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それは「非思考の庭」という信仰です。
かつて「非思考の庭」と「人の道」の間で議論が交わされました。
神は非思考の庭ではなく宇宙の法則であるといった議論です。
哲学的な議論でした。
でも「非思考の庭」は去っていきました。
残ったのは「人の道」です。
時代の流れによって信仰は一つ一つこの世界から消えていく運命にあるのでしょうか?

A 回答 (5件)

あるでしょう。


質問者様も、回答者である私も老いには勝てないですから。
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オマケ


真実は抽象なので言葉で具現化した時点でそれは真実ではなくなるのです。それはアルケーについても同じ
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時間の流れに沿ってゆるぐので信仰対象が変わりゆくので既存の信仰対象が信仰対象でなくなる可能性はあります。

それは人の道も同じです
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人が存在する限り信仰するという行為がなくなることはないですね


何故ならば完全不信状態では人は生きていけないからです
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まだ完全に消滅したとは云えないのでは?



こうして人の道さんの心に“存在”しているのですから。
それに私も、思い出しましたしね。
また“存在”論者のあの方(ハルさん)も、私の心に居ますよ。

彼(B氏)は、情的な〈信仰〉という問題を哲学として捕えようとしたのです。
その終着点が『非思考の庭』だったのです。

彼は、人間肯定論者ですから、この立ち位置に拠って〖この世〗を“見よう”としていました。
でも、これが“色眼鏡”という弱点だったのです。
人の道さんも、アルケーに拘っていては“信仰”になりません。

★ 自身の言葉に換言しなければ、ね。
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この回答へのお礼

>でも、これが“色眼鏡”という弱点だったのです。

その色眼鏡が高じて「無い神は有る」などと適当なことをゆーてましたね。
これは一種の甘えです。
アルケー的には決して許されることではございませんでした。

>人の道さんも、アルケーに拘っていては“信仰”になりません。

この世界にある様々な信仰を見くらべてみました。
その結果言えることはアルケー以外に真実の信仰はないということ。
私にとってアルケーは一筋の道なのですよ。

お礼日時:2023/08/17 21:42

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