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こんにちは。
現在19世紀のヨーロッパ史を勉強しているのですが、クリミア戦争がどのようにイタリア統一に貢献したかという質問につまずいています。なんとなく答えは分かるのですが、要素がたくさんありすぎてどの要素が決定的なものなのか答えあぐねています。どなたか詳しい方回答よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

ピエモンテ(サルディニア)王国は1859年の第2次統一戦争以前に


1848-49年に第1次統一戦争を戦っています
その時はピエモンテ王国以外にも教会国家やナポリ王国からも軍が派遣されオーストリア軍と対峙していたのですが
元々イタリア統一に反対な教会国家や反動的なブルボン朝のナポリ王国は戦わず軍を引いてしまい
ピエモンテ王国が単独でオーストリアと戦うことになり、オーストリア軍側もラデツキーのような軍才のある将軍に恵まれたため
ピエモンテ王国は散々な惨敗を喫しました

ピエモンテ王国独力の軍事力では到底オーストリアとは戦えないことは明白となりました
そこでピエモンテ王国宰相になったカヴールはこれを教訓としイタリア半島の他国の援助でなく
外国勢力に援助を求めようとしたのです
彼には他にも思惑があり
それはマッツィーニやガリバルディのように半島に存在する国々が平等な立場で統一を行う自由主義的、連邦的な統一でなく
あくまでピエモンテ王国が他の半島諸国家を吸収合併し中央集権国家を創ることが真の目的でした

そこでその効果的な援助が期待できる英仏にポーズを取るため
ピエモンテ王国にとって何のメリットもないクリミア戦争に無理矢理参加したのです
ピエモンテ王国軍は小国ながら奮戦して大戦果を挙げたのですが
いざ講和会議になってカヴールがイタリアからオーストリア勢力を駆逐するのに手を貸してくれるよう要望すると
英はそんな話は事前に聞いていないと激怒してしまいそれ以降英はその話し合いのテーブルには着いてくれず
話は仏のナポレオン3世としかせざるを得ませんでした

ただナポレオン3世はそもそもイタリア統一に反対であり、教会国家の保護者を自任していたので
カヴールはイタリア統一の事は話さずオーストリア勢力のイタリアから駆逐することだけで同意
将来的にイタリアを四つの国家に統合することで合意しました

実はナポレオン3世も偉大な叔父のような外征戦争での華々しい勝利と
あわよくば北イタリアの統合国家になるピエモンテ王国を衛星国家とし
オーストリアに代わり仏がイタリアに影響力を及ぼしたい思惑があったので
結局はカヴールとナポレオン3世の騙し合いで出来たのが後にいうこのプロンビエールの密約の内容です
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この回答へのお礼

とうの昔に締め切ったつもりが、質問を締め切れていなかったみたいです。遅くなりましたが、ありがとうございます。

お礼日時:2010/11/02 08:48

フランスのバックアップが欲しい、サルディニア王国が、関係ないのにクリミア線戦争に参加した。



イニシアティブを取れなかったオーストラの威信が低下した。
※ 北東イタリアはオーストリア領
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