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 那須大八郎は命令で椎葉の里に赴きました。
 那須大八郎と鶴富姫の人生の話を架空的伝説とお考えの方もおられることは存じておりますが、ここではそのことは論議や検討をしないことにさせていただきます。
 稗搗き節などに歌われるこの人生物語の時代は、九州向山の合戦後・そして実朝の頃のようです(1205~1219) のようです。

 【質問】
1. その頃のこういう人(那須大八郎と鶴富姫)たちの平均寿命や、成人年齢など想像はできないでしょうか?
2. 那須大八郎と鶴富姫が出会ったときの大体の年齢の想像はできないでしょうか?

 【関連質問】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5785441.html?ans_cou …

A 回答 (1件)

日本人の平均寿命はほんの100年前まで40歳台でした。

これは若くして亡くなる人がとても多かったからです。明治、大正の文人とか詩人とかじゃ30代で亡くなっている人がとても多いです。当時は結核が日本人の死因第一位だったんじゃないかな。
鎌倉時代の平均寿命は、信頼すべき統計が存在しないので想像の域を出ませんが、運が良ければ60歳くらいまで生きられたでしょうが、20代、30代でちょっとした病気をこじらせて亡くなることは非常に多かったでしょうね。ちなみに私も24のときに盲腸をこじらせたのですが、外科手術が可能な時代で可能な国にいましたから死なないで済みましたが、そうでなければそれが原因で間違いなく死んでいたと思います。
いつ死ぬか分からない時代ですから、成人は15歳前後でしょう。当時の元服は15歳くらいだったといいます。男女とも、子供を作れる年齢になったらさっさと結婚したでしょうね。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 織田信長の人生50年は現実だったのですね。
 誇張か文学的表現化と存じておりましたが、長くて50年、現在の長寿が百を越えるのに相当するのが60歳を越える、還暦を過ぎるという事でしたか。古希は允に稀ですか。70にして矩を越えずは長寿以上ですね。
 那須大八郎は長くて50年。まぁ40歳から50歳くらいまでの人生。
 鶴豊姫は50歳を少し越えて。
 お互いの遭遇は、14歳から18歳前後ですか。
 夢のような年齢です。この傘寿に突進している私には。

 允にありがとう御座いました。

お礼日時:2010/03/31 09:30

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