よろしくお願いします。
ちょくちょく“仏性”というのを耳にしたり目にします。法話とかで「誰でも仏の子で、仏性を持っている」というふうに使われていると思うんですが、これって具体的にいうとどういうものなんでしょうか。
それから、みんな仏性があるんなら、殺人をするような悪人の仏性はどうなってるんでしょうか。あと、動物とか植物にもある、というのも聞いたおぼえがありますが、そういうことはどうなってるんでしょうか。
哲学しかカテゴリーが思いつかなかってのでここに投稿しましたが、できればあんまり難しくない回答をお願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
「あんまり難しくない回答」ということなので、なるべくわかりやすく「仏性」について説明できればと思います。
あらかじめ言っておきますが、わたくしは特定の宗教・宗派に属するものでも、信仰を持つものではなく、宗教や仏教に関心を持って、ごそごそと学んでいるものに過ぎません。神社やお寺は大切にしたいと思いますし、人びとが信仰しているものには、それなりの敬意を払おうとも考えています。さて、「仏性」とは、Fine21さんが指摘しているように、「仏になれる可能性」である、と定義するのが、もっとも支持を得られるものだと思われます。わたくしは、また別の視角から説明したいと思います。
「仏性」とは、「生命」と言い換えてもいいでしょう。ただしその「生命」は、自然科学が定義する生命現象とは異なり、「なんらかの意味を持った生命」、と言えるものだと思います。
なんらかの意味を持った生命とは、自己の生命以外の生命にかかわりをもって、そのむすびつきのなかで存在している、ということです。自己の生命は、他者とかかわることでさまざまな意味を生じ、他者の生命は、自己とかかわることでまたさまざまな意味を生じる。このかかわりが無限に拡がっていくなかで、自己の生命は意味を持つのです。
仏教では、人間だけではなく、動物や植物にまで「仏性」が備わっている、と考えます。あらゆる生命現象には「仏性」が備わっていると考えるのです。そうした生命は、人間や人間以外の生命とのかかわりのなかで、やはり意味を持って存在しているのです。遠い海で泳いでいる小さな一匹の魚でさえ、そのむすびつきの糸をたぐっていけば、地球に住んでいるすべての人にたどりつくのです。
「殺人をするような悪人」の生命にも、なんらかの意味があるのです。たとえ殺人者ではあっても、やはりほかのすべての生命とのむすびつきのなかで、その生命は意味を持って存在しているのです。
殺人という行為をすることは、その意味を見出すことができなかったとも解釈できるし、あるいは、殺人をすることそれ自体になんらかの意味があったとも解釈できるのです。この後者の解釈が自己展開していくことで、殺人を合理化する考えも生まれてきます。仏教もまた宗教であり、宗教には日常生活とは異なる視点での危険な考え方が必ずどこかに潜んでいます。
「殺人をするような悪人の仏性」という問題は、たとえば日本の親鸞(1173-1262)の「悪人正機」の説に、たいへんおもしろく興味深い考え方が示されています。
生命は、いま生きているこの世界だけではなく、生命として生まれる以前も、生命としての活動を終えた以後にも、意味を持って存在し続ける、と考えられます。
生まれ出た生命は、かたちを得て自己以外のすべてのかたちある生命とのかかわりの世界のなかで活動し、「死」という大きな衝撃を自己以外の生命に与えて一旦そのかたちある生命としての活動を終えます。しかし、その「死」によって、そして「死」の以後も、自己の以外の生命活動に意味を与え続け、その自己以外の生命からまたあらたな生命がふたたび生まれてきます。そのあらたに生まれた生命にとって、自分の誕生以前に生命活動を終えた生命は、生まれ出る以前の生命として意味を持つ存在なのです。
気が遠くなるような生命の循環と連鎖のなかで、意味のある生命としての「仏性」は、永遠に存在を続けるのです。
「仏になる」とは、死んで死後の世界で成仏する、といったことではなく、生きているときにも他の生命に意味を与えること、死んだのちにも、他の生命に意味を与え続けること、そういった生命のむすびつきのなかでの「与える」ことを言うのではないかと思われます。
以上のような意味の連鎖こそ、「仏性」というものの姿ではないか、と思われます。以上の説明を、具体的な生活のなかであてはめてみれば、またこれまでとは異なった見方・考え方で、世界を見ることが可能になるのではないでしょうか。
わかりやすく説明できたかどうか自信がありませんが、とりあえずご参考までに。身近なところから具体的に上記の考え方をあてはめてなぞっていけば、あるいはご理解いただけるのではないかと思います。
回答ありがとうございます。
仏教の教えで縁起というのがありますね。これって世界中のすべてが関係しあって成り立っているということでいいんですよね。そうすると、縁起=仏性ということになりますか。
>たとえ殺人者ではあっても、やはりほかのすべての生命とのむすびつきのなかで、その生命は意味を持って存在しているのです
意味があるとかないとかいうのは、誰が判断するんでしょうか。縁起はなんとなくわかりますが、ほかのものと関係しているからといって、殺人をするような悪人がなんで悟りを開けることになるんでしょうか。そこがよくわかりません。
No.13
- 回答日時:
>これだと、別に仏性とか言わなくてもいいということですね。
ならなんで日本ではすぐに仏性仏性っていうんでしょうか?再度失礼します。
えーと、前の文を読んでいただきたいのですが、仏教にも長い歴史があって、どこを取るかで全然内容が違ってきます。仏教と一口に言っても、2500年も歴史があって、おまけに仏教の経典は、長い時間をかけて、まとまりなく作成されてきました。この点、聖書とは比較になりません。同じ大乗仏教でも、取る部分によって全然違うんだ、ということを念頭に置いてほしいです。
おっしゃるように、インドにいた釈迦は、「言わなくても良い」ことは言ってないのです。でも、これは釈迦の文脈では、必要ない、ということです。どれが正しいとか、そういう意味は私は込めてませんが、歴史的に別のものが仏教に入り、いろいろに変化してきたということです。釈迦の説いた教えの文脈では確かに必要ないです。
日本で言うのは、大乗仏教という仏教を採用しているからです。スリランカや東南アジアには仏性をとく経典を知りませんから、言いません。日本の仏教では、仏性についての説を重く採用しているので、これを外すわけにはいきません。これは日本仏教の文脈がそうなっているというだけのことです。
日本人は、別にインドの歴史上の釈迦が何を言ったかには、さほど興味がないというのが本当のところだからでしょう。信仰の問題というのは、そういうものらしいです。
それに仏性自体についての話しも、いろいろ変遷と複雑な事情があります。普通、仏性というと、人間の平等性とか命の平等性を支えると思っているでしょうけど、そうとも決まってもいません。一闡提と言われる人は、仏性がないとも書かれています。つまり悟れない人がいると説く、仏性の話しもあります。どうですか? すべての人が悟るといつも言っているわけではないでしょう。仏性を説いた代表的経典には、あなたの言うように、人殺しは救われない(正しくは親を殺すなどの5つの大罪を犯したもの)とも書いてあります。すべての人がいつも救われるとも決まってもいません。でも、救われるという話しも書いています。経典が違えば内容が違い、同じ経典でも矛盾する内容があります。違う時代に、違う人が、しかも長い時代をかけていろいろな内容を造ったのが経典なので当たり前です。すべての人が悟るか、悟らないか、仏性があることといつか悟ることは等しいのか、どっちが正しいととるか、いろんな人がいます。それが解釈の違いになります。仏性の話しにも、いろいろ複雑な事情と歴史があるということです。でも日本の仏教は、仏性について、そういう複雑な面があることはもちろん認識してはいるでしょうが、基本を命の重さを宗教的に意味づけていく方向でとってきたわけですね。すぐに仏性というのはなぜか?と聞かれていますが、質問者さんはどういう文脈でそれを聞かれましたか? 「仏を信じること」が前提になってましたかでしょうか? あるいは、どう話を運ばれましたでしょうか? 自分にも仏の性質がある、他の生命にもあると、信じることから話が始まっていたのでしたら、それが仏性を言う理由でしょう。他の運び方もあるかもしれませんが、だいたいはこの運び方だと思います。歴史上の釈迦は、経験に則して話をするので、何か経験できないものや信じないと話が進まないものを前提にして教えを説くことは少ないとされていますが、大乗仏教であり、日本の仏教は基本的に信じることを重んじています。仏性がある、と信じることが、日本の仏教の世界観にとって重要だからでしょう。
再度ありがとうございます。
いろいろ仏教が違うのはわかります。qwerasdさんの前の回答を読んで疑問に感じたのは、なんで大乗仏教では仏性をすごく説くようになったのかという意味です。大乗仏教では信じることが大事なのですか。ならその仏性のない一闡提という人たちは、信じないから仏性がないんでしょうか。仏性がないから信じないんでしょうか。いろいろ疑問が増えたので、また自分で整理して質問させてもらいたいと思っています。
No.12
- 回答日時:
No.3で回答した者です。
若干の簡単な補足を。「縁起=仏性ということになりますか」ということについて、それはちょっと違うのではないかと思います。「縁起」がすなわち「仏性」ということではなく、縁起によってむすびついている世界のなかで、生命はあらゆる生命とのかかわりを持ちながら意味を持つ存在として成り立っており、その生命をささえているものこそ「仏性」である、と言うべきでしょうか。
「殺人をするような悪人がなんで悟りを開けることになるんでしょうか」という点について、たとえば前に言及した親鸞の考え方では、殺人のような罪を犯す人間こそ、阿弥陀さまは救ってくださる、自分の力では自分を救うことのできないような殺人者にこそ阿弥陀さまの救いの手が必要である、ということだと思います。「悟り」という観点からみれば、殺人など決して犯しようのない善人ならば、自力で悟りを開くことができるだろうが、殺人を犯してしまうような悪人は、自力で悟りを開くことなど不可能であり、仏さまという悪人にとっては他者の力すなわち他力によってでなければ悟りを開くことはできない、と説明できるのではないでしょうか。
補足して頂いてありがとうございます。
普通の人は自力で悟れるし、悪人でも最後は救われる。結局人間は誰でも悟れるということなんでしょうね。
No.11
- 回答日時:
正しい知識ではないかもしれませんが、私が納得したお話を。
仏性とは分かりやすく言うと「まごころ」のことだそうです。
まごころは誰でも持っているものですが、人間のまごころは特定の人や物にしか働いていません。これがあらゆる人や物に向くようになると、「慈悲心」とか「菩提心」といわれる仏様のこころになるのです。
質問者さんがおっしゃる「殺人をするような悪人」でもまごころは持ち合わせていると思いますよ。映画や小説でしか知りませんが、そういう悪人の方が改心した時に優しくなったりしますよね。現実でもそうなるのではないでしょうか。
また、動物とか植物にもあると思います。こっちはかなり微妙ですが、可愛いがればそれに応じて反応してくれてるように思います。まあ、犬畜生とか、猫は三日で恩を忘れるとか言われるように、なかなか人間に向けてくれないのでわかりませんが・・・w
>できればあんまり難しくない回答をお願いします。
との事なので、こんな回答でよろしかったでしょうか。
No.10
- 回答日時:
縁起の思想と、仏性はもともと別のものです。
仏性というような、何か実体的なものは、釈迦は説いていません。
仏教にも歴史的な展開がいろいろあります。仏性というのは、大乗仏教という仏教の、しかも一部の経典で説かれるものです。日本は大乗仏教の国なので、仏性という語をよく聞きますが、すべての仏教国で聞くわけではないです。
仏性とか言い出すと、悪人にも仏性があるのか、あるいはないのか、とか、動物にはあるのかないのか、とか考え出しますし、実際そういう議論がありますが、もともと釈迦はそんな議論をしたことはありません。
悪い人でも反省すれば、悟ることが出来る、というただそれだけのことです。悪い人でも反省して良い人になるということは、普通にあることではないでしょうか。しかし、すべての悪人が、必ず反省するとか悟るとか、そんなことは言ってないのです。反対に、反省しないとも、言っていません。あくまでも、心の問題ですので、その悪人が、どう考えるかの問題なのです。
仏性の意味に関しては、他の人の言うとおりです。でも、仏教の話をいろいろ混ぜると、話が複雑化してしまいます。
ありがとうございます。
>悪い人でも反省すれば、悟ることが出来る、というただそれだけのことです
これだと、別に仏性とか言わなくてもいいということですね。ならなんで日本ではすぐに仏性仏性っていうんでしょうか?
No.9
- 回答日時:
参考に
仏性は、具体的にいうとどういうものなんでしょうか。
仏性というのは根本仏が作ったものという意味ですね。つまり仏性とは、「考える、あるいは考えられる」ということです。草花は草花として考え、動物は動物として考え、人間は人間として考える能力が備わっているということです。考える能力は全員同じですから良いことも悪いことも考えることができるということが善悪を分けているだけですね。作られたものですから、作られた最初のものは全て良きものということですね。心の奥の奥にあるこの良きものが特に仏性と呼ばれるものですね。これは変わらないものですね。だから誰しも心の奥の奥にある根本仏の考えを知ることができる、これが悟りへの道ですね。自分の心の中を見ればビッグバンが見えるということですね。
ありがとうございます。
つまり、考えるものには仏性があるということですね。なら人間は全員仏性があるんですね。考えた結果人殺しをしても仏性とは関係ないということですか。
No.8
- 回答日時:
例えば、「社会人」である前に「生きとし生けるもの」という立場から、その生命存在の尊さに目覚めさせたのが釈迦であり、これが仏教の根本精神であり、重要な所でしょう。
こう言う意味で「仏性」というのは、生命の尊厳を最も重要視する立場からくる概念であり、釈迦の悟りの一つであり、これが現代に継承されて、我々にも「おぼろ」に理解可能なものなのでしょう(理解することは、実は相当に難しい事柄であり、仏教の仏教たる所以でしょう)。
現代人の中には、他国の人間が空漠に遭遇していても見て見ぬふり」だったり、自己の利潤ばかりを追求している守銭奴が急増しています。(特に日本国)
「列車事故」等は「仏性」の欠落した世相を反映してお
り、社会全体で憂慮すべき、極めつけの大問題ですね。
No.7
- 回答日時:
シッダールタがあまり具体的な指導をしなかったせいで、仏教というのは解釈が横行する体系になっています。
具体的に「豚を食べるな」とか「毎日何時にはメッカを礼拝せよ」などと言う指導が無いので、長い歴史を経る中で経典に疑問を抱いた人が新解釈を作るということが繰り返されて、「仏性」という語にすら異論がいろいろ出てきているという状況です。それでも、「仏になる可能性」というのは、最大公約数的な回答ですね。
ただ、「仏」って、何? という疑問が出てきます。
もちろんもともとは「仏陀」の略称であり「目覚めた人(悟りを開いた人)」という意味なんですが、大乗仏教ではまた違う、「人(=ホモ・サピエンス)」ではない解釈があったりします。
という具合に、宗派の数だけ解釈がある状況ですので、優等生的な回答をすれば、「信じたい宗派の解釈を聞いてください」という所になります。
個人的にお勧めする回答は、「悟りを開く可能性」です。
で、「悟る」ということがどういうことかというと、これまた簡単ではないのですが、敢えて簡単に言うと、次のような状態になることです。
「世の中のできごとは皆独立しているように見えるものでも繋がっていて、それぞれが大切なものなんだという気持ちを、自明のものとして感じられる心証になっている状態」
ちなみに、そういう可能性を本当に人はみな持っているのか、という疑問に対し、平安時代に最澄と徳一が大議論したのですが、詳細は現存していません。残念なことです。
No.6
- 回答日時:
「仏性とは」で検索をかければ分かりますが、色々な解釈があるようです。
ですから一概にこうだ!と説明するのはできないようですね。あくまでもそういう解釈もあるということになるようです。ですがだいたい共通しているのは誰もがみな「仏を持っている」ということです。ここでいう仏を持っているというのが、場合によっては
「悟りを開く可能性を持っている」
「みんなの中に仏がいる(大日如来がいるという解釈もあるようです)」
「仏と同じ性質を持っている」
などなど解釈があるようです。
そして何にせよ、誰もが仏性を持っていてそれを磨く(この「磨く」ということの解釈も修行をするとか、善行を積むとか、座禅するとか、真言を唱えるとか色々です。)ことにより悟りを開くことができるということです。
なぜ悪人でも悟りが開けるのか?
これは別に「悪いことをすれば悟りが開ける」でもなく、「悪いことをしたら悟りを開くことは永遠に出来なくなる」でもないからです。悪行を重ねてもその人にも仏性があるのだからそれ以後の仏性の磨き方次第では悟りは開けるよってことです。
草や動物たちも悟りが開けるのか?
輪廻転生という考えがある以上、草も木も動物も虫も同じ生き物でしょう。ですから悟りは開けるということだと思います。ただ悟ってもそれを人間に主張できるかどうかは疑問なんで(言葉通じません)虫が悟りを開いたとしてもそれを認識できる人間がいるかどうかは疑問です。
ありがとうございます。
悪いことをしても、仏性という可能性には傷はつかないということですね。
>輪廻転生という考えがある以上、草も木も動物も虫も同じ生き物
人間は草や木には生まれ変わらないのではないのですか。人間にありがたいのは仏の教えを聞けて仏になれる存在だから、とお経に書いてあるのを読んだことがあります。
No.5
- 回答日時:
(1) 例えば史実として、殺人者ではないのに、その当時の裁判によって死刑がほぼ確定した状況下で、毒杯自殺した
人があるらしい。
(2)死刑囚の中にも、無実の人も全く無いわけではない。
仏教はこういう人間社会の宿命を扱う超社会的存在です。 だから、仏教と法律と同じ土俵で考えると何か妙
なことになります。
とかく人間集団は集団(=社会)を半分以上重視します。 一方、仏教が問題にするのは「あなた一人」です。
つまり、発想の根底にある何かが異次元のものなのだろ
うと考えるわけです。
ありがとうございます。
(1)も(2)も、実際には無実だけど処刑される人がいるっていう例ですよね。無実かどうかと仏性とはどう関係するんでしょうか?
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