A 回答 (12件中1~10件)
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No.12
- 回答日時:
こんばんは
神仏ですか・・・
私は、神仏とは本来的に祟るものだと考えています
さわらぬ神に祟りなし、などと言いますが、ある意味本質的な部分をついていると思います
では祟られないためにはどうしたらよいか? というと「祈りなさい」「信じなさい」という事になるわけです
この辺りを巧妙に使って、信者や金銭を集めているのが「インチキ宗教」の類ですね
また、宗教者はそもそも、他者救済を志す者です
己の幸福は後回しです
祟るとともに、さまざまな現世利益をもたらす存在である神仏に対して、自分ではなく他の者を救済してくれと祈るわけです
自分に幸福をくれと祈っているわけではありません
現在最も信者の多い宗教の教祖の最期が磔刑です。
ご質問にあえて回答するなら、3題ともすべて「否」と答えざるを得ません
No.11
- 回答日時:
初期仏教を学ぶものです。
初期仏教徒は祈らないと思います
(行為自体は祈っているように感じるでしょうけど、思惟は違うとおもいます)
ブッダの性格を思い描き、念ずることで
そのとき心がその性格に向かうと思うので
そのとき生ずる心が心に善い癖を付けていく
ということだとおもいます
その結果、その心の癖によって行われる行為は善行為が多くなりやすく
幸福になっていくと思います。
もう一つの効果としては
ブッダの説く納得のいく実践に対して、ブッダに信頼を強くすることは
多大なる支援になることと思います
論理的に実証的に正しい行為を多くなすなら
幸福になっていくことでしょう。
どちらも論理的実証的に問題のない実践により
自らを自らの手で幸福にしていくものと思います。
法灯明
自灯明
ですね^^
与えられるわけではなく、実践の結果がでると言うことと思います。
ブッダを讃える最大な行為は
実践することと思います。
(ブッダが病気になったとき、一人のお坊様が見舞いに来ることなく冥想ばかりしていたことを、一番の供養だよ(ちょっとことば間違ってるかも^^;)、と褒め称えてますし^^)
No.10
- 回答日時:
神仏を全く別の存在と捉えるので、こうした疑問が起きてしまうのです。
人の心に存在する、「良心」は神仏とつながっているのだと、思いましょう。
人の心にある、悪い心「悪心?」は悪魔(仏教では煩悩)とつながっていると思いましょう。
そう思えば、神仏を褒め称え、祈りを捧げ、幸福や幸運を願う気持ちは、その気持ちそのものが神仏の心なのだと思えるのです。
別の形で結果が現れるのでなく、そうした心そのものが、神の心であり、「幸運、幸福」なのだと、私は受け止めています。
いわゆる“ご利益”とは、結果のことではなく、そうした好ましい世界を求める心そのもの、なのではないでしょうか。
No.9
- 回答日時:
神仏は、神仏(自分自身)を褒め称える者ほど、幸福幸運を与えると思いますか。
→神は、人間から褒め称えることを求めていません。その暇があったら自分自身を愛しなさいといいます。幸福幸運という現世利益を与えてくれません。
また、神仏は、神仏(自分自身)に祈りを捧げる者ほど、幸運幸運を与えると思いますか。
→同上
神仏は、人類の幸福や、世界平和を願う者に、幸福幸運を与えると思いますか。
→同上
現世利益を求めず、ただ神仏と一体化することを求めていくことが良いのではないかと思います。
No.7
- 回答日時:
AだからBである。
の対偶は
BでないならAではない。
すなわち、たとえば
祈りを捧げるならば、幸福が与えられる。
の対偶は
幸福が与えられなければ、祈りを捧げていない。
となります。
信者であって不幸であるなら、「不幸であると同時に、祈りを捧げていない」という二重の苦しみに陥れられてしまうことでしょう。
本来は、「幸福である」と感じるかどうかが先にあって、「幸福だ」と感じる(ないし想定する)ところに、神仏概念が重ね合わされ、その向こう側に、仮想的にでも、幻想的にでも神仏を拝み見ようとするのだと思います。
すなわち、「(何かを)求めようとする」心や「(何かに)感謝したいという」心が先にあって、神仏概念が後から(知的に)理解されるのでしょう。
この「知的に理解される」かどうかは、神仏の存在の有無とは無関係です。
No.6
- 回答日時:
人間が、神の一部であると考えるなら、そう言えなくもないが、別物としてか考えるなら、別にそんなことはない、何故なら、身近な人間に、神仏信じてるけど、不幸な人がいるから。
そもそも、そう言う理屈で考えると、神を信じない人間は、不幸な人しかいない事になるのでは?
幸福・幸運かどうかは、ある意味、自分自身の問題であると思うけどね。
No.5
- 回答日時:
○ 全般的な答えは、その通りですね。
天台チギの教えに一念三千論というのがあるのですね。これは簡単に言えば、心の指す方向は三千世界に通じるということなのですね。
三千世界には神仏の世界、悪魔の世界などあらゆる世界があります。自分自身の心の針がどこに向かってどの世界に通じているかということなのですね。
だから常々神仏を敬う心、祈りの心が神仏の方向に向いていれば、当然いつか通じるのですね。
まあ、神仏などいないという心であれば、当然そういう世界に通じるわけですね。
というようにあらゆる世界に通じるのですが、質問の項目はすべからずそのような方向になりますね。
「すべからず」というのは、神仏が気にかけているということですね。時期が来れば必ずチャンスは訪れるはずですね。ただ、それがつかめるかどうかは本人の努力と勉強次第です。ということですね。
No.3
- 回答日時:
思いません。
神は自然界の摂理を決めただけです。
人間界の個人ごとに祈ったか、祈っていないかなどに興味は無いはずです。
いわんや、その差によって自然界の摂理の適用不適用を匙加減するなんて事は考えられません。
これは、宗教という名の集金マシンを構築・運営している人間が、集金マシンとしての効率を最大化しようとして日夜考えているキャッチフレーズのひとつではないでしょうか。
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