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幽霊について

幽霊がいないのは明らかなことと考えますが、これは証明しないといけないことでしょうか。
また証明することは可能でしょうか。
私は証明は不可能であるが、証明の必要はないと思うのですがどうでしょう。
やはり証明しなければ幽霊はいないということはできないでしょうか。
 

A 回答 (25件中1~10件)

 証明する必要があるかないかは、証明しない事によって不都合があるか否かによって異なります。


 例えば、普通に生活する分には幽霊が実在しても、しなくても関係はありませんから、証明する必要は無いと思います。
 しかし、幽霊が実在するか、しないかを議論している場合には、証明しなくては話が進みませんから、どちらが正しいかを証明する必要があると思います。
 この時、間違えてはいけないのは、自分の主張が間違っている事を相手が証明出来ない事を以て、自分の主張が正しい事の証明だとするのは誤りだという事です。
 自らの主張が正しい事を証明するためには、自分で証拠を挙げて証明しなくてはなりません。
 ですから、
「幽霊が実在する事は証明出来ないのだから、幽霊は実在しない」
という主張も
「幽霊が実在しない事が証明出来ないのだから、幽霊は実在する」
という主張も、両方共に相手が証明出来ない事に居座っていますから、全く同じレベルで間違っています。

 因みに、私は感情的には幽霊に存在して欲しいという願望は持っておりますが、実在しない事の証明を考え付いてしまったため、実在しないと考えています。
 私が考えた幽霊が実在しない事の証明に関しては、以下に記す過去の質問に対する、私の回答(ANo.2とANo.3)を御覧下さい。

【過去の質問】
 幽霊の証明 (科学的にー
  http://okwave.jp/qa/q5422641.html

 尚、上記のURLに掲載されている私の回答は、あくまでも幽霊に関して
「幽霊とは死後も存在を保ち続けている人間の精神である」
という定義が正しい場合においてのみ、幽霊が実在しない事を証明するものであって、もしも、
「幽霊と呼ばれているものの正体が、実は死者の精神ではなかった」
という様な場合には、上記のURLに掲載されている私の回答に書いている根拠では、幽霊の実在を否定出来なくなりますので、その点だけは御間違えにならない様に願います。
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この回答へのお礼

幽霊が実在しない事の証明読んでみましたが、なかなか良くできていると思います。
幽霊を信じる人は心が脳の働きである事実からまず否定しようとします。
宗教漬になると必ずこうなるもんです。
なのでそこから潰しにかからなければならないのですがそこを良く見抜いたわけです。
ただしここで考えなければならないのは、宗教漬になった人間が全て理性、論理性を失っているかというと必ずしもそうではないということです。
つまり彼らとて心が脳の働きであることは元々承知しているはずなのです。
私にはそうとしか考えられません。
宗教漬になろうがなるまいが同じ人間に違いないので理性が無いはずはないであろうと考えます。
提示された論理的証明に加え、別の観点、つまり心理的観点からの証明も有効であると考えます。
 

お礼日時:2010/08/06 21:13

>幽霊がいないのは明らかなことと考えます


予断は誤りのもとです。多くの人はそうは思っていないと思います。

>これは証明しないといけないことでしょうか。
貴方が必要だと思われるのなら、そうでないという理由はありません。
証明しなければならないという理由は一般的にはないと思います。

>また証明することは可能でしょうか。
不可能だと思います。すでに多くの回答がありますが、これまで出版されたまじめな関連文書にある膨大な目撃例(歴史上の人物も含めて)のすべてを個々に否定する必要がありますので、これ自体が不可能だと思います。ちなみに私自身は見ていませんが、身辺に目撃例を複数例しっています。これらについても合理的な否定の理由が知りたいものです。

>私は証明は不可能であるが、証明の必要はないと思うのですがどうでしょう
貴方の理由とは違うかもしれませんが、私もそう思います。

>やはり証明しなければ幽霊はいないということはできないでしょうか。
 もちろん そのとおりです。それが科学的な態度であると思います。
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科学では方法さえ正しければ誰にでも見ることが出来るあるいは感知できることだけを調べるのです


存在を主張するならその方法で存在を証明しなければなりません
不存在を証明する必要はないのです

このようなことを検証してみましょう
俺の理論
宇宙全体は一定時間ごとに2倍に膨張している
物差しも何もかもかも同じ割合で大きくなるので俺以外の人間には分からないのだ

私の理論
イヤイヤそうではない
宇宙全体は一定時間ごとに2分の1に収縮している
物差しも何もかもかも同じ割合で小さくなるので私以外の人間には分からないのだ

どうです
特定の人にしか分からないことはどうでもいいのです
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何をもって幽霊と言うかが既に論争の対象になりそうですが、私はこれをある人には見えるのに他の人には見えない存在で、しかも、それを見ることができる人が精神的におかしい訳でなく、精神科医が見ても正常人間であるとお墨付きを貰える人である場合と定義してみます。

その定義に基づくと幽霊は居ます。特に最近の日本では幾らでも幽霊が出没しております。実際の実験で繰り返しその存在を確認出来ますので、それは存在の証明となります。

この幽霊の存在に私が始めに気が付いたのは、私のアメリカ人の友人が大阪に仕事で3ヶ月ほど滞在したときでした。その方は日本が始めてだったので、アメリカに帰ってからその方に日本で一番印象に残ったのは何かと聞いてみました。そしたら、実は私は日本では幽霊なのかもしれないと言っていました。その方が、仕事の合間に始めて神戸に行ったときだったそうです。始めて行く場所だったので、電車の中で一寸不安になり、隣に座っている若い人に「あのー」っと片言の日本語で声を掛け、この電車が目的地に行くことを確認しようとしたそうです。そのとき不思議なことが起こったと言って居りました。その日本人は全く何も反応を起こさず、そのアメリカ人を見事に無視したそうです。全く反応がない。そのときそのアメリカ人はその異様さに、「もしかしたら私はここに存在していないのではないか、もし存在していれば、拒否でも何でも良いから何らかの反応があった筈だ」と言っていました。だから、そのアメリカ人はもしかしたら自分は幽霊ではないのかと思ったそうです。

その話を始めに聞いたときはただ私も「ヘー日本の若い人って不思議な行動をするんだな」と思っただけでしたが、その後、私までそれと同じ経験をするとは思っても見ませんでした。その後私と家内が閑散とした小倉城を訪れた時に、広場に向こうから25才くらいの女性が歩いて来ました。私達は丁度良いと、彼女に声を掛けてお城を背景に写真を撮ってもらおうとしました。そこの広場では私達と彼女だけがいたのですが、5mぐらい向こうからこちらに歩いて来る彼女にはっきりと聞こえる声で、「すみません」と声を掛けたのです。そしたら彼女は私達の方に顔を向けるでも無く、まったくの無反応で私達の側を通り越して行ってしまいました。私たち夫婦は顔を見合わせて、もしかしたら彼女に取って私達は存在してはいないのではないかと互いに言いました。

多分貴方も若い日本人の方相手に同じような経験をなさったことがあるかも知れません。でも、私達も、またそのアメリカ人も他の正常な人達には見えていると言う証拠は幾らでも挙げることが出来ます。ところが、このように私達やアメリカ人の存在に気が付かなかった日本人も確かに居たのです。ですから、上の定義によると私達もそのアメリカ人も幽霊です。

繰り返しますが、このことは現在の日本では比較的実験が容易ですから、その存在の証明は科学的に出来ます。居ないことの証明は出来ないと言っている方もいらっしゃるようですが、私たち夫婦やそのアメリカ人がどう話しかけようとも何の反応を示さなかったと言うことは、その若者達には私達が見えていなかったと言うことですね。余程文化が異様に歪んでしまった病的な社会でない限り他に考えようが無いですね。だから、そのアメリカ人も私たち夫婦も幽霊なのです。そして、私たち夫婦やそのアメリカ人は現に居るのですから、私達の存在の証明は簡単です。

私が若い頃にはそのような実験をした場合、必ず若い人は肯定的にも否定的にも何らかの反応してくれたので、昔は幽霊は居なかったのだと思います。しかし、最近では日本の若者の間では幾らでも幽霊が出没しているらしいと言うことが、図らずもそのアメリカ人と私たち夫婦によって実証されたようです。

この回答への補足

 
なるほど、分かりました。
つまり足をもった幽霊もいるということですね。
  

補足日時:2010/08/07 19:49
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この回答へのお礼

 
つまり幽霊とは意思を示さぬ者、呼び掛けに答えぬ者、表情を失った者のこと。
確かにこれらは幽霊に違いない。
現代日本社会が生み出した21世紀の幽霊、生きているのか死んでいるのか分からん生き物。
ネットに浸り、ゲーム漬となり現実世界とバーチャルワールドの区別がつかなくなった生き物。
おそらくは日本全国に数十万~数百万いや数千万はいると思われるが。
 

お礼日時:2010/08/07 19:43

#15です。


成り行きを見ている限り、何を言ってもダメでしょうけど…

>「幽霊とは死者の生き還りである。その姿形は、万人によって確認できる。」
これは単なる前提に過ぎず、科学的な検証をするための定義にはなりません。
これではどうやって科学的にアプローチできるか、何ひとつ分かりませんよね?

>十分定義されているからこそ幽霊はいる、いないの議論が普通に成立つのです。
定義がなくとも議論は可能です。

幽霊ひとつにしても、視覚的にかなりの差異があり、人間の姿をしていても、足があったりなかったりしますし、炎のような形、マリオで出てくる“テレサ”のような姿など、国などによってもバラバラでしょう。

不可解なものがとりあえず幽霊のせいにされているケースは多いでしょうし。

そして他の回答者さまも“定義が必要”と言っています。
質問者さまの定義は質問者さまだけでしか通じません。
まずは共通の定義から決めるべきでしょう。
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この回答へのお礼

幽霊の定義は簡単です。
「幽霊とは死者の生き還りである。その姿形は、万人によって確認できる。」
これで十分です。
なぜなら生き還った死者は人類の歴史上一人もいないからです。
もちろんこれは定義の通り万人が確認できるものでなければだめです。
なぜなら私は一度死んだんです、などと冗談を言う人間はこの世にたくさんいるので。
またキリストが死者を蘇らせたという話は有名ですがあれはあくまでオカルトの世界です。
誰も信用はしていません。
 

お礼日時:2010/08/07 19:12

夏の夜にふさわしい、大変興味深いご質問ですね。



> 幽霊がいないのは明らかなことと考えますが、これは証明しないといけないことでしょうか。
> また証明することは可能でしょうか。

よく例に引かれることですが、「白いカラスが存在する」を証明する方法は簡単です。現物を一羽でも示せばよいからです。
しかし「白いカラスは存在しない」を証明するためには、世界中のカラスを全部調べなければなりません。
同じように、「幽霊は存在しない」と「証明」するのは非常に難しいでしょうね。
質問者さんは既によくご存じのように、「非在証明」は原理的に難しいのです。

> 私は証明は不可能であるが、証明の必要はないと思うのですがどうでしょう。

質問者さんが「幽霊は存在しない」をご自分の信念として持ち続けることに限って言えば、改めて証明の必要は無いでしょう。
ただし、もし質問者さんが「幽霊は存在しない」と言うことを誰かに納得させたいと言うことであるのならば、注意すべき点が二つあると思います。
それは、
1)「幽霊がいないのは明らか」「存在してはならないシロモノ」……と理屈抜きに主張するだけでは、信じている人にはあまり説得力を持たないだろう、ということ。
2)「存在するか否か」を『証明する・しない』と言う観点からは、あまり実のある話にならず、不毛な議論になるだろう、ということ。

私は「幽霊は存在しない」と誰かを説得する場合に一番効果的な方法は、
 A)『証明済みの別の事実から説明できるか否か』
 B)『矛盾があるか否か』
と言う観点から話をする事ではないか?と考えます。

A)証明済みの別の事実から説明できるか否か:
現代科学で未解明のことはまだ無数にありますが、同時に、これまでの科学で解明された事も十分たくさんあります。
ANo.13のご回答のように、少なくとも「人間の意識は脳活動によって生じる」ことは今や証明済みの事実です。
従って、それが未解明だった時代に作られた考え「意識は別の次元にあって、たまたま人間の肉体に宿る。だから人間が死ぬと意識(魂)は幽霊になってさまよう」といった説は、本来であれば天動説同様にとっくに捨て去られるべきモノなのです。
私は「幽霊を見た・出会った」という証言は、錯覚・幻覚・詐話でほとんど全て説明できるはずと考えますが、ロマンとして「未解明の物理現象」をちょっぴり加えるのは許せます。

B)矛盾があるか否か:
「幽霊が存在すると仮定したら、こういう矛盾が起こるのでは?」と言う考え方です。
例えば「その幽霊は死んだときの服装のままだった」という話に対して「人が幽霊になるのはよいとして、では服にも霊があるのか?」あるいは「死後あの世で服を調達したのか?」など。

> 幽霊とかオカルトは個人が作るものではなく、社会によって人為的に生み出され、個人がその上に居座るものです。

このご意見には思い当たる所があります。
統計によれば、10代後半の青年男女が「霊の存在を信じるか?」の質問に「はい」と答える比率は、昭和20年代が一番低く、その後だんだん増えてきているとのことです。
私は、安易なオカルト肯定番組を放送するTVの悪影響が一番大きいと考えます。

なお、まともな坊さんはオカルトの話などしませんよ。
僧侶の知人がいますが、「先祖供養」その他の説話は、あくまで生きている人の心の持ちようを諭すための「物の例え」としています。

まあ、人間にとって「死ぬことへの恐怖」「死後自分が存在しなくなるという不安」「愛する人が死後もどこかに存在していてほしいという願望」「因果応報への期待(殺された人が殺した相手にとりついて復讐する等)」……等々は時代や地域を問わず人間の根源的な想いですから、今後どんなに科学が発達してもどんな社会になろうとも「霊が存在してほしい」と願う人間の気持ちはなかなか変わらないのかも知れませんね。

下記の本が参考になると思います。
安斉育郎「霊はあるか---科学の視点から」講談社ブルーバックスB-1382 (2002.9)

この回答への補足

 
>私は、安易なオカルト肯定番組を放送するTVの悪影響が一番大きいと考えます。

私もそう思います。
もちろんこれは女子中高生や主婦などオカルト大好き人間の要望に対し、視聴率優先主義で成立つテレビ局が応える結果起こるものであり、日本社会が精神的に未熟である様を示すものなのです。
 

補足日時:2010/08/07 20:50
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この回答へのお礼

有難う御座います。

>「霊が存在してほしい」と願う人間の気持ちはなかなか変わらない

つまり幽霊とは人の願いが生み出すものということでしょう。
私も幽霊とは人の願望であると思います。
しかしその願望は前向きな願いではなく、後ろ向きであるということです。

>「先祖供養」その他の説話は、あくまで生きている人の心の持ちようを諭すための「物の例え」としています。

「物の例え」や方便がなくなる日がそのうちやってくると思います。
そのとき幽霊は「物の例え」や方便と共に消えて行くでしょう。
 

お礼日時:2010/08/07 07:10

はぁ~・・・もう書き込む気はなかったんですが・・・・・



貴方は自分の考えをひたすら押し通したいだけなのですね?
ならば何故このような質問をなさったのか皆目見当がつきません。
闇雲に自身の考えを押し通すのは、最も愚かな行為です。
貴方のように無知なくせに絶対に自分が正しいとロクに調べもせずにほざく方々が多すぎることこそ、社会問題にすべきだと思いますが。
貴方は結局自分だけの勝手な考えを盲信し、押し付けているようにしか見えません。
対象について何も知らない分際でよくここまで得意げに語れるものです。

何事も盲信するな。本当に自分は正しいのか、常に自分に問い続けろ。 よく笑い、よく学べ。
これは魔術師の心得です。 本当は、黙して語らずいう心得もあるのですが、私は魔術師ではないので。

大体自然科学は魔術から派生したという事実をご存じですか?
東洋医学や、鍼灸医学もその起源は神秘行であり、気功法の源流である中国仙道から来ているのですよ。
確かに、陰陽五行や、八卦の理論は、理論面をみれば科学の足元にも及びませんが、実用という点では、科学なんかよりよっぽど上なのです。
中国人の食生活を見てください。得体の知れないものでもなんでも食べますよね?
こうして培われた知識は机上の空論で終わりがちな科学とは、完全に一線を画しています。
単に科学がそれを証明するほど進んでいないだけです。

仙道的な理論では、人体は 精、気、神で構成されるといいますが、これも実用的なだけで科学的な確証は何も御座いません。これのついて知りたければ、気功の書籍を読んでいただくとして(貴方は読まないでしょうが)

確かに、社会の問題はありますよ?
インチキ野郎を祀りあげた番組が腐るほどありますから。

しかし、太古より人は思念や、霊または気や神と呼ばれるものの力を察知しコントロールしていたわけです。但し、作られた幻想では無く、その存在に人々が気ずく社会だっただけです。
巫女や陰陽師なんかが代表的ですね。
実際に神道では、ただの思念や氣も霊と呼びますから。
兎に角、昔から人々はその現象を受け入れてきたのは、紛れもない事実です。
オカルトは科学で証明出来ないから存在しない?馬鹿云っちゃいけません。
証明出来ないということは、現象を証明する手段がないだけです。
大体本当に存在しないならば、超心理学やサイ科学というものも誕生しなかったでしょうに。
科学で証明出来ない現象が存在するから新しい学派が生まれるのですよ。
それとも貴方はその学派さえも否定なさると?

貴方は霊が居る居ない以前の問題です。
それにしても、貴方の定義には失笑してしまいましたよ。
霊とは、もっと多彩なものです。
この世界は何層にも重なっていて、自分の世界より高次元ものは見えないといいます。
これを、先天的にみることの出来る方や修行によって、眉間の第6チャクラ(所謂第三の目)を開いた(活性化させるという意味)方が霊が見えるといいます。
もちろんこの理論も科学で証明出来ませんし、それが正しい理論かは分かりませんが、この理論にそって、行を積むことで効果が表れるのもたしかです。
ついでに、チャクラの色は測定機器で測定可能ですから、見方によっては科学的に証明されたことになるでしょう。
この事実すら否定するのであれば、それは無知では無くただの現実逃避です。
もちろん、私の意見も全てが正しいなどと、愚かなことを云うつもりはございませんし、何が正しいのかは誰にも分からないものかもしれません。
ただ、何の体験もせず、知識もないくせに、霊は絶対居る!!だの居ねーよボケ!!だの云い合っているのは、馬鹿としか思えません。

兎に角、何も知らんで偉そうに語る前に多少なりとも知識を蓄えてから意見を語って頂きたい。
ついでに、私は気功の訓練によって掌で多少気を感じることができます。

といっても意見を変えろだのとほざく気も御座いませんので、その考えでいたいのなら、止める気はありません。
しかし、その意見を人に押し付けるのであれば、インチキ霊能者と何も変わりませんよ。

これ以上貴方に云うことはありません。
さようなら。
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この回答へのお礼

 
あなたに言うべきことが一つあります。
魔術、神秘行、気功法、中国仙道、陰陽五行、八卦理論および諸々のオカルトに浸る前に行うべきことがあります。
正しい心を持ち「人の道」を歩むということです。
 

お礼日時:2010/08/07 18:58

幽霊がいるかいないかの科学的証明は幽霊が一体何なのか判らなければ何も始まりません。


つまり、何をどう調べて何を発見してどう証明するか、その結果がどうなれば否定もしくは肯定されるのか。
現在の科学力では足りないのではないかと思います。
 
数学上では存在確立を求める事が出来るかもしれません。
ただ、魔の方程式になるでしょうから、数学博士が食指を延ばすまで待たねばならないかと。
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この回答へのお礼

風邪薬が効くかどうかは科学的には何も証明されてはいません。
私なんか風邪薬飲んで効いたためしがありません。
世の中科学的に証明されていようといまいと、通るものもあれば通らないものもあるということです。
 

 

お礼日時:2010/08/06 22:16

議論になっているようなので 少し関係の無いことを



衆議院議員福田えり子の公式ホームページのプロフィール写真が
心霊写真だという噂がありますね
 
修学旅行の写真の上のほうにいる人物が奇妙だという話です
(フジテレビの稲垣さんの番組のゴム人間?バイトで撮影した写真を公式プロフィールに利用したのでは?という噂です 道場では左手前にでかい手でしたか?)
テレビには嘘もありますね

本当は この学年の修学旅行が海外だったという噂の方が面白いんですが…
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この回答へのお礼

心霊写真の話は腐るほどありみんなもううんざりだと思う。
心霊写真の作者もデジカメを扱わんといけないので工夫が必要と思いますが。
 

お礼日時:2010/08/06 22:07

下らない討論に些か疲れましたので、これを最後の書き込みにしたいと思います。



オカルトなんて非論理的な思い込みだと思うのも、その逆もまた思い込みなんですよね。
自分で体感しない限り、肯定側も否定側も、勝手な想像上の思い込みに過ぎません。
しかし、テレビでやるのはデタラメばかりですし、その辺にもインチキ野郎が大勢います。確かめる方法もありませんから、結局自分で感じるしかないんですよ(感じようとして、錯覚を起こし愚かな考えに走る方々もいますが。) 
そして、同じものが見えても霊だと思うか、別のものだと思うかは十人十色ですし、本物の霊能者の方々でも意見が対立することがよくあります。別のものが見えることもあるらしい(別々の次元を見ているらしいですが、どちらか、あるいは両方デタラメの可能性もあります。)

でも幽霊がどうのと普段から考える人は愚かな考えに陥りやすいのもたしかです。(霊はあまり一般人に関与しません。)
心霊スポットに行って、呪われただの取りつかれただのほざく馬鹿はかなり多いですが、本当に憑かれているパターンは非常に稀です。(不幸が訪れるのは、ほぼマイナスプラシーボ効果と呼ばれるものです)

そしてここで問題が発生します。
私は今、本当に取り憑かれることもあると言う表現をしましたが、他の方も仰る通り、定義が必要になってくるのです。

一般的に、霊というと人間の魂だの霊魂だのと考えることが多いと思いますが、霊と一口に言いましても、多種多様な種類があります。

自然霊(決まった姿形をとらず、神として祀られるものや、怒りを買わぬ為に崇められたりし、象徴として、神話などで語られる存在)
残留思念(死者に限らず、人の強い思いが残ったもの。これと波長が合うと、心身が乱される。これを取り憑かれるとも言い、低級霊能者は幽霊と勘違いする)
霊の種類は他にも有りますが、人間霊の種類や、動物霊の話になるので、はぶきます。
ついでに、死者の魂は私は確認したことが無いので、なんとも言えませんが、決して否定も出来ないと考えています。よく化け物がどうのといいますが、霊が記憶を無くし、自分の姿を忘れることで、形が変わったものと考えられています。
真実は私には分かりませんが。

ついでに、ユリ・ゲラーという方の超能力は本物だと認められたそうですよ。
気功師のヒーリングも、癒しの波動が手の平から出るのは科学的にも認めざるを得ないらしいですが、何故それが可能なのかは現代の科学では分からないそうです。

霊視能力も、使う力が異なるだけで、本質は同じなんですよ。

余計な知識はこれくらいにして、霊を完全に否定したければ、超心理学、サイ科学。
オカルト(科学で証明しきれないもの)を全て否定したければ、上記+ユング心理学、経絡学、チャクラ、あらゆる宗教の修行及び呪術、中国武術(発勁)、合気道(合気)、聖地などと呼ばれるパワースポットから放出される波動などを全てデタラメだと否定する根拠を見つけることです。

No15様が仰られたように現在の機器は人間の五感には遥かに及びませんが、カメラ(霊は明かりを嫌うので、出来れば暗視カメラ)や高性能な温度計(霊が出ると気温が下がる)で有る程度測定出来るらしいですよ。

最後に一言
何事も盲信するな。

この回答への補足

坊主にとって幽霊は必需品だと思います。
幽霊がいないとなると坊主の生活は成り立たんでしょう。
坊主は幽霊を使ってなんとしてもお布施を頂戴しなければいけないのです。
 

補足日時:2010/08/06 23:22
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この回答へのお礼

はっきり申しまして幽霊とかオカルトは個人が作るものではなく、社会によって人為的に生み出され、個人がその上に居座るものです。
 

お礼日時:2010/08/06 22:01

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