プロが教えるわが家の防犯対策術!

ワールドカップ開催直前まで岡田監督はスポーツライター、評論家などから相当辛辣な批判を浴びていました。私も正直その批判に同調していた一人です。しかし本大会でこれだけの結果を残した岡田監督十分賞賛されるべきですし、私も含めて一般国民のからは「岡田監督批判ばかりでごめんなさい。」という声が多く聞かれますが、先の専門的な立場で批判してきた方からの謝罪のコメントが聞かれません。なにかプライドでも傷がつくのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

>No.5さん



>サッカーの報道者は、報道者として、プロフェッショナルです。
>報道とは、客観性と公平性が求められる世界です。
>その世界にいる人が、批判をするのです。その批判には、一定の理由や根拠があるのです。
>サッカーファンが、自分の好き嫌いで、評論するのとは、訳が違います。
>サッカージャーナリストを馬鹿呼ばわりする発言は、撤回すべきと思います。

報道者と言っても、記事を出版社に買ってもらうことで収入を得ているのです。

何事も、「お金」が絡むと公平性が失われてしまうんです。

そういう意味では、サッカーファンが無償で発信する情報のほうが、公平性があるのかもしれません。(愛するクラブがある人は除く)

それと、No.11のコメントは理想論であり、裏を返せば、プロフェッショナルすぎる報道者さんへの批判でもあります。 
    • good
    • 0

スポーツライターや評論家は、日本代表に帯同しているわけでもなく、日本代表の全てを知っているわけでもありません。



W杯直前までの戦術や試合内容から、日本代表は惨敗すると予想したということです。(練習も非公開なので、カメルーン戦の戦術はマスコミにもバレていなかったと思う)

つまり、W杯直前の情報を分析したうえでの予想としては、的外れではなかったのです。

よって、謝罪する必要はないと思います。


でも、彼らにプライドがあるなら、W杯の全試合を分析し、日本代表がさらに強くなるための意見を述べるべきだとも思います。

もちろん、それとは別に、素直に日本代表の健闘への賞賛を忘れてはいけません。
    • good
    • 0

批判の内容が如何なるものだったのかよく知らないので的外れかもしれませんが、その批判が


1.人格・人間性を批判したもの
2.無能であると批判したもの
のいずれかであれば、これは相手を傷つけていますし、結果的に当を得ていなかったと言えますので、謝罪すべきではないかと思います。曰く、「無能だから監督交代すべき」「人望なく統率力もない」といったような批判です。

戦術や選手起用についての批判は、見解の相違、考え方の相違みたいなものでしょうから、謝罪をするほどの問題だとは思いません。

評論家としては、謝罪よりむしろこのチームに対する戦前の自らの評価・予想がまったくあたらなかったことに対して、なぜ予想をはずしたかを分析し、反省すべきだと感じます。評価・予想があたらないのは、その土台となる現状分析の方法に問題があるか、そもそもサッカーにはこういった分析がなじまないかのどちらかでしょう。いずれにせよ、評論家としてこの点を解明して反省しないと、彼の批評・批判が全く的外れなものかもしれないという疑問を払拭できず、その意見に耳を傾ける価値はないのではないかと思います。

大会直前の連敗からは、活躍が予想ができるはずもなかった、とか狐につままれたようだ、などという弁解や直前での方針転換がたまたまうまくはまったのだ、などという判りきった結果論で済ませてしまうのでは、分析のプロとして、評論家として失格だと思います。
    • good
    • 0

謝罪する気はさらさら無いようですよ。



http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2010/0 …

ある意味プロフェッショナルですね。
    • good
    • 0

#5へ



誰も「批判するな」なんて言ってないでしょう。

批判するのは自由。
だがその相手のやったことが正解だったことが結果として出てるんですから
それに対して何らかのアクションを起こすのは大人としての常識では?


>選手として素人でも、最高の監督になれる。

そう、物理学者だって計算を間違えることはある。
小学生だって天才的な計算式を思いつくことはあるかもしれない。

だから文句を言うところまでは別にいいんですよ。

しかし結果はどうでしたか?

結果的に物理学者の言ってたことは正しいことが証明されて、
それに小学生が文句を言っていたという事実だけが残ってるわけです。

小学生ならともかく社会人なんですから、
この状態で謝罪しないような奴は非常識な奴だと思われて当然でしょう。
    • good
    • 0

監督は批判に応えて


システムを変え結果をだした

そう考えれば
評論家がすることは
謝罪ではなく評価ではないでしょうか

いままでと同じ戦い方で
ベスト16に行ったのなら
それこそ岡田監督を批判してきた評論家は総懺悔すべきでしょう
    • good
    • 0

大した理由も根拠もなく、自分の好き嫌いだけで評論しているジャーナリストも現にいるからねえ。



そういうのは馬鹿呼ばわりされても仕方ないのでは。
    • good
    • 0

下記の回答に反対意見です。



サッカーの選手としての素人は、サッカーの報道をしてはいけないと?

モウリーニョは、サッカー選手として一流でしたか?
彼は、通訳でしたよね。
選手として素人でも、最高の監督になれる。

サッカーの報道者は、報道者として、プロフェッショナルです。
選手として優秀でなければ、報道してはいけない、その資格が無い、
そんな考えは、間違っていると思います。

報道とは、客観性と公平性が求められる世界です。
その世界にいる人が、批判をするのです。
その批判には、一定の理由や根拠があるのです。

サッカーファンが、自分の好き嫌いで、評論するのとは、
訳が違います。

サッカージャーナリストを馬鹿呼ばわりする発言は、撤回すべきと思います。
    • good
    • 0

岡田監督は、批判されてしかるべきです。



その理由は、

・2年半代表を育ててきた方針ではなく、直前にシステムを変更した

つまり、この2年半はなんだったんだという責任
もうひとつは、事前の岡田システムを体現できる23人を選んだのに、
システムを変更したならば、そもそも代表23人は違っていたのでは?

ということです。

かしかに、コートジボワール戦後に、
2年半をかけてきたチームを変更した、その決断は評価に値します。
その決断自体に対して、岡田さんは評価されても良いとおもいます。

でも、このシステム変更は、苦し紛れであり、
2年半を費やしたチーム作りを全てご破算にした責任は、
追及されるべきです。

その意味で、
メディアが批判し続けたことは、正当であり、
なんら謝罪する必要はありません。
    • good
    • 0

こんにちは。



パラグアイ戦の後、本田選手がこう言っています。

「多くの人が批判してくれたことに感謝している。批判する人がいなかったら、ここまで来られたか分からなかった。」
(参照URLの記事から引用)

代表チームは結果を出すことが宿命です。
本大会前、結果を出せずにいた日本代表は批判されて仕方ないのです。
もちろん不必要な個人攻撃や的外れなものは論外ですけど。

大会前、失点して負けるところから岡田は考えました。
本田のワントップ起用。そしてアンカーを使った布陣。
そうした変化は批判から生まれたと言えます。

私は謝罪することが「日本人らしい」と考えます。
どこかに潔さを求めるんですね。

結論として、「謝罪はプライドが許さない」という人もいるでしょう。
その反面、「批判は必要だった」と反論する人もいるはずです。
謝罪することも正解。しないことも正解です。

今後、必要であれば批判はすべきです。
その批判に耐えてこその代表チームですから。

これで答えになっていますでしょうか。

参考URL:http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/07/01 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。確かに誹謗中傷ではなく正しい批判は必要ですね。
1966年のイングランド大会で、イングランドが優勝した時、国中がお祭り騒ぎで沸く中
あるイギリスのジャーナリストがイングランドチームの単純なキックアンドラッシュの戦法では
世界のサッカーから取り残される、また審判も自国のチームに寛大であった。と批判的にコメントを
しましたが、イングランドはその通りその後のワールドカップではいまだに芳しい成績を残していません。日本の代表チームももうひとつ上のレベルを目指すには課題もたくさんありますね。

お礼日時:2010/07/01 20:33

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!