【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

ネットのブログが増えている理由。


最近ブームになっているものにブログというものがあります。
その中に、読んだ人のコメントを受け付ける機能を<持っていない>ブログがある。
コメントを受け付ける機能はあるはずですが、故意に受けつけないように設定されていると思います。


オーナが独語を言っているような状態。
コメント機能がありませんので、読んだ人は発言できませんので「それは違う」と思っても教えてあげることはできません。
他の人の意見を最初から求めていないというブロガーの、一方的で独善的な言い逃げ状態に思え、「何故そんな<損>なことをするのか」と疑問なんです。


これは単に異なる意見を恐れているから、コメントを受け付けないようにしているのでしょうか?
それともこのようなブロガーは、自分だけの世界を望んでおり、、他とのコミュニケーションにより成り立つ社会を拒絶し、殻に閉じこもっているニートのうようなことを仮想世界で実現することで、現実の埋め合わせを仮想世界を使ってやっているのでしょうか?

しかし、合点がいかないのは、それなら誰もが見えるインターネットに、自分の主義主張を書く必要は無いと思うんです。
他を求めておらず、自分だけの自分中心の世界だけを望んでいるわけですから。

ということは、実は他を求めている、他人に自分の意見を知ってもらいたがっている、という外部に対する期待が現れているから、誰もが見れるネットに公開しているのでしょうか?
(機能を使って非公開で自分だけが見れるようにもできるのにやっていない)

しかし 私から見るとその行為は、幼い。
まるで幼児がよくやる<言い逃げ>のように見える。


他の意見は自分を痛めつけると思っていて、恐れからコメントを受けず、言い逃げのような状態になっているのでしょうか?

<人間は相互の干渉により、成長が促進される だから人間は集団で生活をしている>ということを知らないとしたら、すごく損なことをしていると思う。
子供なら経験が少ないので、相互に干渉しあうことに有意義さがわからず、いいっぱなし 言い逃げはやっても不思議ではないのですが、大人がやるってのが理解できません。



自己確立をする前に他とのコミュニケーションを断絶するってのは、我がまま、独善的、ストイックな人格にしかならず、コミュにケーソンの経験をつめないので、結局は自害をしていると思えるのです。


大学の心理学で非コミュニケーション・コミュニケーションの断絶の一つとしてインターネットのブログがあげられていました。
ただし、発信のみのブログが<増えてきている理由>が説明されていなかったので、増えている(好まれるようになってきている)理由の心理がお分かりになる方がいたら、よろしくお願いします。

推測でもかまいませんので、よろしくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

ブロガーです。


基本的には、kigurumiさんと同じ意見です。

拙ブログは、コメント・トラックバック承認制にしています。
ブログは、コメントやトラックバックのやりとりで、自分と似たような・あるいは違う価値観の方とつながれるのが楽しいのになぁ、と思っています。

コメント不許可のブログを不思議に思っております。
ただひとついえるのは、非常にお忙しい方の場合、コメント・トラックバックを閉じるケースがあるようです。でもそれは、ここでご質問なさっている意図とは違う、きっとレアケースですよね。

ブログを更新していると、アクセスが徐々に増えるのが励みになることは確かです。
ブログでつぶやくことで、自分が存在し、ものを考えていることの証、となるでしょうか。
答えにならず、申し訳ありません。

この回答への補足

恐らく私の失言に関する内容にコメントを書いてくださった方だと思います。

すごく納得して、ベストアンサーをつけようと思っていたのですが、一方的に「こういうことですね」と書いて締めてしまっては、違った場合、「違うよ」という返信ができなくなってしまうと思い、もう少し待ってみようと、締め切らずにおきました。

しかし、何を血迷ったか、サポートの人は、あなたから返信されたものを削除してしまっており、私はどういう返信が帰ってきたのか、確認ができませんでした。 涙。


でも でも 多分 恐らくですが、あなたの返信が私がどうしても突破できない壁を破る力を与えてくれたのだと 多分ですが思いました。

あなたの返信で、すっごく納得したんですもの。

「そういうことか」って。

何故日本人は、ダイレクトに物事を言わないのか。
それが相手に対する礼儀であると知っているから。
礼儀的無視の類を日本の文化は持っているので、銃社会ではないわけですね。

おくゆかしさ は海外からみたら「はっきりしない ずるい」という感覚でしょうけど、日本の美なのですね。

失言とは言い間違いではなく、本当のことだと思うことをズバリ言ってしまうこと。
わかっていても言わない という礼儀をしないのが下品なふるまい。 日本人らしからぬふるまい。

ですが、それでも「王様は何もわかっていない、正しいことがわからぬ盲目と一緒。王様は聞き分ける耳を持たないドンキー」と吐き出さないと、たまりにたまってしまう。
それは日本人も同じ。

そんなところに、「王様の耳はロバの耳」と言えるブログが登場した。
だから、おくゆかしいが嘔吐しそうなほどたまりにたまって臨界期に近い状態になっている日本人は、心置きなく吐き出せる返信機能の無いブログに吐き出すことで、健全な精神を保とうとした。

なるほど!
ということは、講師のブログから感じる畏怖は、不必要なことだったと言えます。
今度講師にそのことをつきつけてみます。

本当にありがとう。
あなたはヒーローです。

Did you ever know that you're my hero.
you are the wind beneath my wings.
You let me fly so high.

thank you thank you thank you.


それより roseかな?
http://ww3.enjoy.ne.jp/~oyf/rose.htm

北風吹き抜ける中において、春の兆しを感じました。

削除されてしまったので、捕捉欄にお礼を書くことになってしまい、申し訳ありません。

補足日時:2010/04/13 20:03
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この回答へのお礼

なるほど!!


カウンセリングでも、クライアントが一方的に喋りますね。
他人のもわかるように整理して話をしなければならない。
そのために整理して話をするので、一人で考えているときよりも、気づきや発見が起こりやすい。
それでカウンセリングは有効とされるのだと思います。

それと同じ効果を返信機能の無いブログに求めてやっているというのなら、納得がいきます。


>ブログでつぶやくことで、自分が存在し、ものを考えていることの証、となるでしょうか。

デカルトですね。

お礼日時:2010/04/08 18:33

> どうして自らを滅ぼしたいの?



/質問者さんの推奨とは真逆の意見もあります。
「黒いオーラ」攻撃から逃れ、わが身を守ることも必要なのだと。このサイトでも、よく言われることですね。
過干渉好きの人から逃れることも同様です。過干渉というのは、相手も自分も潰しますから。

ただし、過干渉の人というのは、扱いが難しいものです。最後は、たいてい、何もかもが滅茶苦茶にまでならないと終わってくれない。それは、過干渉の人自らが招いたことなんですが、当の本人は、やってることが極端なだけに、その極端さを分からせるために、これまた極端さを以って思い知らせないと終わらない場合もある。

なお、「質問に対する回答」が得られたなら、さっさと締め切ることは、サイト自体の推奨ですね。

ブログなんかは、まず第一に、見ないことを閲覧者は選べます。
こういう、遣り取りの対象がはっきりしているQAサイトに比べても、まったく自由なのですから、にもかかわらず、部外者が熱狂的に関心を持たずにいられないという、そこがそれこそ、わたしにとっては、なんとも異様な光景なんです。

恐らく、こうした人も、異常に過干渉の傾向性が強いのではないかと思っています。
要は支配欲との関連性ですね。
そして、そのまた底には、それらからすると意外なものも潜んでいるのでしょう。

門外漢のわたしですが、もし、心理学としての追究対象とするなら、支配欲が強過ぎる人の、過干渉という行動現象のほうを研究するかもしれません。その行動の底には、恐らく強い劣等感や妬みなどがあるでしょうから、それが何に起因しているのか、とか。
そのあたりは、社会全体の価値観を伴う動向にも、必ず関連しているはずです。

この回答への補足

す。。。すごい マシンガントーク。
遠路はるばるお疲れ様です・・・

ひとまず、まあ 落ち着いて。
返信がきてから、次の投稿をしましょうよ。
そうじゃないと一方的は発信なりディスコミュニケーションになってしまいます。

ここはリードオンリーのブログではなく、会話をすることで成り立つ場所なのです。
ローマカトリック教会とは違うんです。
リードオンリーの世界を世の隅々まで広げる光の勢力と、それを阻止する闇の勢力。
そうやってキリスト教は勢力を伸ばしましたが、そのような世界にあっても、まだ希望は残っているので、何世紀にも渡り、支配されつつも絶望せずに済んでいたのだと思えるんですね。

エコンザイムって皺取りクリームのことかなって思っていたので。

ロスト・シンボルが面白かったので、上下を4時間で一気に読んだ私ですが、さて、返信をしようかと思ったが、あなたの文章に限っては、サクサク読めず、どう調理したらいいのか、戸惑っています。

難解な文学ですので、消化するまで時間がかかりそうです。しばしお時間ください。

補足日時:2010/04/12 09:49
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この回答へのお礼

返信ありがとうございました。
解決しました。

お礼日時:2010/04/13 20:05

 no10ですがどうも伝わっていないようで書き直します。

no13さんの見解を前提として考えれば返信目的以外の目的で百歩譲ってkigurumiさんの見解の人を前提に考えればブログに掲示するのですから大凡見られたいという願望を持っている人であると推測するわけです。無論違う目的ではないと考えた上でです。
 その上で尚且つ意図的に返信拒否を行っているとすれば恐らく掲示した内容を無き者にされたり罵倒されたりなどの『予防』を目的としているのではないかと考える訳です。

>私が疑問に思っているのは、それはそれでいいのですが、それが何故自室ではなく公園でなければならないのか ということです。隔たりです。詳しく言えば自己啓示による自己満足を邪魔する人を隔てたいという意味です。自室で つまり クローズドでやればいいだけのことじゃないですか?>

なんで掲示するんだからクローズしないということなんじゃないの?
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

弟切草という映画を昔見たことがある。
とっても怖い映画だと聞いていたので観ないでいたが、面白いよという評判に誘惑されてみてしまった。

きゃーーーー 怖いぃぃ
と、しょっぱなからおどろおどろしさに、顔の前に手をかざしながら、指の隙間から我慢して見続けた。

スプラッターものは嫌いなので、もう だめぇぇぇ と思いつつも、他人が言う「おもしろさ」とはどれなのか知りたいという興味が勝ったので、耐えて見続けた。

「僕を見てーーーーーーーー!」と姉の格好をした弟が自分の目にナイフを突き刺すシーンでついに悶絶・・・・。

「ああ・・・・・」と思って果てた。


「僕を見て」とナイフを自分の目につきさす。
もう このようなことをする弟から目をそらすことはできなくなるわけです。

しかし、弟は姉の注目を集めたかったのではない。
父親に向かっての訴えなわけです。

父親は娘を愛していたが、愛しているからこそ手を出せなかった。
が、手篭めにしたいという欲望の結果 弟に女装させて姉として手篭めにし続けた。
しかし、弟は父親は自分を愛しているのではなく、姉の代わりにして自分を利用しているだけだと知っていた。
どんなに求めても決して報われることは無いと知っていた。

それで、父親の愛を奪う姉を館におびき寄せた。


悶絶ぅぅ。
これ おもしろいですかぁ? この心の歪みがおもしろいんですかぁ???



>なんで掲示するんだからクローズしないということなんじゃないの?

えーーー おもしろいんですかぁ。
姉の前で開示する弟の行為がおもしろいんですかぁ。
いやーーーーーーーーーーーー!!!!

お礼日時:2010/04/12 09:30

No4です。


まだ、締められていないので、再回答させていただきます。

当方は、別に心理学の専門家ではありません。

先の回答でも、書きましたが、
ブログは、単なる1つのツールであって、そのツールを用いる人が、自分の目的に合わせて使用しているだけです。

分かりますか、ブログのオーナの目的ですよ。
質問者さんの目的とは、違うということです。
そして、他人が、その目的を知りたいのであれば、コミュニケーションを取る必要がある。
ただ、ブログのオーナは、コミュニケーションを目的としていない。だから、コメントを受け付けない。
その目的は、あなたの言う、選挙活動、宣教活動、公報活動などである場合もあるし、また別であることも。

>このマイワールドが超常現象系だったりすると、「んなわけないだろーがー」と突っ込みいれるコメントを打ちたくなるが、言わせてもらえない。

この発言がすべてではないですが。自分は、なにか返信したい。
しかし、相手が、その返信を拒否する。
したがって、自分は、相手から必要のない人間と判断されているのではないか。
もっと言えば、自分は、この世界で、必要がない人間ではないのか。。。
そんなことはない、私に発言の機会を与えてくれ。

と、まぁこんな心理状態に陥っている、ように感じました。

勝手な憶測です。

>発信のみのブログが<増えてきている理由>

これは、利用者の増加に伴い、利用する目的の多様化によると思います。
上でも書きましたが、コミュニケーションを必要としない目的での利用が増加しているからです。

この回答への補足

じゃあ じゃあ 一人会話のブログ作ってみようかな。
そうすれば、こいつマジやばい とわかってくれるかも。

ただ、私できるかなぁ・・・そんなこと。。。
まあ 気が向いたらやってみせますので、その時は覗いてみてください。

補足日時:2010/04/12 00:57
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この回答へのお礼

最返信、ありがとうございます。

>分かりますか、ブログのオーナの目的ですよ。

ええ、何故、自室ではなく公園なのか。
その公園でなければならない理由かわからないから質問しているんです。
私がうまく説明できないので、(自分では説明したと思っている)、同じことを何度の言うことになってしまうのだと思いますが、、、、、

>他人が、その目的を知りたいのであれば、コミュニケーションを取る必要がある。
>ただ、ブログのオーナは、コミュニケーションを目的としていない。だから、コメントを受け付けない。

他人に干渉を受けたくない、でしたら、自室でやればいいのに、何故自室ではないのかの問いに、「本人はブログは自室だと思っているのかもしれないよ」といわれれば、「ああ なるほど」と思います。

ただ「この記事を公開する」を選んで公開しているということは、少なくとも自室ではないという認識はあるのではないかと。
しかし「公開」の意味を「ブログに繁栄させる」という意味だと捉えていた場合、本人はまさか他の人も見れるところに日記がアップされるなど思っていないので、誰か見ていると思わず、服を脱げるのではないか と。(あくまで比喩です。)


>この発言がすべてではないですが。自分は、なにか返信したい。
>しかし、相手が、その返信を拒否する。

いえいえ、どう説明すればいいでしょうね。
例えば、駅のホームで「そうなんだよぉ だから俺言ってやったのさ 馬鹿かって」という声が聞こえてきたとする。
「ん?」と思ってそっちを見る。
その人以外まわりに誰もいない。

「そうそう そうなんだよ だからさ」とかさらに言っている。

ん? 携帯? でもない。目線の先に誰か居るように喋っている。
何か見えているの?
「ねえ 幽霊でもみえるの? ねえ すっごいマジ怖いんですけど それってなに?」という、なんといいましょうか、不気味さ?に警戒心が頭をもたげてしまうんですよ。

もちろん そういったとき「誰と話をしているの? 教えて」と話しかける勇気はありません。
かわりに「ねえねえ 今日こんなことがあってさ、これってなんだと思う?」と友人に聞きます。

「よっぱらっているわけでもないし、携帯でもないし、、、、ほんと 誰かと話しているように話していた」と状況を説明し、これはなんだと思うのかお伺いをたてます。

この場合、シャルルボネ症候群ではなく、統合失調症による幻聴・幻覚が起こっていると思うので、話しかけない。

だけど ネットでこれほど統合失調症の人がブログで会話するかな? 内容を読んでも別段おかしさもないので統合失調症とは到底思えない。

ではなんなのか? この現象は? と思っているわけです。

ほら かくかくしかじかなものは、心理学ではなんと命名されていますか?という質問よくあるじゃないですか。


>と、まぁこんな心理状態に陥っている、ように感じました。

というわけで、はずれでございます。


>コミュニケーションを必要としない目的での利用が増加しているからです。

例えばデズニーランドを一人で貸しきるとかですか?
つまらなさそう・・・

お礼日時:2010/04/12 00:51

no10ですがまず自己啓示というのは造語で自らの示したい事という意味に捉えてください。



>難解すぎて、私の馬鹿な頭では、到底理解が及びませんでした。>

じゃあその馬鹿な頭にも分かるように説明します。


>>壁が欲しいんですよ

これは 広告を貼る電信柱とか、デパートの外壁とか、ネオンを点滅さるためのビルの屋上とか、そういう意味でしょうか?
それとも隔りが欲しいってことでしょうか?>

隔たりです。詳しく言えば自己啓示による自己満足を邪魔する人を隔てたいという意味です。



>壁を作るというのは、壁を作り他と隔たりを持つことで、自らを超越した存在にしたてあげるとかそういう意味ですか?>そういう意味です。


>「自慰をみんなにみてもらって何が悪い 自分は自慰している姿を他人にみてもらうことでなにより自分が快楽を感じるのだ。それだけを望んでいるのだ」というのなら ヘンタイと呼ばれても仕方ないです。>

ということはあなたはそのようなタイプに対して違和感やむかつきを感じる?とそういう訳ですよね?なので変態と呼ばれてもおかしくないです。などという評価を下す。

>ちょっときつい言い方をしてしまって申し訳ありません。
が、あなたの今回のやり方には私の理解が到底及びません。>

w理解できない存在が怖いんですか?

>他の方が言うように「自分の意見を整理する」という意味で返信機能の無いブログを使っているというのなら、そのブログは存在価値があると思えます。確かにそのブログは現実世界の中に存在する。>

自分の意見を整理する位ならわざわざブログにする必要はないでしょう。

>ですが、公開自慰目的で返信機能をつけないというのには、現実が無い。>

そんなことはないでしょうそれこそ差別でしょ?自分がそのような人を差別している事に気がついていますか?
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この回答へのお礼

お待ちしておりました。(リツコ調で読んでいただけるとうれしいです。)

>特に自己啓示を実現するためにはよいツールな訳で自己啓示に自己満足したいという人がその主でしょう。
>自己啓示というのは造語で自らの示したい事という意味に捉えてください。

私が疑問に思っているのは、それはそれでいいのですが、それが何故自室ではなく公園でなければならないのか ということです。

自室で「我は神なり」と壁に張っていようと、オタクが部屋にたくさんのアニメコレクションをしていようと、それはそれで個人の趣味ですから、他人は人の部屋がどうなっているか知ることは無いので、知らないものに反応のしようがありません。

何故自室ではなく、みんながいる公園で「我は神なり」と書いた紙をぶら下げて立っているのか ということなんです。


>隔たりです。詳しく言えば自己啓示による自己満足を邪魔する人を隔てたいという意味です。

自室で つまり クローズドでやればいいだけのことじゃないですか?
何故いろんな人が行きかう場所でオープンするのかと聞いているんです。


>ということはあなたはそのようなタイプに対して違和感やむかつきを感じる?とそういう訳ですよね?

いえ、不可思議さと戸惑いを感じているんです。
私の理解では、他者からの注目を期待する発信だから、自室ではなく公園でやっているのだと思うんです。
つまり 他人の存在を知っており、その他の存在に向けて信号を発している。

これはテレビも同様です。
北朝鮮の放送はまた別種類ですが。


ご存知だと思いますが、ブログは公開・非公開を選べるんです。
私の目にとまったということは、ブロガーは公開を選択している。
つまり他者に読んでもらうということを前提に発信している。

自分の頭の中まで誰も覗き込みはしませんので、黙っている限り、私の考えは他者はわかりようもありません。
しかし 私が言葉という媒体を通して発信した場合、私の考えの一部が外に出ることになり、それは他の目にさらされることになるわけです。
他の目にさらされた以上、反応があるわけです。
その他の反応がイヤなら、黙って何も言わぬことです。
言葉に変換しければ、自分は発信していないので、自分とは異質のATフィールドに、自分が発したものがぶつかり、跳ね返ってくることは無い。
(ATフィールドとはわかりやすく言えば、心の壁)
他者の持つATフィールドに自分が発した信号がぶつかり、跳ね返ってくることを恐れているので、跳ね返ってこないように、返信ができないようにするのではないのでしょうか。


pingを打てば必ず返って来る。
pingを打っても結果が帰ってこないというのは、不可思議な現象です。
相手のパソコンがダウンしたか、ブラックホールに飲み込まれたのか。
そして、発信オンリーは、ブラックホール現象を望んでいるのではないか つまり虚無の世界を望んでいるのではないか、自滅を望んでいるのではないか とも思えるのです。
そのふるまいに怖さがある。

その怖さを教授が無意識ながら感じ取ったのではないかと思えるんです。
教授が問題にしていたのは、情報発信系ブログのことではなく、みんなぼっち系ブログのことではないかと。
みんなぼっち とは みんながひとりぼっちという意味の造語で、ネットである人が使っていた。
ディスコミュニケーションに陥り、たくさんいるのにひとりぼっちである状態。


>w理解できない存在が怖いんですか?

このような虚無の広がりを感じることなく、のんきにしていられるあなたがうらやましいです。
自分には関係が無いと思っていても、あるとき突然あなたは虚無の存在を知覚し、知覚したときはもう手遅れ という自体に陥るかもしれません。
「kirugumiが言っていたのは、このことだったのか」と虚無に飲み込まれながら気づいたところで、もうどうにもなりません。

人々が何故虚無の広がりを受け入れるのか?
虚無だと思っていないからではないかと。

ひたひたと忍び寄る影の存在に気づいているか気づかないかの違いであり、差別とは全く別物。

http://www.geocities.jp/alfa_9xi1003/tanpenshous …

4番目の歌詞が今の私の心情です。

お礼日時:2010/04/11 09:54

 まさに仰る通りだと思います。

壁が欲しいんですよ。特に自己啓示を実現するためにはよいツールな訳で自己啓示に自己満足したいという人がその主でしょう。別にそれが悪いことでもないし幼稚でもないです。おそらく壁を作るというのはそのブログの主を貶める人を隔離する目的があるんだと思います。
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この回答へのお礼

返信 ありがとうございます。

が、しかし難解すぎて、私の馬鹿な頭では、到底理解が及びませんでした。


>壁が欲しいんですよ

これは 広告を貼る電信柱とか、デパートの外壁とか、ネオンを点滅さるためのビルの屋上とか、そういう意味でしょうか?
それとも隔りが欲しいってことでしょうか?


>特に自己啓示を実現するためにはよいツールな訳で自己啓示に自己満足したいという人がその主でしょう。

すいません 自己啓示って初めて聞いた言葉なのですが、どういう意味なのでしょうか?
神の啓示という単語は現在使用されていることは知ってますが、自己の啓示って聞いたことがない。

統合失調症の人の中には、自分の頭の中に沸いたものが、自分の考えではなく、自分以外の誰かが自分に言ったと知覚するいやゆる幻聴という症状を起こす人もいるそうですが、本人は自分の考えだとはわからず、宇宙からの電波かなにかの媒体を使って脳にメッセージが届いたという知覚で、他の人は自分の知覚するものを知覚しないことから、自分は特別な存在だから自分にしか啓示が来なかったと思い込む、そういうような症例のことが自己啓示って意味ですか?



壁を作るというのは、壁を作り他と隔たりを持つことで、自らを超越した存在にしたてあげるとかそういう意味ですか?
いわゆる 罪と罰のラスコーリニコフが殺人という踏み越えてはならないライン(今回の場合は壁)を踏み越えることで自分を神化しようとしたように、ロスト・シンボルのザカリーが自らを神に生贄として捧げることで初源の神を殺して生贄に捧げ自分を神格化しようとしたように、初源の神を殺すという踏み越えてはならないラインを超えて神になったマルドゥックのような、そんな錬金術のことを言っているんですか?

確かにこの世は等価交換で、何か今以上のものを得る場合は、代償に今持っている何かを喪失しなければならない。
それが古よりあった失われし言葉。啓示。

他の方が言うように「自分の意見を整理する」という意味で返信機能の無いブログを使っているというのなら、そのブログは存在価値があると思えます。確かにそのブログは現実世界の中に存在する。

ですが、公開自慰目的で返信機能をつけないというのには、現実が無い。

みなさんと会話をしていて、そのように感じてまいりました。
それもやはりみなさまと会話ができたからそこ、そこに至れたのだと思っております。

お礼日時:2010/04/10 13:18

(前回の続きです)



> んーー 自己顕示欲が強い場合はどうでしょうか。

/その場合はその場合。で、その場合には、どうだとお考えなのかは知りませんが、質問者さん自身、ご自分を振り返ってどうなんでしょうか。

ところで、このサイトでも実際あったことですが、ある人が、まるで読んでもいない本の内容や、まったく見てもいない映画の内容について、いかにも見た読んだかのようにトクトクと長口舌の演説を振るう。自分が知らないことは知らないと正直に言わない。さも詳しく知ってるように言う。しかも断言口調だと。これって、学問、特に科学系などの学問では一番やっちゃいけないことじゃないですか。

こういうQAサイトとか相手がはっきりとある場で、嘘情報や悪意を、もっともらしく「回答」として投稿するかたちになるわけで、読んだり見たりした人たちから、実際と全くかけ離れたことを言っているのは問題だ、とか、「今まで、こんな調子で人生やってきたのか?」という苦情を何人もの人から言われていた。
ところが、ご本人、それら苦情をてんで聞き入れているようすもなく、相変わらず自己満足のマイワールドにどっぷり浸ってるとしか思えないことをガンガンやり続けるんですね。

つまり、どうやら、何事によらず自分自身の実地体験が不足なのか、他人の話を盗み聞きしては、そこから勝手に膨らませるだけ膨らましてアレンジし、あたかも自分自身が直に経験しましたよ、として心の目も耳もガッチリ塞いで、口だけ大声で喋り続けているようなことで、それこそ質問者さんが言う批判を、そのまんまやってるわけです。
この人については、他の人から、「冒頭から黒いオーラがモヤモヤ立ち上っていることが相手に嫌がられる原因になっているのが自分で分かってないのか?」という批判も聞いてます。

こういう人は、直接的なコメントの遣り取りをしたところで同じことでしょうね。心の目も耳も塞いで口だけ動かしてるわけだから。見かけはともかく、実質は自分一人の世界です。コメントを受け付けようが受け付けまいが、自分の心の目と耳を塞いでしまっているかぎり、質問者さんが言う批判そのまんまです。

ご自身が言った「幼い」という批判が、逆に♯2さんに指摘された。質問や遣り取りを見てて思ったのは、
> 第三者は自分にとって都合の悪いことも言うので、それをさせないために返信機能をつけないのかなぁ と思います。

ご自身が実際にブログなどをされたら、まさに、こういうことになりかねないですね。もの凄い批判コメントが押し寄せても、いかにも聞き入れますよというのは見せかけだけの姿勢、心の目と耳を塞いで口だけ喋り続けるという。

たとえ「誤訳」であっても、いや、誤訳と分かっていても、なぜ聖書から、信者以外も含めて、多くの人が、深遠なものを汲み取り続けることが可能なのでしょうか。
誤訳っていっても、質問者さんの解釈がどの程度のものか知りませんが、これにもいろんな場合があるわけです。

> 読者の意見は聖書には反映されることは無いので、成長が止まったままなんです。

/成長するのは、はたして聖書のほうなんですか?

> 私が今回質問して、みなさんの回答に「そんなことない」と書いて速攻質問を閉じたら、これって擬似返信機能の無いブログみたいなもんですよね。笑

すでに述べましたとおり、これにしたって同じことなんです。なぜだか分かるでしょうかね?
たとえ、ずーっと質問を閉じないで開きっぱなしであったとしても、どんなに長い返事を書いていても、同じことはいくらでもできるんですよ。
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この回答へのお礼

再度返信ありがとうございます。

>これって、学問、特に科学系などの学問では一番やっちゃいけないことじゃないですか。

例えでの説明ありがとうございます。

質問者がその人をベストの回答だと判断したわけですよね。

質問者は内容をよく知っていたが、ピースが一つ見つからず、その欠落したものが無いため、いまいち全体像がつかめないでいたのではないかと推測します。
そこにいろんな人が「これ?」と言ってピースを差し出した。
その中の一つに質問者は「これだ これで全体像が見える」と反応をし多くの中から一人の人を選んだ。

質問者は内容を知っていたので、あなたの持ってきたピースだと、当てはまらなかったので、質問者はあなたのピースは選ばなかった。

確かに返信機能の無いブログでは、オーナーの意見(判断)に口を挟むことは他者にはできない。
それで今回質問に関連があることとして、例えでお話をしてくださったわけですね。

トラックバックという機能を使えば解決しますよ。

お礼日時:2010/04/11 03:32

♯5です。

字数の制限がキツイので、2回に分けます。
まず、
> 卒論かなにかを本にして出版したそうです。
> 「自分の研究が第三者の目にさらされ沢山の批評を受けることは良いことだ」

/それなら、コメント受け付けなしで公開形式ブログをやるのも、結局同じことです。
まあ、私個人の場合は、「仲間募集目的」ではまったくないし、別の理由から、特定の人に向けての特殊な発信だったわけですが。

> 世界は一つだけではないと知るには、自分以外の人の存在が必須です。

/質問者さんが批判対象としているコメント受け付けなしのブログだって、まずあなた自身にとって、そういう意味で役に立ってるわけですね。

あなたが出された2chの例、そういう場から間接的に届く批判は、特に、それが巨大な場であれば、遅かれ早かれ届きます。現に、わたしのブログへのコメントにも、それを知らせてくるものが、ちゃんとありました。2chを利用して、私のブログを晒したやつの正体だってわかってます。だからと言って、それに左右されるかどうかは、また別問題。なぜなら、目的は別にあったから。

> 快適なので孤立でありながら、ブログを発信することで、社会と関係を断ち切らないでいられる 

/一ブロガーである当方の場合とは関係ないですね。かえって、こちらとしてはウザったくてしょうがないくらい、すでに社会や周囲との様々な関係性ができあがってますし。
(ただし、私が直接もらったコメント自体には、批判めいたものは、ほとんどなかったのです、むしろ肯定的なものが大部分。)

「酒のつまみ」にしかならないのだったら、「酒のつまみ」にするしかできない側のリテラシーでもあるわけです。

>>書いた作者に対して、いちいちコメントつけますか。

> すいません つけます・・・。
> といってもその本に関することが書いてあるサイトに感想を書いたり、友人が読んでいた場合は、友人と感想を述べ合います。

/それも、同じ意見の者どうしや言いっぱなしなら同じこと。
先方の事情を慮り、相手の考えなどを一切取り入れることなく、自己満足の世界で、ただ口を動かし続けるだけなら、質問者さんが批判する対象と本質はまったく同じことですよ。このことが分かりますか?
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます

>字数の制限がキツイので、2回に分けます。

こんな私のために 沢山の時間を裂いてくださりありがとうございます。
でも 他の方が私の相手をしてくださるので、あなたは休憩なさってください。
どうか ご自愛ください。

お礼日時:2010/04/11 03:56

#3です。

1点補足と、1点アドバイスをさせてください。

コメント抜きのブログ=「こっち向いて行動」説、と申し上げましたが、これは、kigurumiさんと大学の講義で先生が仰ったことを短絡させて表現してみただけのことです。

「こっち向いて行動」Attention Asking Behavior とは、
発達心理学でエリクソンが提唱した「基本的信頼」を獲得し損ねた子ども、つまり愛情不足の子どもが、幼稚園なり保育園なりの集団生活に入ったとき、保育者・先生の関心を集めるような行動をすることです。具体的な行動はいろいろありますが、ここでは説明は省きます。
kigurumiさんがコメント抜きのブログの特徴説明で登場させた、暴走族の例え、これが、佐々木正美先生によると、「こっち向いて行動」に当たるそうです。
なので、2つをつなげてみました。

さて、kigurumiさんは、ネットに詳しくていらっしゃいます。
せっかく大学で講義を受けていらっしゃるのです。聴講して発生した疑問、研究室のドアを叩いて、先生に直接質問してご覧なさい。ニートとの関連についても、聴けると思います。
学費がもったいないですよ。

   再び学生に戻りたいおばさんより
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

「こっち向いて行動」Attention Asking Behavior の説明、ありがとうございます。
思考する上で、すごいヒントを下さったと思えました。

エリクソンの発達課題の愛情の獲得を失敗したときに起こる不信が、暴走族につながることになるとは思ってもみませんでした。
再度獲得しようと泣く行為が暴走行為。
すごい説です。

これかなり有力な説かも。
これが論証できたら、暴走族やヤクザ問題、マフィア問題、カルト宗教問題も大部分を説明できそうな気がします。

angeraさん せっかくそれだけの知識を持っておいでなのですから、もったいないです。
そのまま研究を続けてほしいです。

お礼日時:2010/04/11 02:22

No.3です。


先ほどは個人の経験の範囲でのみ述べましたが、今回は、論を深めてみます。

わたし、児童精神科医の佐々木正美先生の本を沢山拝読しましたので、kigurumiさんのおっしゃっている意味が、わかります。
つぶやきっぱなしのブログ=「こっちむいて行動」説ですね。
例としては、秋葉原通り魔殺人事件の犯人が、犯行直前に、ブログではないようですがどこかのサイトに連続書き込みをしていたそうですね。
この仮説は、魅力的ですし、ある程度の説明にはなっていると思います。が、現象の全てを説明しているとはとうてい思えません。

理由は明快。
■コメント機能につきましては#1さんの指摘される通り。
>ブログの記事更新のしやすさを残し、宣伝やSPAM!を排除する結果コメントを禁止にしたという事ではないでしょうか?
また、コメントをお返しするには非常に神経を使い、場合によっては本文を投稿するよりも時間を使うものです。摩擦を避けることとは別種の問題です。
例)わたしが唯一知る、コメントロックの良質ブログです。執筆者がお忙しいケースです。
http://kosodatekyoukai.blog41.fc2.com/

■ブログは多機能で、さまざまな使い方ができます。
・只の日記
・知見の披露
・あるテーマに沿ったネット情報の備忘録がわり
・非公開にし、小説ネタの整理(サーバーが安全なところへあるゆえ、万一のPCトラブルに備えるメリットあり)
・ブログの持つ強力なデータベース機能を使い、情報の整理
ざっと思いついただけでもこれだけ。
※ご指摘の、思いを綴ることで、気づきを得る、セルフカウンセリング機能は、確かにあると思います。
(ただし、対面のカウンセリングは、単に人に話を聴いてもらうだけではありません。整理して話す気づきの効果も確かにありますが、それ以上に、思いを「受け止める」カウンセラーの拝聴の技量がものをいうのではないでしょうか。)
※一昔前の人なら、日記にも書かず、雑紙に書き殴って捨ててしまうような内容のブログも確かに存在します。

■ブロガーと一口にいっても様々な年齢層、思考、価値観を持った方がいらっしゃいます。理由は、ブロガー本人に聞くのが一番!
■文体と、コメント欄有無の相関関係をも調べれば、論文が書けるのではないでしょうか。是非ブログも体験してみてください。Twitterやmixiの存在もお忘れなく。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>つぶやきっぱなしのブログ=「こっちむいて行動」説ですね。

そのような説があるんですね。参考になります。


>執筆者がお忙しいケースです。

情報発信系のテレビと同じ使い方ですね。


>思いを「受け止める」カウンセラーの拝聴の技量がものをいうのではないでしょうか。)

それで思ったのですが、人によってはカウンセリングを受けているつもりで、書いている人もいるのかもしれないですね。
ただ、返信機能が無いブログだと、受け止めている側が見えない。
つまり 心の整理として返信機能の無いブログを活用している人もいて、それがつぶやき系なのかもしれないですね。

>文体と、コメント欄有無の相関関係をも調べれば、論文が書けるのではないでしょうか。

大学の講義で、新しい問題として、ブログが急激に増えてきた みたいなことを言ってました。
ブログの発達で、新しい可能性がでてきた というニュアンスでは無かったように受け止めました。
確かニートの増加が前後に話されており、ニートが社会から孤立した存在で、一昔前なら孤立に耐えられず、やがて社会と合流しだしたが、今ではいつまでも社会と合流しない若者がたくさんいるようになった みたいな?

それとは関係が無いのかもしれないが、考えてみれば、返信機能が無いブログはニートに受け入れられているのではないかと。
ブログがニートの居場所になっており、快適なので孤立でありながら、ブログを発信することで、社会と関係を断ち切らないでいられる しかも親のようにうるさくない読者 みたいな感じなのでしょうかね。

返信機能があれば、第三者は自分にとって都合の悪いことも言うので、それをさせないために返信機能をつけないのかなぁ と思います。


私が今回質問して、みなさんの回答に「そんなことない」と書いて速攻質問を閉じたら、これって擬似返信機能の無いブログみたいなもんですよね。笑

質問して即閉じると、返信機能の無い発信系つぶやきブログのできあがりですね。笑
管理側から「この人は主張したかっただけで質問してはいない」として削除されちゃうかも。笑

お礼日時:2010/04/09 04:27

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