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神聖ローマ帝国

高校生で世界史Bを勉強中です
神聖ローマ帝国は、フランスとかと同等の国家なのですよね?
教科書(山川出版)の‘17世紀なかばのヨーロッパ’と題される地図を見ると、神聖ローマ帝国の国境内部に

ハプスブルク家の領土(スペイン家)
ハプスブルク家の領土(オーストリア家)
ホーエンツォレルン家(ブランデンブルク)の領土
ウェストファリア条約によるスウェーデンの領土

があります

ここの意味がわかりません

しかも、神聖ローマ帝国=ドイツですよね
「ドイツ国内は大小の領邦が分立」と書いてあり、さらに混乱状態です…(-_-#)

さらにさらに、「神聖ローマ帝国カルロス1世が退位した後ハプスブルク家は、スペイン系とオーストリア系に分かれた」とあり、それでも神聖ローマ帝国は分裂せず存在しているのが、矛盾している気がしてしまいます


ばーっと書いてしまったので、質問がわかりにくいかも知れませんが、よろしくお願いします(^。^;)

A 回答 (3件)

17世紀半ばの神聖ローマ帝国というときは、1648年にウェストファリア条約によって、近代的な国家観が西欧に成立したよ!ということが前提になっています。



1648年の前は、原理的には、世界はすべて神のもの=聖なる所有者はイエスで、その代理人がローマ法王。そして、そのローマ法王に現世の統治を任されているのが、神聖ローマ帝国ということになります。
世界はすべて神聖ローマ帝国のものなのです。
とはいえ、実際には、ドイツ+イタリアがローマ皇帝の実効的な支配地だったので、ローマ皇帝は、地理的に離れた、ドイツとイタリアを行ったりきたり。だんだんとドイツ人たちは、「いつまでも、ローマに行ったきりになるなよ」となったので「1512年 - ドイツ国民の神聖ローマ帝国」なんて名乗ったりします。

1648年の国境とは

本来ローマ帝国としては国境が無いが、ここからここまでは、独立の国家として切り分けちゃいますよ。という残り物が、神聖ローマということになります。フランスだとかオランダだとか、ガッチリ国家となっていたところがローマ帝国から正式に切り出されて、ふにゃぁっとした場所が「領邦」として、国家でもないしなぁという感じで残ったわけです。

ハプスブルグ家と神聖ローマ帝国の関係も、結果として、ハプスブルグ家が神聖ローマ皇帝を世襲しただけであって、イギリス王家やフランス王家とは違います。
イギリスにしてもフランスにしても、○○王の血筋を引いているから王なんだ!というのが第一義的に主張されますが、神聖ローマ皇帝の場合は、あくまでも、選挙の結果皇帝になります。
なので、フランス王が神聖ローマ帝国の選挙で勝てずに、皇帝になれなかったということもありました。


ハプスブルク家の領土(スペイン家)
ハプスブルク家の領土(オーストリア家)
ホーエンツォレルン家(ブランデンブルク)の領土
ウェストファリア条約によるスウェーデンの領土

それぞれの王家がそれぞれの土地を持って上でオーストリアのハプスブルグ家が皇帝になっているだけのはなし。

たとえ話で言えば、現在の各県知事のなかで選挙に勝ったやつが、総理大臣になる。けど東京都知事が一番力を持っているので、伝統的に東京都知事が首相になるというようなもの。
さらに、外国であるアメリカ合衆国の基地には、日本の警察が入れません。ウェストファリア条約によるスウェーデンの領土というのが、日米安保条約による日本国内アメリカ基地みたいなものです。

しかも、神聖ローマ帝国=ドイツですよね

これは間違い。はっきりしないので、19世紀の段階で、プロイセンを中心にまとまろうという小ドイツ主義とオーストリアを中心にまとまろうという大ドイツ主義が生まれちゃいます。

「神聖ローマ帝国カルロス1世が退位した後ハプスブルク家は、スペイン系とオーストリア系に分かれた」

カルロス一世は、めちゃくちゃ称号を持っており、その中のひとつが、スペイン王だったり、ローマ皇帝だったりします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC% …
いろんな親戚から受け継いだ称号=領土を弟と息子に整理して引き継がせたということになります
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 No.2で回答した者です。



 余計なことかもしれませんが、「神聖ローマ帝国カルロス1世が退位した後・・」とありますが、神聖ローマ帝国皇帝としては「カール5世」が正しいです。
 カルロスはドイツ語にするとカールで、言語は違いますが同じ名前です。
 
 金印勅書を発布した神聖ローマ皇帝が「カール4世」だったことを想起ください。
 スペイン国王としてはカルロス1世で良いです。

 質問とは外れますが、気になりましたので記入しました。不快であれば、お礼は不要であることを明記します。

 
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この回答へのお礼

お二人ともわかりやすい解説ありがとうございます。

神聖ローマ帝国は、仕組みみたいなものに理解がないと本当にわかりにくいものですね。

ウェストファリア条約が、”神聖ローマ帝国の死亡証明書”と習いましたが、
やっとその言葉の本質がわかった気がします。

学校の先生が、主権国家という概念はしっかり理解しなさいと言っていましたが、
その意味もわかった気がします。

それにしてもこの辺はおもしろいですね!

最後に、ケアレスミスの訂正ありがとうございます。
試験で書いたら、×になってしまいますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/01 09:31

 封建制度を取っていると、そのようになることがあります。


 フランスと比較されておられますが、フランスも昔は似たようなものでした。おそらく世界史の資料集はお持ちだと思いますが、11世紀ぐらいから英仏百年戦争期位のフランスの地図はありませんか?時期にもよりますが、フランスの一部(一部と言いましても、時期により半分近くだったこともあり)がプランタジネット家等の英国王家の封土だったこともあります。

 例示されているハプスブルク家等は、神聖ローマ皇帝に封じられている領邦君主です。教科書では書かれていませんが、オーストリア公の領地・ブランブルク伯の領地等があり、それらの爵位をハプスブルク家なりホーエンツォレルン家が与えられ、その立場でドイツ内の領土を統治しています。その意味では、日本の江戸時代で言う将軍と大名のような関係です。ただし、17世紀半ば頃には領邦君主の力が大きくなり、江戸時代の将軍が大名にするように領邦をなくすことは、ほぼできなくなっています。
 爵位は、相続や条約等で外国君主に渡ることがあり、スウェーデンや後には英国・デンマーク等の王家が持つこともありました。

・ドイツ国内は大小の領邦が分立 
 独立性が高い領邦君主が多く、統一性が取りづらい現実を説明していると思います。すでに説明したとおり、領邦君主は皇帝から封じられている立場ですので、実質はともかく、形の上では国家は分裂してはいません。

・神聖ローマ帝国カルロス1世が退位した後ハプスブルク家は、スペイン系とオーストリア系に分かれた
  神聖ローマ皇帝位は、オーストリア系のハプスブルク家が事実上世襲しています。神聖ローマ帝国は分裂していません。

 少しでも参考になれば幸いです。
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