「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

震電は変わったというか、面白い形をしていますね。
確か後のほうにプロペラがあったと思うのですが、
うまく飛ぶことはできるのでしょうか?
それに武装は超強力だったようですが、
震電があと少し早くできていれば、
より多くのB29を叩き落すことができたでしょうか?

A 回答 (6件)

生産力がどうこうという前提条件を全て無視しても難しかったでしょう。

まずエンジンの基礎性能が違います。B29のエンジンも問題アリアリの代物でした(稼働率が60%程度)が、そこはアメリカの生産力&マネーパワーでなんとかしました。当時の日本では、あそこまでパワー溢れるターボエンジンは作れません。
また、戦略爆撃に対する迎撃戦闘では戦術が大きくモノをいいます。特に夜間戦闘では、レーダーで敵機を捕らえ味方迎撃隊を誘導し効率よく迎撃しなければなりません。日本軍はレーダー網はほとんど全くなく、おまけに信頼できる通信機がなかったので戦闘機隊を誘導することもできませんでした。千葉の先っちょに監視部署を作っても、日没後に上空を通過すればどの方面に向っているかも分からないし、昼間でも雲が出ていれば「音はすれども姿は見えず」には変わりません。

ヨーロッパでは、真珠湾攻撃があった頃のバトル・オブ・ブリテンで英独両軍がもうこういった電子戦を展開しています。アルミホイルをばらまくとそれでレーダーに乱反射され多くの敵機のように見せかけることができるのですが、これはもうバトル・オブ・ブリテンのときに使われていたのです。
また米軍はB17でドイツに対して戦略爆撃を行いましたが、これでドイツ軍に迎撃されて散々な目に遭っています。この戦いで2万人もの若者の命が失われており、第二次大戦の戦いにおいて唯一「負傷者より戦死者のほうが多かった戦い」になっています。欧米の歴史好きの間ではこのドイツ戦略爆撃の是非が我が国のレイテ海戦における栗田艦隊の謎の回頭なみのアツいテーマとなっているのです。

米軍の対日戦略爆撃における戦術は、夜間に低高度で焼夷弾をばら撒くというもので、これが絶大な効果を挙げました。日本軍には本土防衛のためのレーダー網も、夜間戦闘機を誘導するシステムもなかったのでどこかの監視廠から「敵機現る」の通報が入ったら、そこからの報告を頼りにカンで「このへんに来るんじゃないか」と予想して飛び立つものでした。飛んだあとに「やっぱりあっちに行った」ってのが分かってもそれを修正するシステムがない。すんごいいい加減でしょ・笑?一度飛んだらどこ行ったんだか分かんないんです、飛ばした方も。だからパイロットも「死にたくねーなー」と思ったらテキトーに敵に会わなさそうなところを飛んでおくんです。どうせロクな航法装置もありませんからね。

こんな状態でどんだけまともに戦えるかってことを考えればお分かりいただけるかと思います。
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制空圏が無い防衛するてだてが体当たり飛行244戦隊等位では影響ないでしょうよ



被害があれば戦術を変えるアメリカ方式 護衛戦闘機随伴戦爆連合 夜間無差別爆撃

昔ドイツと言う国にME262と言うプロペラ無しの飛行機があったそうなだけど戦争に負けたそうな

もしの架空戦記 旭日の艦隊紺碧の艦隊みたいなら面白いですが
いつまでも零式戦闘機にスバル中島の栄エンジンにこだわり次期戦闘機の烈風の開発が間に合わない
苦肉の策で水上戦闘機強風の焼き直し紫電 紫電改 爆撃機のエンジン火星雷電 
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>確か後のほうにプロペラがあったと思うのですが、



スェーデンのサーブ21
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC% …

という正式採用されて量産された戦闘機というものがあります。
ですんで後ろにプロペラついているから飛べないってことはありません。
また、第二次世界大戦ごろのアメリカも後ろにプロペラある試作の飛行機をいくつも作っています。
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>うまく飛ぶことはできるのでしょうか?


 →牽引型ではなくて推進型となりますので、現代のジェットと考え方は似ています。そういう意味ではそれほど突飛な考え方の飛行機ではありません。実際に短時間の試験飛行には成功しています。ただしジェットとは違ってカウンタートルクが強烈ですので、それなりの飛行技術をもった操縦士が充分な訓練時間を与えられなければ、「うまく」飛ぶことは比較的難しかったのではないでしょうか。

>武装は超強力だったようですが、
 →搭載された五式30mm機関砲はまだ開発されたばかりで、弾頭威力は大きいものの、初速も発射速度もさほど大きくありません。信頼性や弾道特性も不明ですので、現実に強力であったかどうかは未知数でしょうね。

>震電があと少し早くできていれば、より多くのB29を叩き落すことができたでしょうか?
 →多少早く開発に成功したとしても、当時の生産能力では肝心のエンジン量産は無理だったでしょうし、燃料不足で搭乗員の練成もままならなかったでしょうから、おそらくたいした貢献はできなかった可能性が高いと思います。
 よほどのこと(たとえば核とか)がない限り、特定の兵器で戦況を大きく変えることは無理な場合が多いです。
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飛ぶには飛びましたが初飛行は終戦直前の昭和20年8月3日ですしテストを3回で合計45分しか飛行していないですからね。

完成したのもわずか1機ですしね。設計上の性能ではかなりの高性能な機体です。仮に量産されていてもたいして戦火は期待できないでしょうね。所詮は局地戦闘機ですから。小数では戦局は変わらないですからね。
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もちろんちゃんと飛べます。

終戦直前に試験飛行してますので。
完成したとしても、日本国内の生産体制がボロボロなので戦局は変わらなかったと考えます。
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