アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

神や仏について一つだけ完全に正しいことを申し上げます。
神や仏は脳内にのみ宿るべきものです
神や仏を脳外に出してはなりません。
神や仏が脳外に出るとろくなことは起こりません。
神や仏が脳外に出ると統一教会が生まれます。
神や仏が脳外に出ると創価学会が生まれます。
神や仏が脳外に出るとオウム真理教が生まれます。

その結果、
奇跡物語がはびこり、
パフォーマンスが横行し、
お布施が強要され、
紙切れの御本尊が売買され、
出版差し止め事件が起こり、
電話が盗聴され、
広布の広場が生まれ、
本来分離すべき政治と宗教が一体となり、
サリンが撒かれ、
人が殺され、
人間精神が歪み、
一家が破産し、
人間は不幸になるのです。

それでも神や仏が脳外に出てよいのですか?

A 回答 (8件)

げんみつに・精確に述べるべきでした。




○ 主観の内と外についての図解

    神     神      神
タ   |     |      |
テ   |     |      | :主観内面
の・・・|     |      | (信仰=脳内)
関   |     |      |  
係   |     |      |
   われーーーーーわれーーーーわれーー:各主観
       ❙      ❙
       ❙      ❙
     ヨコの関係  ヨコの関係   :社会関係
                    (結社=脳外)


☆ ここで《脳内》と《脳外》とのあいだに微妙な自由域があります。

《われなる各主観》です。

その主観として 脳内の信仰または神について 自由にその感覚や思いを表出してもかまわないわけです。


たとえば おれは昨日 神と話をしたんだとか。わたしは いつもアルケーの神を感じているんだだとか。

このような自己表現をすることまでは 自由です。その感じや思いを他人に話をしても――その互いの信頼関係において――ゆるされます。



ただし そのヨコの関係において 権限関係のチカラの差にまかせて おまえはおれの言う神を信じたまえ おれが実際にその神を見たんだから間違いないなどと言って勧誘するなら 信教・良心の自由を侵していると疑われます。


それも 相手に対して勧誘するそのことによってでは必ずしもなく すでに自分の主観において 脳内の自由な信仰のことを 脳外のヨコの関係に思いとして出してしまって他者に話すことも 脳内の信仰と同じことなんだと――みづからの良心において――錯覚すること。これが 不法行為の原因です。

勧誘することがでは必ずしもなくて 勧誘するときの信仰の神の扱いが 人間の言葉にして表現した思想であっても 同じ神のことだと思い込んでしまっている。それが 間違いでしょう。

脳内の神(生きた神)と脳外の神(すなわち 言葉化している・観念)とは 別物ですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

立派な図表を書いていただき有難うございます。
感謝します。

しかしながらそのよーな細々とした解説、説明はあまり有用であるとは思いません。
私がなぜ神や仏、信仰や宗教ではなく「人の道」を全面に出すのでしょーか?
その理由は極めて単純です。
「汝、人間であれ」
たったこれだけなのです。
これが全てを物語っているのです。
汝の一人一人が本来の人間に返りさえすれば、実のところ神や仏は必要なく、信仰や宗教など無くても人間は何も不自由せず幸せに暮らせるのです。

お礼日時:2022/08/30 15:53

まさに見解の相違。


神と佛を分けましょう。
    • good
    • 0

イエスにしろ、釈迦にしろ、孔子にしろ


外に向かい、果敢に活動しております。

恐るべき無知無学による、我見偏見のご主張、あきれ果てます。
    • good
    • 0

№5を承けますが 見解の相違ということで・・・。

    • good
    • 0

★ (№4お礼欄) ~~~~~~~~~~


かつてターレスは問いかけました。
「万物の根源は何か」と。

またヘラクレイトスは悟りました。
「パンタレイー万物は流転する」と。

これがつまり人間精神のあるべき姿なのです。
だから、「汝、人間であれ」と説くのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 人間の経験に裏付けられた思想は思想で 検証し再考し評価づけしてゆけばいいはずです。

★ 神や仏についての正しいこと
☆ とは 直接の関係はないと言ったほうがよいと思います。


★ 人間が本来の人間に返れば、神もまた本来の神アルケーに返るのです。
アルケーの神は存在します。
☆ えっ? ん? えっ?

つまり もし:
★ 人間が本来の人間に返れば
☆ ということが 人間の知性とその努力によって――つまりは 先ほどのように人知としての思想(≒生活態度)によって――成し遂げられるものだとするのなら それは 神の不要を言っています。

何をか況や! となりますまいか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ターレスやヘラクレイトスの時代には人々の心は人間精神で満ち溢れていました。
この時代には万物の根源、宇宙の法則があればよく、聖書などは存在せず、その奇跡物語もなく、カルトも必要なく、人々の心は平穏で豊かでした。
ところがいつの頃からかイエス・キリストなるペテン師が現れ、奇跡を説くよーになるとカルトが生まれ世界に不穏な空気が流れ始めた。
そして万物の根源、宇宙の法則の代わりに人間原理によって神が造られるよーになると、人々の心から人間精神が失われていった。
そしてキリスト教神学と教会が世界を支配する暗黒時代が始まった。
さまざまなカルトが生まれ、人間精神は枯渇し、人間は不幸になったのである。
このよーな流れの中で統一教会も誕生し現在に至っているのです。

お礼日時:2022/08/30 21:19

★ (№2お礼欄)


私がなぜ神や仏、信仰や宗教ではなく「人の道」を全面に出すのでしょーか?
その理由は極めて単純です。
「汝、人間であれ」
たったこれだけなのです。
これが全てを物語っているのです。

☆ そうだったんですか。


つまり 《無い神》の信仰なのですね。分かりました。アルケーからの宗旨替えでしたか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

かつてターレスは問いかけました。
「万物の根源は何か」と。

またヘラクレイトスは悟りました。
「パンタレイー万物は流転する」と。

これがつまり人間精神のあるべき姿なのです。
だから、「汝、人間であれ」と説くのです。

人間が本来の人間に返れば、神もまた本来の神アルケーに返るのです。
アルケーの神は存在します。

お礼日時:2022/08/30 19:02

一概に脳外に出ていけないとは言えないでしょう。



宗教を始める時点では 世の中を平和にするためにとか

人を救うためにとか 案外純粋なところから始まるのです

オウム真理教とか統一教会は信者は真面目ですが教祖が行けないのです

2代目とかなったらこれまた酷いのが居ます

苦労せずに育つから頭はパラダイスで歌を歌ったりソファに寝そべって

訳の分からないことをしたり

そういうカルトと真面目に信心して行動してる人とは全く違います

排他的にはなってほしくないですねえ。

宗教も絶えず進化しなければなりません 良い方に。
    • good
    • 0

良くないでしょうが、神の超奇能力に比べれば難題。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

彼ら↓はイエス・キリストの奇跡で金儲けしてる連中です。

https://www.asahi.com/special/10005/images/APX20 …

顔を見ればその顔に「私はペテンです」って書かれているのが直ぐに分かります。

お礼日時:2022/08/30 13:10

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す