プロが教えるわが家の防犯対策術!

 本サイトでは、丁寧に教えていただき、いつも感謝しています。

 江戸時代等の各藩の説明を見ますと、必ず石高の表示があります(○藩△家■石等)。石高が領地内の米の生産高を意味していることは承知していますが、それだけでは藩の力のイメージが難しく、実際にどの位の広さの領地を支配していたのか、可能なら知りたいと思っていました。なお、領土の広さ=藩の力 でないことは分かります。そのことについてのご意見は無用です。

 ネット上や図書館で閲覧できそうな本で、地図上に大名家の領地を図示(色分けや、線で囲う等)されているようなものはないでしょうか(大雑把ではなく、できるだけ正確に区分されたもの)?1万石のイメージをすることが希望ですので、大きくても5万石未満の大名のそれがあるとありがたいです(1万石に近い旗本等のそれでも結構です)。特定の大名家のものでもよいですし、ある地域をその地域に存在していた藩や旗本等の領地毎に色分け等をされているものでも良いです。地域の特徴で大きさが違うこともあるでしょうから、可能なら地域や特徴が違う複数例を挙げていただけると幸いです。

 また可能なら紹介いただいた藩の支配していた村の数や村毎の石高を伺えると幸いです。石高が高い藩はより多い村を支配していたことは確かですから、藩に対するイメージの補強になると考えます。

 私は、平日はこのサイトを見ることは難しいです(休日でも見れないこともあります)。お礼が遅くなることについて、あらかじめ御了承ください。

A 回答 (2件)

http://www.geocities.jp/jamillahouse/wake/03/wak …
常陸宍戸藩の地図が乗っています。
表高一万石、実高10,184.79300です。
石高はこちらで調べました。
http://homepage3.nifty.com/ksatake/libinde.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 秋田氏は、安東氏の末裔の大名でしたね。江戸時代は三春藩の大名だったイメージが強いですが、宍戸を領していたこともあったあのですか。
 
 ホームページの文面は興味深いものでした。率直なところ、会津藩・平藩・水戸藩等の緩衝となる大名が間にあっただけに、陸路では難しかったとは思いますが、確かに海路なら可能だったのかもしれませんね。

 もっとも、秋田氏は関が原の合戦では東軍に属していたはず。なぜ実高が減になる転封があったのか、なぜ徳川氏に不満を抱いていたのか、謎が深まりました、

 ありがとうございました。

お礼日時:2010/03/19 22:01

間違いました。


サイトの地図は、秋田家5万石時代のものらしいです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!