哲学では、意識とは何か?とか、
死んだ後、意識はどうなるか?
と、現在と未来については問われ、語られる事は多い。
しかしながら、私達の「意識」、これは幼心にいつ、どのように生じたかについて、問われ、語れる事が少ない様に思う。
けれども、現在、死後の意識を考える上で、その発生起源を考える事は重要なはずだ。
そこで、問いたい。
あなたの主体である意識は、いつ、どのように生じたか?
記憶をさかのぼる、自己観察、現在ある根拠と思われる物、現象から論理を展開し、この問いを考え、答えてみて欲しい。
ちなみに、意識、心、精神、は区別していない。
No.20ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちはー。
>惜しむらくは、漠然としている。
これは・・なんだか失礼だけどむさぼられるような感じ。
ここから先自分で考えないんですか?
ちょっとルール違反のような気もしたんですが、これ以上の回答は難しいです。
なぜか、と言うのを書いてみます。
あと、せっかちなんじゃなくて、忙しかったんですー。
1.2.3の結論で、僕的には綺麗にまとまった、と思ったんだけど、ここで収束しないんですね~。
先天的や、超越的、というのは、普通に言う論理が扱える範囲の輪郭限界を指す言葉です。
こういう極限を示す単語、というのは、ある種の限界を指し示すことはわかって質問してきてますか?
論理の限界、というニュアンスを込めたし、伝わると思ったんですが、伝わってない感じなので補足します。いか、ずーっと論理のあり方と限界についてです。
子供が親を産めないように、論理と、論理を扱う自分の存在を支えるもの、先天、超越、というのは、論理では説明できないですし、自分の存在の正しさや、自分の思考パターンの正しさを理由もなく肯定していては理解できません。
先天と超越が、現在の自分と論理を生み出しています。先天と超越がメインであり、自分と論理はサブ副だ、というのも、ひとつの事実なのですが、了解されますか? もちろん今の自分がメインなんだ、というのもこれまた同じだけ正しい事実です。事実は複数あります。考えの起点の違いです。
例として、数学で、1+1=2などの極めて単純な前提から数学全体が成り立っていますが、難しい微分積分が解けても、1+1=2が正しいか間違っているかを判断することはできません。
数学に於いては、パラドックスが大事な概念です。矛盾は、数学の構成要素ですし、不完全性定理では、数学の論理は、自分の正しさを証明できないらしいです。
数学になぞらえてなんですが、論理は論理の正しさを証明できません。今のところそう言うことを証明した、などという話は聞きません。
実生活や哲学で使う論理に於いてそれが証明されたわけではないですが、まあおそらくです。正しいもの、と思ってみんな使っていますが、それは極めて盲目的です。論理がそんなに正しく完璧なものなら、とっくに謎はみんな解けててもいいと思うし、何百年何千年と哲学者が考えて解けないことは、考えが足りないのではなく、構造的に解けない問題もあるのだ、という発想の転換もありです。
論理的思考に於いて、帰納、演繹、アブダクション、という3つがあるのですが、この3つの間には、全く論理的に越えられない壁があります。越えられない壁だ、と証明されたわけではありませんが、経験上です。
このアブダクションも、すごく大きな武器です。
おたずねの問題は、この論理の壁を越えられるか? という質問に似ています。
また数学になぞらえますが、数学的帰納法でしか解けない問題はいくらでもありますし、演繹や分析が手のでない問題は普通にありますね。
日常生活においても同じだ、と僕は仮定します。例えは、実生活でごろごろ転がってると思います。
僕自身はアナログ人間ですし、分析より統合、演繹より帰納大好き人間です。その限界ははっきりありますが、なので僕はもともと哲学は嫌いでしたが、必要に迫られて、自分の内面に分析的思考も取り込み、統合と分析を組み合わせて全体の構造を調べる、ということをやっています。
なんかもう意識と関係ない話になっていますが。
宗教用語を避けて説明すれば、こんな感じです。
そういう、自分と違うタイプの論理パターンについて興味もたれたことはありますか?
複数の違う論理を使い分け、また組み合わせて考えることをされたことはあるでしょうか?もし興味があったら、そのあたり行われると、おもしろいです。
これにはステップを踏まないといけないし、哲学で使う論理の、その外側、論理のアウトライン、の認識が、質問に答えるには、必要だと思います。もう普通の論理をはみ出てしまいますから。
質問にある、先天、超越、共に、時間空間を越える、ということです。つまり、この世の時空間によって決まる、普通に使われる論理は使えません。
無茶な例えをいうと、いままでは、1+1=2でしたが、これからは、1+1=3を基礎に、数学を作り直しましょう、とか、そんな例え話になります。
この辺りが、人にもよりますが、いろいろ壁だと感じるところではないかと思います。
哲学をやる人は、僕から見ると分析と演繹だけに偏る傾向があります。それに問題点を感じてるのかいないのか・・よくわかりません。ただ、こういう質問を追加するということは、そのことに少しうといんじゃないか、とかなんとか。
自分の思考パターンが絶対、というスタンスでは、だから説明ができなくなります。(ん?なんかえらそう)
質問文では、帰納やアブダクションなど、その他の論理の存在価値を、いまいち認めているような感じを受けません。あるいは自分の思考パターンを把握するという方向性はありますか。これらは、本当に全く別物で、だからこそこれらをものにして使いこなそうとするのも、この壁を越える、手段の一つかも知れません。
もっとも、止揚、という名前で、分析のフィールドに立つ人から見た、統合論理を示す言葉もありますが。でも、どうも例外的扱いで、自家薬籠中のものとして、上の3つの論理を自由に扱う、という感じではありません。などと、んなえらそうなこと言ってますが、僕も3つを自由に使えるのではなく、ただ3つを使い分ける必要性は理解してるつもりです。自分でやってみて、道具としての論理の扱いや限界とか、いろいろわかります。
3つの、あるいはそれ以上あるかも知れない複数の論理の性質の違いと、その全くの対等な重要性と価値、にもかかわらず、自分の脳ではその壁は越えられないこと等々です。
どちらかというと、自分一人でやるのではなく、それぞれ違う論理の専門家が協力し合うことで、真理に近づけるはずだ、と思います。餅は餅屋です。
その意味では、お聞きの質問は、言われるような分析的考察は、僕が考えるより質問者さんのほうが専門家だと、僕は感じます。そういう意味も込めて、つまり、あとお任せしますねーという意味で、前回の投稿で、丸投げ、という言葉を使ったんですが、食い下がられましたねー。
つまり、僕は必要に迫られて分析や演繹にも手を出してますが、やはり生まれつきの限界を感じます。一個の概念を厳密に追求する意義はわかっても、向いてないのが分かります。でももともと得意ではありませんが、自分の内面の問題解決のために、苦手な分析的論理も取り込んで使うようにしたら、わりかし哲学やる人ともまがりなりにお話しできるようになっています。(と言っても、池田さんの14才の哲学という本がちんぷんかんぷんだった程度ですが)。
なのでもともと僕は、自分や自我について考えるなんて聞いたら、「頭大丈夫?」と心配したくなるタイプの人です。なので、14才の哲学は、宇宙人の話のようでしたねー。
僕の書いた話が漠然としているのは、もともとこういう由来があるからです。努力はしてるんですが。
まあ単に限界なんとちゃうん?といわれると、そうなんですが・・。そんなんできません、と言っては身も蓋もないので、いろいろ言い訳すると、上のようになります。
この辺りは、他流試合で、哲学やる人にいろいろ議論や指摘してもらって、分かってきたことです。
こんな感じです。わかってもらえるかどうか・・ なるだけ前向きに書いたつもりだけれど、ん~~、あんま自信ないな。
僕と質問者様の、上のような、基礎にしている論理の好みの違いと、その論理の拠り所になる直観の違いを、強く感じます。ここで議論してたらいつも感じることですが。
僕のメインは、直観や感性、主観の構造の把握や統合で、意識や自己については、あまり得意ではありません。でも人の持つ直観や感性、フィーリングの仕組みを理解すると、どうしてもそのコインの表裏の関係で、自我や意識についても自然と理解は深まります。コインの表裏でまとめて一つなんだ、という仕組みです。主観と意識は相補性があります。それでそもそもここの質問に興味を持ったのですが。
こちらで投稿した文章は、統合的把握から出てきた結論を、一度分析的論理に翻訳したものです。やれる範囲でですが。でも僕は基本として、統合や帰納、アナログを考える基礎や道具にしてます(そういうのが大好きで大好きで・・)ので、その範囲内でできるだけ翻訳はしてるかなと思ってます。
ただ、おっしゃるような、思考の鍛錬、と言われる意味は、僕にとっては、まるでアナログを捨てて、デジタル人間になれ、と言われるようなもので、そんな無茶な、という感じです。脳みそ入れ替えたら別ですが。
そこは、効率を考えるなら、個人が一人で壁を越えるのではなく、協力が大事だと思います。個性を生かしながらの協力が、絶対必要だと思ってます。というかその方がおもしろい・・。単に苦手なことをそこまで追求する気がないだけですが。好きなことをやるのが一番ー。
読む人の理解の補助、というのも、同じ理由で、そういう必要を感じません。
違う論理の、スタンスの違いは、普通に使う論理的思考の範疇を超える、ということを了解してもらえるなら、その違いが、考える人間の思考の前提土台、直観の違いだと言うこと(砕いていうと性格の違い)、その違いのほうが、論理的整合性や正しさより本質なんだ、と言うことを解ってもらえるなら、書いたかいもあります。
これは、もちろん、事実であったとしても、論理を越えるので、論理的には説明できませんね。経験から認知するか否か? という話です。それは、経験則?的なことになります。
3つの論理の違いは、帰納、演繹、アブダクション、いずれを使っても、説明は無理はなずです。3つの論理の違いと対等性があることは伝わりますか? それぞれの論理は、それぞれのフィールド内でしか有効ではないのです。どれかひとつの論理で、他の2つの論理まで説明し切ろう、というのは無理だと思います。(たぶん) それは、階層問題と似ていて、物理で政治を説明できるか?みたいな感じです。
kunobouさんの質問は、僕が統合的把握で煮詰めてきた論理を、根本的に分析的なものに置き換える、ちょうどその境界線を越えるものだという感じがします。それがそちらも分かってて、僕に質問してきてる気がしたので、ちょっとずるいんじゃないか、と思いました。
質問内容そのもののスタンスが、僕自身は、この質問のような発想をしないです。一個の概念を取り出して、それをとことん追求したい、というのは、僕にとっては、上に書いたようにその意義を認識はしてても、根本的には別世界の方法論です。たぶん生まれて一度もやったことはないですね。
僕にとっては、上のような理由で、一個の概念の厳密な定義は追いかけようという興味が無く、向こうから勝手に現れるもの、という感じです。
もっとも宗教は、そのあたりの壁を無理矢理壊していますが。例えば即非の論理とか、いくつかあります。論理でないものを論理とするのは宗教の基礎です。
でもそんな宗教的論理を使わず、無理矢理一般の論理で押し切って解釈するなら、この世の本質は、矛盾であり、矛盾こそ本質だと考えます。
なので、前回の投稿に戻りますが、その絶対解けない矛盾をどう扱うか? が大事だと思っています。人間の成長過程でその矛盾を対象化できず無理に取り込むと、意識のループは起こらなくなると思います。ループ循環の輪っかが、この矛盾と不整合、理不尽によって切断されるからです。
「おかしい、わからない、間違ってる、意味不明」というものは、そんな風に決めつけておかしなものとして排除するのでなく、そのまままず受け取るべきじゃないでしょうか? 受容することで把握が可能になり、対象化して考えられます。
そうやって現実を観察把握すると、パラドックスは、この世を形成する、基本的材料だと思うし、その存在を勘定に入れることは、本質的に大事だと思います。理解が浅くてわからないだけのことと本質的な矛盾を、より分ける必要もありますが。
そんなもの認めない、わからないことなんて無いんだ、と言っててはそれこそ壁です。矛盾は、解けないから矛盾です。矛盾の定義は「理解不可能」です。無理矢理解こうと、つまり理解しようとするのは、矛盾の存在を認められず、かえって前に進めなくなる、と僕は思うんですが。そしてそう考えると、上に書いた論理の本質的違いも捉えられますし。余計なお世話かしら。
意識が意識に飛び込めないのは、矛盾を認めないからだと思います。小さい赤ちゃんなら、そういうこだわりがないので、本当に最短距離なんですが。大人はこういう矛盾を取り込んでしまうことによる不安やプライドやいろいろあって、ループが邪魔されます。素直じゃないです。というより、素直じゃない、ひねくれてる人というのは、まさにこの矛盾を自我に内包している人のことですし。
なんで、僕は矛盾を矛盾として認め、自分とは別のものとして位置づけようと努力してます。実際それらは、本質的に人間とは無関係なものです。この世は意味によって成り立つことはご存じかも知れませんが、意味の本質は矛盾です(いっちまったー)。パラドックスはパラドックスです。それはそれだけで成り立つ本質です。他に説明はできませんし。それは定義そのものです。
普通は逆に考える人が多いと思います。いっぱい考えていっぱい理解して、最後に残ったわからない残りかすが矛盾だ、みたいな捉え方ですが、それはそれでいいとして、その逆の視点もあります。
パラドックスは、考えて分からなかったもの、などではない、という見方です。実生活においてもです。
矛盾を抱え込むことは、その見極めができてないと、いう判断です。
超越概念とは、矛盾の認知と、ほとんど一緒です。≒です。違いますが。矛盾の認識を前提として成り立つ話、というべきか・・。僕も今開拓中です。
「矛盾よ、あなたの存在を認めます」、とか、まあそんな感じです。今は、論理よりも思考よりも、矛盾が本質的存在だと思います。あんま大きな声では言えないですねー。
矛盾は、この切り口で考えると、絶対的存在であり、すべてから独立しており、どんなものの中に見いだしても、誰の言動にそれを感じても、物や人とは関係のないものだ、ということになっています。意味のメカニズムから考えれば、ということですが。
大体こんな感じですし、こういうことを提起します。
忘れてた、胎児ですね。胎児を何か特別扱いする理由はないと思います。どこかで線を引けるでしょうか?意識のクオリティーの階層は前に説明したとおりあっても、胎児は、ただおなかにいるというだけで、それは自分の部屋にいるのと変わりないという側面があります。僕がいう先天的というのは、そういう意味でないので、ちょっと誤解されてます。
矛盾=パラドックス は、厳密じゃないですね。僕は意味の不整合と呼んでますが、そもそもふさわしい単語は見あたらないので、適当です。
これに限らず、統合的な論理を、分析的厳密さへと近づけて、要素に還元しようとすると、表現する言葉がないので造語と代用品だらけです。
以上、超越や先天(いわゆるこの世ならざるもの)を説明するのが大変な理由とながいながい言い訳でしたー。もう、意識と一見関係のない話になりましたが。
では~~。
付け足しです。意識が意識に飛び込めないループを描けないのは、「今ここ」という瞬間を認知できないのと、仕組みは同じです。今この一瞬に生きろ、とはよく言いますが、同様の構図です。過去現在未来は捉えられますが、今ここ、という物を見ることはできないですね。鏡なしで自分の顔を見れないのと同じです。今こことは、意識のことですし。
逆に、意識が意識に飛び込めたら=真の意識が発生したら、自分と、今こことの同一化が起きる、と見ます。
長い、丁寧な回答ありがとうございます。
>なんだか失礼だけどむさぼられるような感じ。
正解です。むさぼっています。理由は二つあります。
一つ、これが主な理由ですが、僕は、ここのサイトを「おおやけ」の場所と認識しています。
つまり、「沈黙の観客(?)」が、大勢いると、意識しているのです。
個人的には、前回の回答で十分だと思うのですが、「沈黙の観客」の立場に立った場合、「?」に思う人が多いのではないか、と考えるのです。
だから、その「?」に要求に応える意味で、さらに質問したのです。
もう一つは、追加の補足的な事ですが、自分が思考するのに、もう少し具体的な方がいいからです。
まあ、主な理由は、最初の方ですね。
ですから、気を悪くしないで下さい。
No.23
- 回答日時:
こんばんはー。
NO20です。そうですか、ギャラリーの人の目かー。
僕も気にはしますが、もう前の投稿をするときはぎりぎりなので、それどころではなく、そういう意図には察することができませんでした。
誤解だったのならごめんなさい。それに、それで前の投稿の長文を書ききったので、納得してますし、気にしてませんので。
いいお題というかネタを提供してもらった感じで、ぼんやりしてた考えをまとめるのにちょうど良かったです。
僕はアバウトにしか考えないので、こう言うところでぴしっと形にするのが向いてますし、
そちらの思考の具体的な材料になったのかどうか、あるいは沈黙の観客向けなのかもわかりませんが、
質問者様が前々回の文で十分、と言ってくれてるので、ちょっとほっとしましたー。
前回の投稿の内容はかなり勇み足だったので、ちょんです。
回答ありがとうございます。
>いいお題というかネタを提供してもらった感じで、ぼんやりしてた考えをまとめるのにちょうど良かったです。
そう言ってもらえるのは、嬉しいです。
自分が、不思議に感じるのは、自分の出している質問の類が、質問として出されている事が少ない事です。
別の「科学は、将来「不老不死」の技術を獲得できるか?」等の質問スレッドを立てた時も、「その様な質問を出した人に会った事がない」とほめられ(?)ました。
疑問に思う事が、山の様にあるので、これからも宜しくおねがいします。
No.22
- 回答日時:
あえて、私なりに「意識(心)は、どこからやって来たのか?」を簡単に説明させてください。
(参考になれば幸いです)あなたは絶対的な世界が存在しているという先入観がありますが、量子の世界から解明された事実として、五感で認識してはじめて物質は実体化することが知られています。つまり世界(宇宙)は認識できる機構があれば何でも発現するのです。コンピュータであれ人間の神経ネットワークと同じように完全に中央集権型(脳みたいに)なれば、やはり機械であれ認識体として同じくその階層の宇宙(世界)を持つのです。これが要するに「意識の発現」であり同時に宇宙の発現なのです。最初から世界があるように思えるのは、「今」という一瞬に宇宙140億年の過去と未来が折り畳まれている事が一般に認知されていないからです。
で、これは幼心にいつ、どのように生じたのでしょうか?
マクロの世界に住んでいる私たちに、ミクロの量子を持ち出す必然性は何なのですか?
No.19
- 回答日時:
#9です。
まず自分の出自を述べておきますね。自分は完全な理工系です(でも幽霊は信じてます^^)。なので応えは全て、理工系の発想になります。>今回の質問の趣旨と離れるのですが、(#9)の回答の根拠、または、論理展開等を詳しく説明・・・
(一部略)
詳しく説明・・・、は出来ません。
(1)体感として感じた事がある
>その様な形態を自分も感じています。
そのような体感を体験した事があります。
(2)システム制御理論
昔ですが、親指をつねった時、なぜ親指が痛むのだろう?、と考えた事があります。何故なら感じたのは脳であるはずなのに、どうして頭が痛まないのか?という、しょうもない疑問です。答えとしては、脳は肉体も含めた外界に対する、ヴァーチャルリアリティーを構成していて、その中で外界を認識しているのだ、という結論です。このヴァーチャルリアリティーの一部に、自分の意識も入っていると思うようになるまでには、そんなに時間は要りませんでした。しかしこれは、自己言及を招く、非常に強力なフィードバック機構です。
このような感触を持ったまま、ウィーナーのサイバネティクスを読みました。そこには人間の意識とは、制御理論的に見れば、フィードバック機構の塊だ、みたいな事も書いてありました。フィードバックには正のフィードバックと、負のフィードバックがあります。もし人間の意識がフィードバック機構の塊で、そこに負のフィードバックが発生したなら、すぐに「死に至る病」状態になったっておかしくないと思います。ただし人間は、負のフィードバックに対抗する正のフィードバックも、意識の中で自発的に発生できます。それが「気持ちを切り替える」だと思います。
以上の話は個人的には、すごく納得できました。実際、制御理論の考えで精神疾患(鬱病など)を理解しようとする試みがなされ、少し成功したそうです。半世紀以上前の話ですけど・・・。
(3)無意識、意識、言葉、記憶
>無意識、意識、言葉、記憶、これらが、どんな順序で発生したか、と言う様な問題提起です。
無意識と意識の区別については、自分は理工系人間だからわからないという理由で逃げておきます。記憶・・・、記憶なら犬もゾウリムシも持ってると思います。なので残るのは、意識と言葉です。
(4)言葉
さっき言った意識の自己言及性から、言葉の学習アルゴリズムはマニュアル化(プログラム化)できない、という話を聞いた事があります(これも半世紀以上前の文献です)。これを信じるなら言語能力とは先天的に、遺伝子コードに組み込まれたもので、#18さんが仰るように、環境によって発露するものです。遺伝子コードに組み込まれた言語能力は、非常に抽象化されたものだとは思いますが。
何故なら、純粋な日本人の両親から生まれた帰国子女も、出生地が欧米なら、Nativeは英語になるからです。
(5)意識
自分は犬を飼っていますが、犬にも意識はあると思います(どう見ても、そう思える)。ただ自分で自分をモニターするモニターのモニターの・・・存在の事を、人間ほどには自覚的には意識しては(モニターしては)いないと思います。余談ですが、犬には人間の言葉が通じると、自分は本気で思っています。
(6)ループ
以上の話をまとめれば、#13さんの、
>最終的に、意識が、意識に向けて飛び込む=ループを描く状態に至るまでの道のり・・・
を借りれば、「意識が、意識に向けて飛び込んだ」瞬間が「自意識」の、そして対立項としての「無意識」の発生の瞬間なのだと思えます。
読み返したら長くなりました。すいません。
>詳しく説明・・・、は出来ません。そのような体感を体験した事があります。
なるほど、論より証拠ってやつですか・・・・・・
無意識・記憶・言葉・意識の順で発生しているのではないかと?今まっかんじています。詳細を説明すると長くなるので、省略しますが、新たな知識、情報で、多少、入れ変わるかも知れませんね・・・・
No.18
- 回答日時:
まとめました。
意識がどのように現れるかについての僕の結論です
1.意識は、先天的にもともと持っている。
2.超越概念に触れるまでいまだだれも持っていない。
3.上の2つの極論の間に、心理学的な切り口で、さまざまな階層と脳の成長段階に応じて、意識の発露がある、と考えます。
どれが本質か? という問題ではありません。
下の2つの投稿は、結局この1,2,3を言いたかったんだなと思いました。
最終的に、意識が、意識に向けて飛び込む=ループを描く状態に至るまでの道のりとも言えますが。取り方や切り口はいろいろです。
1.2.3の3つは、時間、空間という2つの無限と、時空間ー物質系という有限性、に対応したものではないでしょうか?
あんまり細かいところまではわかんないですが。
ばたついてます。
回答ありがとうございます。
>ばたついてます。
ゆっくり、落ち着いた時でいいんですよ・・・
回答者様は、結構なせっかちなんですかね・・・
回答者様の結論は、漠然としていますが、本質の深い所に触れている気がします。
しかし、惜しむらくは、漠然としている。
もう少し、具体的になれば、さらに、いいのにな~と、勝手に思っています。
例えば、「超越概念」とは何か?
それに「触れる」とは、どういう状態か?
「先天的にもともと持っている。」とは、胎児レベルも含むのか?
とか、その辺を具体的に、突き詰めると、質問者様の思考の鍛錬にも、読む人の、理解の補助にも役立つと思いますけどね・・・
追加思考が、可能であれば、宜しくお願いします。
No.17
- 回答日時:
こんばんはー。
>つっこみと、ボケの両方を自分でやっていらっしゃるので
がくっ! 大阪人だから? いえーそんなん自信がないからに決まってますよー。ほほえみのヨン様・・
まあそれはそれで・・
すんませんねーこういう長文を読む大変さはわかるんですが、勝手に筆が進む・・
>超難問
なんかけしかけてません?(笑)
でも確かに、難問です。で、どんとチャレンジをー。基本議論の場なんですから。
といいつつ、とりあえず思ってることはみんな書いて、あとはkunobouさんに丸投げですー。
>これは幼心にいつ、どのように生じたかについて
そもそもこんなアバウトな質問だと、断定できないですよー。
どういう状態を持って、意識が生じる、と思ってるんでしょうか? 他人が見て、あると観察できるか?というだけなら、おなかの中にいるときにもうあるでしょうし。
だから、意識が「生じる」と、kunobouさんは書かれましたが、この「生じる」とは、えらく微妙でアバウトな言い方ですよ。定義がはっきりしないとも言いますが。
以下の文は、自信なくおっかなびっくり書いたので、参考程度です。
意識の、外界とのフィードバックによる循環の周期は、脳波に現れると思います。僕は主観と客観はこの間書いたみたいに完全な対応をしていると思っているので、(相関があるが因果関係はない)、意識による把握の循環は、たぶん脳波に出るはずです。
先日、アーチェリーでの精神集中に於いて、リラックスの脳波と集中の脳波がある、という話をテレビで見ました。バイオフィードバックだそうです。
僕は広い意味で、広義で、一日24時間の生体リズム周期や、一ヶ月の周期も、やはり脳波の一つだと思います。周期が長すぎて測定できないですが。というか、脳波の測定なんてほんといい加減~。
0.あらかじめある意識ーーー
いつ意識が現れるか? 外部から赤ちゃんを観察するならもう意識はあります。赤ちゃんの目の前でがらがらをならして注意を引くようにすると見てくれますから。それを見て、赤ちゃんは意識を喪失していると思う人も居ません。
他の人の回答でそんなこと書いてる人もいましたが、僕も同意見なのは、存在する完全性には、意識もその一部として含まれる、と思います。存在するものは、すべての可能性の源です。ただの石ころは、意識の発生源でもある、というのは、まあオカルトですが、嘘とも言えないし。
でもそういう質問ではないはずです。
外部観察と、内面の自覚は別だからです。
意識が内包されているか否か? という意味なら、うまれる前からあると見ています。
そしてそれを、がらがらを赤ちゃんの目の前で振るように、ある種の変化を赤ちゃんに与えることで、分離した意識として取り出すことができます。もっと強烈な、意識が主観から分離するような強いショックを与えると赤ちゃんは泣き出します。いきなり犬にほえられるとか。主観と意識の分離は赤ちゃんでも大人でも怖いものです。
でも普段は赤ちゃんの意識は、赤ちゃんの主観と完全な一体化の状況にありますから、単独の意識、という意味では、ないとも言えます。
純粋な意識には個性もなく、レッテルも自分の名前を書いた名札を貼るわけにもいかないからです。
そのイメージについては、物理学の、不可弁別性、という単語を、興味あったら調べてみてください。この個はあるにもかかわらず区別できない、というこの概念は、僕が感じる、純粋意識の性質を説明するのにイメージがぴったりです、今のところは。「違い」と「同じ」は、同時に重なって存在する、とみます。
純粋意識は、普遍的(同じ)で、同時に個別的(違い)だからこそ、あらかじめある、という言い方も間違いでないと思います。もちろん大きくなってから生まれる、とも言えます。切り口の違いです。
意識が意識としてある時を指すのか、意識がループを作って自覚を持つタイミングを聞いているのか? によっても大きく変わります。
後者の場合なら、悟りでも開かないと、本当の意識は生まれないんじゃないかな、と想像。大人はみんなピンぼけしてる、という一面もあります。
質問の意味は、意識があるかどうか?ではなく、意識が、時系列的に完全性から遊離分離するのはいつか? と解釈しますよー。 普通に考えて、こういう質問をするときは、意識が単独で切り離されるときであったり、意識が意識を不完全ながらも自覚するとき、という意味だろうと思うからです。
1.この世の有限性を認識する時ーーー
記憶を形成するような意識の発生の仕方は、環境や性格にもよると思います。
ちなみに記憶とは、それを大事だから維持しようとするある種のループです。
誰かがどんな心の傷も済んでしまったと思えば無いも同然と書いておられたですが同感で、記憶は「在る」のではなく、「維持してる」ものだと思います。あるいは「不安の種だから気にし続けてる」と言えます。つまり自分の無意識と脳に負担を掛けているはずです。
記憶を形成するような、完全性からのずれ、として一時的に観察される意識の発生、という意味なら、相当幼少期ですよね。ずれ、あるいは揺らぎのようなものとしての、意識の一時的存在と捉えます。下の2に書いたような永続的なものではなく。
無限と永遠、という完全性を持って生まれてきても、この世、という有限の時空間と体、と言うこれまた有限性の条件を与えられて、その有限の条件を取り込むときが、意識の発生だと、(言い切れたらいいのだけど)、自信なく言いますが。
個体差はありますが、自分がこの世に生まれてきたんだ、という有限性の自覚をするのは(それによって分離した意識が初めて発生 記憶も発生するのは)、ある種の理不尽を感じたときなので、生体リズムとして24時間の睡眠起床サイクルを獲得したころ、じゃないでしょうか?あれは確か、1ー2才とかかしら。
自分の記憶をたどると、僕が感じた覚えてる理不尽は、この世があること、生きてることの事実でした。生きてるということはいずれ死ぬと言うことで、それが怖くてよく夜泣きしたんですが、ほんとに長い疑問だったんですよー。それはやはり昼と夜を自覚し始めたころだったです。この世って何? ほんとにこんな不完全なものの中で生きないといけないのか? このままじゃ死んじゃうじゃないの??どーしてくれるの? どうしようー、という意味です。
当時そう考えたのではなく、あの当時のもやもやと泣きたくなる恐怖は、あとから分析するとそう言うことだったなーという話です。
物質の存在、世界の存在、おかしいなんでこんなものがあるんだ? という当時の疑問です。
生後しばらくすると、起きたり寝たりの繰り返しをする赤ちゃんが、だんだん24時間睡眠リズムに近づいていきます。
経験があると思いますが、強いメリハリを持った24時間周期で、早寝早起きをしていると、意識は澄んでいます。健康に早起きすると意識は澄みますよね?よりはっきりするといえます。一般論で。
夜の8時に寝て朝の5時にもし起きたら、意識は澄み渡ります、たぶん・・したことないけど。リズムと意識の相関です。
24時間の生体リズムを獲得するのは、有限性の認識により、赤ちゃんがこの世に生まれてきたのを自覚し、自分のボディー、自分を取り巻く時空間を把握し出すころ、それは、24時間のリズムを獲得するころと一致すると思います。24時間の生体周期形成は、太陽の日の出日の入りに自分を合わせよう、という赤ちゃん自身の判断だからです。24時間に合わせようとするのは、赤ちゃんの、生きようと判断した選択です。
(擬人化ならぬ、擬大人化した表現を採っています)
当然それだけメリハリのある自分が生まれるなら、それに伴う意識も明確化するので、これを一つ意識の生まれるとき、とも言えると思います。
記憶の発生も、有限性を捉えるのと同じ時だと思うので、赤ちゃんによっても違うでしょうが、
でも、おなかから出て生まれてきたときは、やはり意識の生じる、ひとつの境目かなーとは思います。
おなかにいるときも赤ちゃんはいろんな変化にはさらされ、それによって脳は、変化という名の有限性により機能するのですから、単独の意識がないとは思わないのですが。でもその意識の発生するゆらぎの振幅は、生まれた後とはレベルが違うんじゃないかな? 階層を感じます。
まだ分析できてないですが、意識の存在にも、段階があると思います。生まれる前後あたりは、複雑な気がしてます。分析はこれからですが。
でも、おなかの中でぷかぷか浮いてるときは、自分や自分の体の存在を自覚するのはやはり普通に考えて難しそう。胎児は、物質的にも、外部と一体化させられてるみたいです。
アイソレーションタンク、という道具があって、液体の中に浮かんで感覚を遮断するのですが(瞑想の補助として使われます)、胎児はずーっとそういう中にいるみたいなものじゃないかと想像します。そういう中では、意識が明確化したり、単独で出張る確率は低いでしょう。
だから一応、外に出てきたとき、と今は見ます。
それと上に書いた、24時間周期を獲得するにつれて、よりメリハリと変化と有限性ははっきりしてきて、意識もそれに伴い、よりはっきり現れる(アバウトな言い方・・)、と思います。
それと、幼い子供の意識が概念を捉えて、全体性であるこの世を部分に分割して、そのパーツを、概念として把握する、そういう流れの上で言葉を生み出すことしゃべり出すことを考えても、同時期かなと。
生体リズム、感覚的な心と自我とリアリティーの形成、意識の発生などの要素は、密接に関係がある、というかコインの表裏の関係だと思ってるので=完全性の複数の切り口だと思うので、意識がいつ生まれるか、というのを単独で考えるよりは、他の要素と絡めて考えてます。
なんかえらく生体リズムに偏った文になりましたが、頭の中ではそんな偏っては考えてません、文が偏っちゃいました。が全部も書けない・・。 有機的な構造を、文だけで表現すると、無理あります。
なので、意識が生まれるのを、意識が先鋭化する、あるかどうかでなく、存在の輪郭が浮き出る、という意味合いに取ると、現在は、生まれてくるとき、そして24時間周期を獲得するころ、この2つは最低限あるかなーと思います。
2.認識の自己循環が生まれる時ーーーー
つまり思春期?
赤ちゃんが、完全であると言いながら完全でないのは、赤ちゃんの持つ完全な意識が完全な自分を見るというループができてないから。
赤ちゃんには、自覚する、というただ一つのポイントだけが欠けていると見ています。周りの人間が引きずり下ろす前に、その完全な自分を自ら自覚すれば、それで十分なはずなのに。
逆に大人になるにつれ、ループの大きさは不完全ながらも、部分的自己を中心とした認識の循環ループができます。~自分を意識する、というやつです。
それは生み出した部分的完全性と現実なので、
意識が生じる、を、意識を伴う、部分的で完全な自分が生まれる、という意味なら、常識的には思春期でしょうし。
本当は全体としてぐるりと循環してるんですが、理解できないことを抱え込んでると、全体でなく理解のできる届く部分だけで循環が起きて、その部分的自分を自分と見なします。
我思う故に我あり的なことを脳がやり出すのは、やっぱり中学生くらい以降ですよねー。他人の言動見てても。僕は20越えてましたが。絶対個人差あります。
でもこの辺りも、あまり深入りすると、論理的にあやしいのでごにょごにょです。
でもやっぱり個体差があるので、何歳、とか言えないですし、なので、このように、そういう脳の機能が発動したとき、という言い回しにしました。大体赤ちゃんの時思春期の時、とかは言えますが、その発生を促す自覚や環境は、偶然に左右されますから。
でも発達心理学や児童心理学での、成長期や反抗期についての記述は、だてにあるものじゃなく、それは認識や意識の、つまり前頭葉の機能的発達を現してると思います。
人格の形成には複雑な階層を感じますし、まだ解けてません。その階層階層に応じてそのレベルに対応した意識が生まれるのは間違いないと思います。
3一生 意識は明確化し続けるーーーー
意識が生まれる、という純粋な意味では、認知が広がることによって、意識はさらに浮き彫りにされると思いますし、迷いのある心や、エゴだけの人格、思いこみの現実を自覚して自分から取り去ることにより、純粋意識は、より明確に自覚されるようになります。
良く人間一生勉強だ、とお年寄りの方が言われますが、つまり一生意識は目覚め続ける、という意味では、僕もあなたもだれもまだ本当の意識は持っていない、とも言えるのではないかと・・ある意味では、まだ本当の意識は生じていない、とも言えるかと。少なくとも純粋意識を実感はしていないはずです。
意識の定義、意識の段階のどれを選ぶかで、全く違う答えになるんじゃないかしら。
意識がいつ生まれるか、というより、意識の質的変化のタイミングを考えるような文になってますが。
悟り、神ぃろいろな宗教的超越概念にたどり着くことで、一段落か・・着いてないのでわからないけど。
以上今現在の、中途の考えです。
ほんともっと解明できたら、もっと短く書けると思うんだけど・・。あと、僕は意識だけを特別扱いして考えたことがないので、関心がいまいち薄い・・
自信がないのでまた長文になりましたですよー。書き殴り文で悪いですが。
No.16
- 回答日時:
kunobouさんが どういう人生を歩んでこられた方なのか全く知らないのに、 失礼な質問かもしれませんが、
“そちらの この質問にて希求するところが 何であるのか”について興味を持ちましたので、少し回答を書いてみたいと思いました。
どういうことかと言いますと、
私たちの意識は、まず、ともかく、知らない間に存在していたとしても 確かに大きな時間の流れの線でも描けばその中のほんの短い線で表わされてしまうような時間の間にしか存在しない意識ですけど、
重要なのは 五感の大地の中に無限ともいえるような豊かな価値を宿し、 また同じ五感などの感覚の中にあってはならない苦痛の世界の可能性も持っていて、 たった今 苦しんでいる人がいるというふうに意識がとらえることができる というところ、その両極の間に 価値という存在を意識できるという事実の中に意識が置かれているということです。
その時にて、
そちらの質問
》意識(心)は、どこからやって来たのか?《
と
》あなたの主体である意識は、いつ、どのように生じたか?《
という質問の価値を kunobouさん御自身が どのように捕らえているのかについて興味を抱いたということなのです。
◎それは、 その起源をなんであれ遡ることで、 つかの間とも理論的線では描ける時間内の巨大な意識の世界の価値を浮かび上がらせたいという 希求があってのことでしょうか?
◎それとも 解かりえないことのあたりに、何かの数学的な記述を成してみたいとかいった論理的希求の世界なのでしょうか?
では、 ともかく私なりの回答もしていってみます。
起源ということでは、おもしろい体験があります。
私は 3歳の時に重い肺炎にかかり危なく死の一歩手前までいって、ぎりぎり外国からペニシリンが間にあって命拾いをしたと両親から聞いている“とある幸運者^^”であるのですが、
が、まず、その事を現在の私の意識は全く憶えていません。
3歳以後のことなら ほんのとある断片の記憶があったりしますが、ここでは略します。
ともかく 3歳以前の記憶が無いのですが、 私は中学の頃、 その3歳以前に私と家族が住んでいたという地域に親に連れられて行ったことがあります。
隣の家のおばさんという人が 私を憶えていて「いやあ 大きくなったわねえ、 ~ちゃん。 それにしても あの元気なかわいい子が こんなに立派になって。
そうそう、 おませというのかねえ、 ~ちゃん、かわいいったらなかったのよ。
私の娘に 毎日会いに来るのだけど、そのたびに「キスしてあげるから お家にあがっていい?」と言って 娘の手にキスをしてから上がってきたのよ」
? ? ? もちろんまったく憶えていないことであるわけですが、 あれれれ?
これってまじめな「私」とは、別な子どもじゃないか? ほんとうに「わたし」だったのか?
ヒュルルルルルと 何故か冷たい風が吹き抜けたかのようなさびし~~い違和感を覚えたのを憶えています^^。
それからさらに 小学5年の頃、私は重い肺炎で右の肺胞が全部つぶれ左の肺胞もあと少しというところから助かってもいる人間、 これって もしその時に死んでいたら私という主体である意識は、 今これを書いてはいないわけです。
が、今 これを 私という存在は、 これを読んでいるだろう時間に“「あなた」という「私という存在」”が読んでいるだろうと想定して書いています。
今 ここ という存在の中にて、そしてこの奇跡の星の上にこの奇跡の五感とともに。
もし、差し支えなければ あなたの希求するところを教えてください。
回答ありがとうございます。
答えになっているかどうか分かりませんが、
自分の追求したい大きいテーマの一つが「自分という存在は何か?」という事です。
その答えを求めるため、様々な本を読み、考え、そして、ここで問題スレッドを立てています。
例えば、
心とは、すべてなんだ
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5331537.html
自分を突き詰めれば、自分でない感じがする。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5445957.html
意識の中に「自分」は存在するのか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5573923.html
等々・・
(因みに、前は、mintarou1 という名前でした・・)
上の質問スレッドを読んでもらえれば、分かると思いますが、
結果、次第に明らかになった事は、「自分という存在が、あやふやである。」
と言う事です。
そこで、現在は、何故あやふやなのか?、どういう風にあやふやなのか?
という、疑問に変わってきて、その辺を、追求したいと思っています。
答えに、なっているでしょうか?
No.15
- 回答日時:
回答番号:No.11です。
>心が生じる時の事です。心が「無」から生じる瞬間の事です。無意識から「意識」が戻る瞬間です。雷よりも早いです。
これは、何の根拠による考えですか?
>>>是は14歳に死に対する恐怖症になって、18年間の苦闘の後に、恐怖症から抜け出した瞬間の事です。後に禅に関する書物を読んでいた時に、出会った書き物を真似をしました。鈴木大拙博士の書物です。その通りという感慨で読んだものです。生死の問題が解決した瞬間の事です。それ以後ぴたりと、全ての不安から解放されました。それから約30年経っていますが、今もその安心感は続いています。この心持が「涅槃」というものと確信しています。絶対の安心という事です。
回答ありがとうございます。
まるで、「悟り」を開いた様な、心境であるかの印象を受けます。
煩悩に包まれている、自分は、煩悩に悩まされて、生涯を過ごす様な気がします。
やはり、煩悩からの解脱は、「哲学」より「仏教」ですかね・・・・
No.14
- 回答日時:
すんません。
付け足しです。意識がどこからやってきたか? という問いですので、それに関連することも足しときます。
仮の話です。
意識が存在するのは、この世が有限だから、と考えています。
僕らが時間や空間を想像するとき、普通無限ではてがないものです。
例えば、ある時に終わる時間とか、ここまでが空間です、とか言うものは、そもそもビジョンすら描けません。
それは、脳の認知に於いて、時間空間を限りのないものという本質として捉えるからです。
ですが、この世は、つまり、時間と空間が組み合わさり物質の存在するこの世は有限です。なぜかはわかりません。物理学の進歩に期待するところです。
物理で時間空間の有限性がある程度出てるのとはまた別に、
僕らがこの宇宙を、時間や空間を認知できる、というのは、それを有限と見なしているからです。
無限である時間、空間、という単独のものと比べて、有限性を持つ時空間に於いては、限り、が発生しています。
その「限り」は、上限と下限を生みます。マックスとミニマムです。
普通の言葉だと、極大と極小かしら。
客観的には、極大は宇宙、極小は物質(素粒子)が対応してます。
で、こっからが止まってるところです。
極大が、主観に対応した世界であることは間違いないと思います。
極小に対応してるのが意識です。
僕は、この、主観と客観の対応に関しては、wikiにおいて、「相関関係は因果関係を含意しない」という項目があるんですが、これと全く同じスタンスです。
相関があるからといって、因果関係があるとは限らない、というのが一番妥当な解釈と思ってます、今のところ。
上の有限性による、主観と意識の作成については、穴だらけで、難しいところです。僕も思いっきり現在進行形ですし。
と言っても、このルート以外の解釈は思いつかないので、掘り下げたいですねー。
まとめると、意識と主観があるのは、宇宙になぜか有限性があるから、となります。ほんまかいな?
回答ありがとうございます。
つっこみと、ボケの両方を自分でやっていらっしゃるので、僕はどうしていいか分かりません。
観客の一人として微笑んでおけばいいのでしょうか?
ちょっと、つっこむと、今の回答は、幼心にいつ意識が芽生えたか触れていません。と、言うか、ほとんどの人が触れていません。
自分も感じてはいるのですが、「超難問」なんですかね?・・・
ともかく、参考になる回答です。
考える、材料にしたいと思います。
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