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神様や仏様がいるなら何故、世の中は、不公平で不条理なんでしょう?どんな宗教でも構いません。敬虔な信者の方、教えていただけますか?
例)東日本大震災
幼い子供が、悲惨な虐待をされた末に殺されている.

質問者からの補足コメント

  • 私は、敬虔に、その神様、仏様を信じていらっしゃる方の見解を、お聞きしたいのですけど?

      補足日時:2021/01/27 21:39

A 回答 (14件中1~10件)

神様や仏様がいるなら何故、世の中は、不公平で不条理なんでしょう?


どんな宗教でも構いません。敬虔な信者の方、
教えていただけますか?
 ↑
不公平で不条理であることは
神仏が存在しないことの証明でも
あります。

不公平で不条理だから、その心の
隙間を埋めるために、人間は神、仏を
創り出したのです。^
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あたしゃ敬虔なクリスチャンだけど、分かりませんが、死んでから分かる!その時は地獄に落ちている。

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No12の tanzou2さんに概ね同意です。



不公平で不条理なことの理由付けとして神様をつくりだしたのですよ。
なぜかわからないのに雷が落ちる、天災や戦災がおきる
この科学的な知識が無い時代には、原因を神や仏に求めたのです。

神や仏の怒りであるとか
前世の因縁であるとか
原罪であるとか……

たとえば日蓮は、この世に天災や戦乱があるのは人々が邪宗を信仰して法華経をないがしろにしたためだと言っています。日本の滅亡を防ぐためには、邪宗教を禁圧せよと言っていますね。

「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚をゆひのはまにて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ」 (撰時抄)

蒙古来襲も神が蒙古の帝王の形をして日本を懲らしめにきたそうです。そして反省した人々が日蓮に帰依することを予想していますね。

「大梵天王・帝釈・日月・四天等、隣国の賢王の身に入りかわりて其の国をせむべし」(報恩抄)

「いまにしもみよ 大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本をせめば 上一人より下万民にいたるまで 一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて 各各声をつるべて南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱え掌を合せて たすけ給え日蓮の御房日蓮の御房とさけび候はんずるにや」 (撰時抄)
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人はなん百回も何千回も転生輪廻を経験しています。



人間の歴史は億単位と長いのですが、生まれる時にはすべてを忘れて、誰しも一からスタートするのです。

何回も生きるうちに、魂には一定の癖というか、個性ができあがります。
そして今回の経験が魂にきざまれます。

原因~結果というのをカルマといい、国にも民族にもそれはあります。
人を殺せば殺され今度は自分が殺される、目をつぶせば、今度は目の見えない人生を、他人を拷問などで苦しめたような事ををすれば、今度は生まれながらの身体障害者になるか、途中ででなります。
まともな宗教はそれを戒めているはずです。

今世不幸であるというなら
人間関係も自分が引き寄せているのですから、自己責任ですね。
自分の親、子、結婚相手ができが悪いというのなら、それは、自分に相応しい相手を選んで生まれてきたのです。
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> 粗放な疑問です。

神様が悪魔にタイマンで負ける時もある?という事でしょうか?

☆ 粗放? 素朴? どちらでしょう?

No.5 悪魔が災いと起し、神や仏が守ろうとするけど、悪魔が勝つ事もあるでしょ・・・
No.5 神「お前、何回呼ぶんだ! 70億人以上を順番に回ってるんじゃ! お前の順番は10年後じゃ」

☆ 神が忙しく回りきれないなら、タイマンもなにも、悪魔の不戦勝もあるでしょうし、悪魔が神に負けたフリして神が去ったところで悪魔が復活ということもあるでしょう。

> 人間に、生まれた事が奇跡という見解には賛成です。
> それなら何故、沢山の人が自殺するのでしょうか?
> 小さな子供が、想像を絶する様な虐待の末、殺されても奇跡といえるのでしょうか?

「奇跡」 日本国語大辞典 ② キリスト教で、出来事または行いの中に働く超自然的な聖なる力の具体的表現をいう。信仰者はそれによって、神の啓示のなんたるかを知る。

☆ 日本国語大辞典の「聖なる」の意味に、良い/素晴らしい/嬉しいのような意味合いが込められていると理解し、また、自殺、虐殺、殺傷、虐待などは良くない/イヤだ/悪いのような意味合いが込められていると理解するのであれば、奇跡もあるなら、奇跡でないことも、普通のことも、好ましくないことも、それらが複雑にミックスしたこともあると理解する方が妥当だと思います。
奇跡/普通/僻事・悪事の3種とか、白から黒への連続のような単純な構造ではなく、いろいろ混ざり合い絡み合いしかも刻々と状況が変わるイルミネーションのようなものと理解したらいいのではないですか。 あるときあるとこを注目して"奇跡だ!"といっても、他人や他の集団からみたら、ロクでもない、止めて!というようなことも多いです。 
他人の不幸は蜜の味といういわれ方もあるくらいです。であると、他人に生じた奇跡は、我にとっては悔しさと悲しみの元凶という感覚を持つ人もいるってことでしょう。

☆ 人間に生まれるのが奇跡だと喜ぶ人でも、ネコや犬や小鳥が子を産んだのを奇跡がなかったと悲しむのは希でしょう。 遺伝子診断で子を産むかを選別しようとする人は、人間に生まれるのが奇跡だと思っても、その奇跡の中でも好む・選択/忌避・排除をしようとするのです。 とにかく、「生まれてこなきゃよかった」のように自分自身を思う人もかなりの数いるらしいです。 ヒトに生まれるのが奇跡でも、奇跡の中にも、良いのと悪いと敬遠されるのがあるようです。 人が殺される数で、人に殺されるのは、病気や事故より少なくても、動物などに殺されるよりは多いです。 ヒトは他人を殺すことも多いのです。 殺害には至らない攻撃や排除・排斥は、とても多いです。 虐待や物理的攻撃を直接には加えなくても、資源の乏しい生存に適さない経済活動も難しい地域に追い込めば虐待のようなものです。 これは歴史・時間的にも、地理・空間的にも、ごく普通に人間社会では見られていることです。
人間は自然や環境に左右されるとともに、他の人間や集団に大きく影響され、人間社会の荒波に翻弄されるから、自分で頑張ったり辛抱したりするだけでなく、神や仏を思い浮かべて期待をわずかでも繋いでるんです。 溺れる者の藁のようなものです。 一条の光りでもみえて欲しい、光りなど何もみえなくても、光りが射すかもしれないと期待を強く寄せるために神や仏を思うのです。

☆ 単純に黒白、善悪で分けられるように思ったり、良いか、良くなければ悪いと思ったり、するのは、ちょっとなあ、と思います。

> 神様や仏様がいるなら何故、世の中は、不公平で不条理なんでしょう?

☆ 一律一様にはいかない。悪いと思っていたら、良くなったこともある。良いな、幸せだと感じていたら、不幸や悪事災害病苦にあうことも実際だ。 こういう現実理解をしたときに、「できれば、、」「なんとかして、、」、幸せをもっと多く・長く、現実にはありそうもない(奇跡)を願って、神や仏に頼みの矛先を向けたということなのでしょう。
《神様や仏様がいるなら、何故、世の中は不公平で不条理なんだ》は誤解というか、思い違いでしょう。
《何故、世の中は不公平で不条理なんだから、神様や仏様に縋ろう・期待を託そう》ということなのでしょう。

真面目に努力したのに成果がでない、勉強が分からない、勝てない、負けたというのを、「神や仏がいるならなんでョ!」とぼやいているように思えます。
成果がでない、勉強が分からない、勝てない、負ける、なんとかしなくちゃと真面目に努力した上で、神や仏にも期待を繋ぐってという程度のことでしょう。 優勝できない、入賞もできない、惨敗に終わる、ライバルに負ける、廃業や転職に事態に陥るのを、神や仏の所為にするとか、神や仏はいないのではと思うようじゃ、事実認識が弱すぎると思います。
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旧約聖書の創成期に兄エサウと弟ヤコブの物語があります。


神様(ヤーウェ)は生まれる以前から、「私はヤコブを愛し、エサウを憎む」と仰ってエコヒイキをしました。つまり努力ではないのです。

ヤコブは後にイスラエルと名を変え、成功を重ねていきます。

生まれてくる以前にヤーウェは愛するものと憎むものを決めておられるということです。

そして、もう一つ。ダビデ大王について。
ダビデ大王はモーセの十戒のほとんどを破っていますが、もっとも神様に愛されており、すべての罪を許されました。もっとも最後の罪だけは許されず死なれましたが・・・・

このように旧約聖書の神様は生まれる以前から愛する者と憎む者を決めておられる、ある意味、残酷な神と言えると思います。

ユダヤ教の神様はそういうエコヒイキを生まれ来る以前から決めているのです。努力や信仰心がという話ではありません。

これらの物語を信じれば、世の中の不公平・不条理さは生まれる以前から残酷な神によって定められているというわけです。
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>何故、世の中は、不公平で不条理なんでしょう?



ここで言う、『世の中』とは現世の事であろうが、基本的に人間(人間に限らず、、、)の生命というものは平等である。

しかしながら、質問者様仰る様に『不公平で不条理』に感じてしまう。
『神様や仏様がいるなら』と言われるが、そうした『不公平で不条理』は神様のせいでも、仏さまのせいでもない。

人間(人間に限らず、、、)の生命というものは永遠であり、過去世、現世、未来世の時間的空間を死んでは生まれ、生まれては死にを繰り返して現在に至る。その中で、もう既に長い時間を経過して今に至るのですよ。
そして、その長い時間に積まれたものとして、『宿業』というものが生命に積まれるのです。
その『宿業』というものが、現世に現れているに過ぎないのです。
『宿業』は、一人一人違うのですから、『不公平で不条理』に感じてしまうのも仕方がない事です。

要するに、人間が生きる環境や空間は誰のせいでもなく、自分自身の生命に起因して起きている物なのです。
また、そうした宿業を転換する能力を人間は備えているのです。その為に、仏は『法』を説き、真実を教えているのです。


参考:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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~ 究極の哲学の幕開けだ。



自分を救えるのは、
その悩みを作った、自分の思考を自分で変えるしかない。

人は、過去に、宗教を、哲学を、そして、法律を、社会の行動規範とした。

宗教。

宗教だけの時代は終わった。

新しい、究極の哲学の幕開けだ。

宗教は正しい。
宗教は、素晴らしい。
宗教こそが、人類を救う。

確かに、そうだった。

~~

宗教によって、多くの人々が、救われて来た、
そして、今も救われている。
これからも、救われる続ける事だろう。

~~

しかし、宗教による、争いが、過去から、現在へと続いている事も事実で有る。。

それは、何故?だろうか?

~~

他を認めない、宗教の弱点を補い、世界人類を救う、究極の哲学。



それが、矛盾を矛盾で無くする。

究極の哲学である、【陰陽逆転の法則】である。

~~~


新しい時代の幕開けの時がやって来た。

~~


新しい、究極の哲学が完成したのだ。

まったく新しい、究極の哲学が、宗教を補足する時代の幕開けである。



宗教だけに救いを求める時代は終わった。。

~~~

宗教だけに救いを求める事は、愚か者のする事だ。
宗教には、どのような宗教でも、致命的な弱点が有る。

宗教の、たったの一つだけの致命的な弱点。

それは、
自分達の宗教だけが正しくて、他の宗教は邪教である。。。。。。この教義。。。。。。

宗教だけに救いを求めても、
究極は、他を認めない。

この教義によって、救われない。

~~~



【自分達の宗教だけが正しくて、他の宗教は邪教である。。
。。この教義。。】

↑ 私は、宗教は偉大である、として、尊敬はしている。

宗教を否定する訳では無い。

===

しかし、宗教の、たった一つ、この教義だけは、認める訳には行かない。

この教義だけは、否定させて頂きます。

もちろん、私の意見の否定も認めます。


~~~

宗教だけに頼るな。

自分を救えるのは、自分しかいない。
自分の悩みを解決出来るのは、その悩みを作った、自分自身の心だけで有る。
~~~

哲学だ。

哲学だ。

究極の哲学によって、自分自身を救う事だ。。
自分を救えるのは、
その悩みを作った、自分の思考を自分で変えるしかない。
~~~


~過去の哲学~で、解決出来なかった事。

①「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」
②「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」
③「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」

過去の哲学では、これらを、説明、解消出来なかった。

しかし、究極の哲学の完成によって、全ては、物理学でも、理論と数式でも、説明、立証出来た。

===



これらは、(宇宙時間方程式)として、宇宙の始まり~消滅~繰り返し~

つまり、宇宙とは、有と無のせめぎ合い。

物理理論を数式で示すと、

宇宙時間方程式=(宇宙S)=(物質M±)±(エネルギーE)となる。


===

これで、上記の、三つの何故?が、理解出来る。

(宇宙S)は、ビッグバンによって、(無のエネルギーE)から、突然に出現する。

膨張拡散の果てに、ビッグフリーズを迎える。

しかし、ビッグフリーズでは、(宇宙S)は終わらない。

これは、物理学では、(小さな物質M±)は、遠くに移動出来ない性質をもっているからで有る。

やがて、引力なり、未知のなんなりで、反転、縮小に転じる。

これを、ビッグクランチと呼ぶ。

これは、(全ての物質M±)が、フアイナルブラックホールによって、縮小消滅を迎える時で有る。

しかし、ビッグクランチでも、(宇宙S)は終わらない。

縮小消滅、したか??

に、見えた、瞬間~~

~~

全く、新しい、ニュービッグバンの始まり。

(宇宙S)とは、出現と消滅の繰り返し。

宇宙とは、有と無のせめぎ合い。

~~

これが、(宇宙S)の正体であり、この、(物質M±)の変化の様子によって、ニュートンの、(絶対時間T)が、錯覚発生するのである

これで、物理学で、理論と数式で、(宇宙S)の正体と、(絶対時間T)が どのような物か? 理解出来る事だろう。

上記の
①「なぜ宇宙があるのか?(Why is there a universe?)」
②「なぜ世界があるのか?(Why is there a world?)」
③「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」

この、三つの、説明がつくのだ。

(宇宙S)の「存在の謎」を問うならば、それは、(宇宙S)が、出現と消滅を繰り返したいからである。
ただ、それだけで有る。
それが、(宇宙S)の答えである。


~~~

これで、理解出来ない者は、物理学を、初めから、学ぶしか無い。

これで、理解出来ないならば、理解出来る等と思うな。



~究極の哲学とは~【陰陽逆転の法則】(おんみょうぎゃくてんのほうそく)で有る。~~



天の声(宇宙=女神ミューズ様)によって、この世の人々に、知らしめよ。との、天命を受けた。



分かりやすく説明する。


例えば、人類の繁栄は正しいのか?否か?

普通は、人類の繁栄は正しい、となるのですが?
これが、人類も繁栄を過ぎたるは、いつの間にか?
正しくない、誤りへと変化するのです。

それは、現在の人類、70億~80億人が、
これが、10倍の700億~800億人に増えたら、どうでしょうか?

このような事を言います。

~~~~~~

人の幸せとは何だ?
人は、不幸に気付けば、その瞬間から不幸になる。
しかし、幸福で有る事に気付けば、その瞬間から幸福になる。

人は、比べる事で、勝手に、不幸になったり、幸せになったりする。
比べる相手を間違えない事だ。

人の、幸、不幸とは、その人物の心が作り出した、幻影で有る。

このような事を言います。

~~~~~~


1人と二人

1人は寂しい、
しかし、
1人は気楽である。

二人は楽しい、
しかし、二人は、
うっとうしい。

このような事を言います。


~~


正しいとは何だ?
正しいとは、
正しいと主張する者にとって、正しいだけであり、
それを否定する意見も又、正しい。

ゆえに、この世の全ての意見は正しい。
それゆえ、この世の全ての意見は誤りでも有る。

このような事を言います。

~~~

ですから、私の、このような意見は正しい。
しかし、私の意見の否定も、又、正しいのです。

~~

これは、矛盾であっても、矛盾では無い。
矛盾を矛盾で無くする、究極の哲学で有る。

~~
哲学とは何だ。
哲学とは、矛盾に挑戦する、学問である。
これは、世界中の人々が、誰かに教えを乞い、教わる事では無い。
世界中の人々が、自分で思考するべき、究極の哲学なのです。


~追伸~

もう一度、言う。

偉大なる、宗教によって、多くの人々が、救われて来た。
そして、今も救われている。
これからも、救われる続ける事だろう。

しかし、偉大なる、宗教による、争いが、過去から、現在へと続いている事も事実で有る。。

偉大なる、宗教のたった一つの致命的弱点。

他を、邪教として、他を認めない、

偉大なる、宗教の弱点を補い、世界人類を救う、究極の哲学。

それが、【陰陽逆転の法則】(おんみょうぎゃくてんのほうそく)である。


~~

自分を救えるのは、
その悩みを作った、自分の思考を自分で変えるしかない。
~~

森羅万象、この世の全ては、極めると逆転する。
これを、【陰陽逆転の法則】と呼びます。

出会いと、別れは、天の導き。

では、この辺で御機嫌よう

BY 逆転地蔵。


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神様にもそうできない事情がある(神様の思い通りにできるとは限らない)と考える事もできます。




それから地震等の自然災害に関しては、人間は耐震設備等を作り出す能力を神様から与えられているわけですから、災害対策は人間がやるべき事だと思います。そもそも何でもかんでも神様がやってくれるようなら、人間は価値を発揮する機会がなくなってしまうわけですから、人間が一人立ちするためには神様は手を出すべきではない(&その事を神様も分かっている)と思います。
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神や仏が居るのなら、悪魔も居るって事も想定できる。


悪魔が災いと起し、神や仏が守ろうとするけど、悪魔が勝つ事もあるでしょ・・・

神「お前、何回呼ぶんだ! 70億人以上を順番に回ってるんじゃ! お前の順番は10年後じゃ」

というか、
そういう事は妄想/空想の世界であって、
神や仏の存在は、そういう奇跡や現象の事ではなく、
心の支えというか、カリスマ的な存在やお手本になる事で、民が神や仏の教えに沿って、清くなる為だと思えば、神や仏の存在意義も納得できる。

自然災害は防ぎようが無いが、
人が、神や仏の精神が備わって守って行動していたのならば、二次的人災は避けられたし、虐待も犯罪も無くなる。
不公平/不条理と思っちゃう事自体が、清くない思想。
例えばだけど、人間に生まれただけで得しているとも思えるんじゃないかな。
別に神や仏じゃなくても、
天使のような心を持っていれば同じ事だし、お手本になるような人でも良いけど、そんな完璧な人間が周囲に居ないのだから、神や仏をでっち上げて見習う方が簡単だから、賢い人が神や仏を作り上げた。
そうやって、国を統治した歴史もあるのです。
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この回答へのお礼

粗放な疑問です。神様が悪魔にタイマンで負ける時もある?という事でしょうか?
人間に、生まれた事が奇跡という見解には賛成です。それなら何故、沢山の人が自殺するのでしょうか?
小さな子供が、想像を絶する様な虐待の末、殺されても奇跡といえるのでしょうか?

お礼日時:2021/01/27 21:47

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