃が一月早くなります。モスクワとレニングラード占領の確率は非常に高くなります。ここでソ連が崩壊してくれれば(シベリアの方に共産政権ができて泥沼化しても)、まず第一関門クリアでしょうか。その前に、日本にアメリカと戦争しないでくれと、釘を刺しておく必要もあります。国府とドイツは近い仲なので、日本と国民党政権に停戦を確立させ、アメリカの介入を防ぐ必要もありますねぇ……

しかし、フランス占領をしている時点で、英国との対立はさけられず、それはすなわち英連邦全部と戦争していることでもあります。英国と何らかの形で和睦しない限り、やはりアメリカも加わった西側連合に攻撃されて滅びるでしょう……西側連合軍は、それこそアフリカ、地中海沿岸から北フランスまでどこにでも侵攻できるという、主導権があるからです。
ううむ。

燃料は問題ないんです。問題は、英国(かイタリア)にアメリカの爆撃機が展開してしまい、高高度昼間戦略爆撃をはじめて、ドイツの製油施設を攻撃しはじめてしまうことです。これさえなければ、ドイツは石炭の液化プラントとルーマニアの油田でやっていけるからです。ソ連がつぶれていれば、もっと楽でしょう。史実では44年の上四半期がドイツの燃料生産のピークです。これさえなければ、英国の夜間爆撃は防空しきれる可能性が大きいです。
原爆ですが、実はV2でも1でもできた段階で、ロンドンに化学兵器弾頭つけて撃ち込めば、地下鉄サリン事件の数十万倍のことが起きます。ただ、やると化学兵器による報復を受けるから、やらないだけです。万が一造ることができた原爆をつかったら、西側から化学兵器による報復を受けるのではないか、と私は思っています。
-------------------------
うーん。フィンランド以外には極めて難しいですね。あと、勝てない決定的な要因がもうひとつ。
ドイツの武装組織は、国防軍、親衛隊とも(警察は親衛隊の下にある)、アドルフ・ヒトラーに忠誠を誓う、兵も入隊するときの宣誓で、

ヒトラーに個人的忠誠を誓う

組織なので、ヒトラーが病などで死んだ、いや、たおれた時点で、忠誠を誓った対象が消滅するわけです。後継者がだれであっても、この問題をクリアする方法が見つかりません。ヒトラーの公的な遺言が存在したとしても、そんなものウソだあっ、というヤツがでてきそうです。
で、ヒトラーはモレルという侍医にむちゃくちゃな量のクスリを投薬されているので、健康に不安があります。

フィンランド・シナリオで話が進み、、ヒトラー後継者問題(健康問題)が解決することが必要なようです。それがうまくいけば、スターリンのソ連みたいな形で、ある時点までは勝っていることができるでしょう。
    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!