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恥ずかしながら私は学生時代成績は優良でしたが、交友関係は実に怠惰な生活を送っていまして、同窓の学友は低学歴の単純労働者や平凡な会社員であったり専業であったりと、褒められた面子ではありません。

ところでそんな彼らは例にも漏れず今回のゆとり教育廃止を喜んでいます。
ネットで国士様が喜んでいるのと大して変わりの反応をしています
私にはこれが不思議でなりません。

彼らは日本の教育環境下における負け組みであり、不良品、出来損ないです。
彼らの落ち零れっぷりを私はこの目でしかと見ていました。
ボロクソに罵られた詰め込み教育下の落ち零れですから、その程度たるや皆さんよくご存知かと思います。
カリキュラムを満足にこなせず、その最終的到達地点である最高学府においてもしょぼくれた場所にしか籍をおけなかったのです。
その彼らが熱心に公教育を妄信する理由が分かりません。
もし私が彼らの立場であれば、まず公教育に対する不信感、疑いが芽生えるでしょう。
何故なら自分自身こそが、どのような教育(この場合ゆとりに対する詰め込み)を施そうと処置の仕様がない出来損ないが出来上がるという素晴らしい見本だからです。
学校教育のカリキュラムの過多で知的活動領域が改善されるとはとても考えられないでしょう。
むしろ学校のお勉強についていけない子供が、悲惨な境遇に追い込まれるのではないか、など不安を感じるのが当然ではないでしょうか。
何よりもっと単純に、出来ないのであれば内容と量を減らすのは当然のことであり、「ゆとり」は彼らにとって喜ぶべき政策のはずです。
こういった発想は一切せずに、公教育のカリキュラム濃密化が雑多な青少年問題を解決すると妄信している彼らは一種滑稽にも思えます。

私であれば公教育への不信に始まり、この科挙的受験体制と、それを支える為に存在するとしか思えない教育システムに対する疑念が生まれるでしょう。
そしてより抜本的な解決を望むはずです。

私は一応勝ち組であり、体制下における「優良品」ですから、当然詰め込みに戻すと聞くと「まあいいんじゃないかな。」と考えます。
当然のことですよね。自身の成功体験が根底にあるのですから。
しかしそれでも今回の措置に疑念を抱いているのです。
それなのになぜ不良品たちが、自己を顧みる事もせず、公教育(付け加えるなら自身に施された公教育)をひたすら妄信出来るのでしょうか。

A 回答 (13件中11~13件)

言いたいことは理解できるけど、貴方の質問は回答者の反発をくらう書き方になっています。


1.自分を勝ち組と言うこと
2.学友を負け組みと言うこと
この二つをやめるべきと感じました。
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自分を「勝ち組」といい、友を「不良品」と罵るその品性・・・・。

あなたに国の教育を語る資格はない。心を育てることができなかった者こそ不良品だよ。公教育そのものは言ってみりゃふるいだ。教育と言うふるいにかけて出来るものと出来ないものとを仕分けするんだよ。出来るものはそれなりの道に進めばいい。出来ない者もまたそれなりの道に進めばいい。ただそれだけのことだ。しかし、あのゆとり教育とやらは国の知的レベルまで下げてしまう、全く近視眼的な取り組みだった。それが反省されたわけだ。まともに国のことを考えている者なら、学歴があろうが無かろうがゆとり教育の廃止に賛意を表すだろう。それが国民と言うもの、国民の知恵と言うものだよ。知恵には学歴も何も関係ない。まあ・・いいけどね。
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盲信しているのではなく、それに代わるものが無いだけです。


理念はともかくとして、実際の運用に限って評価すれば
『ゆとり教育』よりも『詰め込み教育』の方がマシです。
少なくとも、より多くの、あるいは高い・深いレベルの教育を
受ける機会が得られるという点でですが。

勝ち組・負け組という二元評価はの是非はおくとして、
勝ち負けは相対的なものでしかありません。
カリキュラムがどうであれ、優劣が発生するのは自明です。
教育内容は、その分水嶺を高くするか低くするかの問題で、
同じ条件下での優劣は、本人の努力の問題でしかありません。

本当は、習熟度別にカリキュラムを組み、学歴が学力を保証するものに変えるのも
学力に限った『負け』をつくらない方法かも知れません。
ただし、やはり中学レベルの学習内容に対応できない人がいるのも現実ですから、
取得できる学歴や、取得した年齢を以て、勝ち負けを云々するようになるかも知れません。
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