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何のための生命??



昔から時々考える事があったのですが、
地球で生きている人間やその他の生物はなんのために
産まれる→生きる→死ぬ→生まれる・・・を繰り返しているのでしょうか??



まわりの人にも聞いてみたことがあるのですが、
ある人は「全て無意味なことだ」といい、ある人は「地球の繁栄=宇宙の繁栄のためだ」
と言う人もいました。



偶然に地球という惑星が誕生したからそこから偶然に生命が誕生して
偶然に生命の繰り返しが行われているにすぎないのでしょうか?


*別カテでも質問したのですが、再度こちらで募集させてもらってます

A 回答 (14件中1~10件)

pilopilonさん、こんにちは。



回答になっているかどうかわからないのですが、
宇宙というものは、まず「宇宙そのもの」という何かが在るという風にはできていません。
「宇宙に関する観測・記述」というものがあって、その指し示すように宇宙がある…
という風にできています。

その「観測・記述」の「主体」が生命です。
ですから、言ってみれば「生命は宇宙を存在させるためにある」という事です。

もう少し正確に言うと「宇宙」が存在する事と「生命」が存在する事とは等価なのです。



簡単な例として「色」を挙げます。
色は生物による観測の結果生じる宇宙の主観的な物理要素です。
従って、生物がいなければ宇宙に色は存在しません。

宇宙と言って語弊があるならば「世界」というものは、
生命に付随するものであって、生命なしには存在し得ないのです。
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 まず、貴方の生が何であるか、貴方の中での回答は何ですか。


 そして、貴方が現実的に何をし、何をしようとしているのでしょうか。
 さらに、貴方の生命の誕生にかかわる人々(直接は両親、両親が誕生した背後には祖父母、祖父母の誕生には祖祖父母、祖祖父母の誕生にはその両親がおり、末は人類の起源に至る)に対しての思いは何ですか。
 
 人間の生命は、その前の生命と出会い、性交渉があって、受精し成熟の過程があって初めて、あります。おぎゃぁと生まれる前の過程で死ぬ者もある。おぎゃぁと生まれてから栄養を与えられなければ死ぬ。人間は、人間として生きることに思いを馳せるまでに成長するためには、さまざまな人やモノや自然が必要である。それも、人間の生命が誕生してからこれまでに繋がれている生命とは何か。
 
 貴方は、自分が生きていることと地球が誕生したこととの間に、数えきれない生命とそこに宿る人間の感情・思考・行動等に、どれだけの思いを馳せることができるでしょうか。
 また、貴方が人間として誕生した、人間としての繋ぎは性交渉、つまり両性からの遺伝子の半分ずつを受け継ぐこと。
 人間の特徴は何。知的な生物である人間。
 どうやって自分の生が誕生したのか、そこに至る過程の中で何が必要であったか、そして、人間である自分が何をする者なのか、貴方にはわかるはずです。

 どんな理由があったとしても、貴方は「人間である」ことを逃れることはできないでしょう。であるからこそ、「何をするか」ではないでしょうか。
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 取り留めなくも継続し、繰り返させられている生命とその営み。


 それに必然性があるかどうかは、一定の意識存在としての各人に付託されていることだと存じます。
 したがって、文章や論文的真理として出される性質の疑問ではないと存じます。
 そして自己の思いを他人に披瀝もできないし、無論、万古不易の真理などとレッテルを貼ることもできないと存じます。
 究極価値が仮にあったとしたら、その先に更に価値はないと存じます。
 そういう意味では、世界の存在には意味と理由、価値はない。
 というのが、私達Self-Realization Fellowship((http://www.yogananda-srf.org/)or(http://www.srf-tokyo.org/tokyo_group.php)の立場です。
 ちょいと突き放した言い方ですが、神の向こうに何かがあるというのは幻想です。
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哲学だけではなく、生物学や宇宙物理学の最終命題ですよ。



こんなところで個人の意見を聞いたところで、
宗教家は宗派の教えに即して答えるだろうし、
生物学者も物理学者も個人の研究結果を答えるだけです。

宇宙の法則に即して生命も存在するのは間違いないけど、
その思索の根拠となる宇宙の法則すら、
「ビッグバンから拡張してビッグバンに至る」のではなく「ビッグバンから永遠に拡張して消滅する」
ということが最近では解ってきたようです。


簡単に個人の意見を募集するより、あなたが自分の頭で考えなくてはいけません。
情報収集に励んでください。
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量子論的世界像では、有限な存在性は観測される事によって生じています。


量子的な相補的不確定性を介した、自我仮説と時空仮説の相補分化と、
そこにおける、無の射影としての存在性。
(無の無限の闇に対する自我の射影)
全ては、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。

全ての存在性が量子的な確率波動に基づいており、無限につめ込むと
存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇の中に、仮想的な
認識可能性の断面を切り、その仮定断面の運動を想定すれば、相対的に
無の風は光になり、認識体はその光の向うに自我仮説の補完(相補的
不確定性)としての時空仮説を認識するのです。

我々自身が第一原因である時、その波及に過ぎない「物質」的には、
本質的な目的はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、
生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる
事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり
全体は「生きよう」とする)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、
「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及
という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×
欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×
その達成度×それを把握する認識力)に収束します。
「精神的充足感のため」というのは、快楽主義に帰結するのではなく、最大限
の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになります。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合う
ために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
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こんにちは。

私はクリスチャンですので、聖書にある言葉を直接書き写し、回答とさせて頂きます。

《世界とその中のすべてのものを造られた神、この方は実に天地の主であり、手で作った神殿などには住まず、また、何かが必要でもあるかのように、人間の手によって世話を受けるわけでもありません。ご自身がすべての人に命と息とすべての物を与えておられるからです。そして、一人の人からすべての国の人を造って地の全面に住まわせ、また、定められた時と人々の居住のための一定の限界とをお定めになりました。人々が神を求めるためであり、それは、彼らが神を模索してほんとうに見いだすならばのことですが、実際のところ神は、わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません。わたしたちは神によって命を持ち、動き、存在しているからであり、あなた方の詩人のある者たちも、『そはわれらはまたその子孫なり』と言っているとおりです。
したがって、わたしたちは神の子孫なのですから、神たる者を金や銀や石、人間の技巧や考案によって彫刻されたもののように思うべきではありません。確かに、神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが、今では、どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます。なぜなら、ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め、彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです。》-使徒たちの活動17章より。
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そもそも「偶然」とか「必然」とかを、どういった基準でそのように「判断」するか?といったところがあると思います。


さらには、「合目的的」といった概念を、「どの程度まで」適応可能か?といったことも問題になるでしょう。

1.偶然に出会って結婚し、子供が生まれた
2.出会ったって結婚したのは必然であり、子供が生まれたのも必然である

通常、事前確率と事後確率という概念があり、「事後確率=1」という概念が共有されています。

「もし・万一」ということを想定することで、「事後」であっても、「偶然」といった概念で語ることができるでしょう・・・すなわち、
1のように過去において「もし・万一」といった想定を当てはめることで、「偶然」といった概念で語ることができます。さらに、複数の可能性からの「選択」を「合目的的」だと推定することで「何らかの意志」といった概念を想定することも可能です。このような考え方の1つに「ID(intelligent design)」といった概念があり、その場合、「偶然」は「奇蹟」に読み替えられることが多いでしょう。
また、一方で「事後確率=1」を「過去へ遡って適応」させていくことで、「人間」が生まれたのは、「宇宙」全体の時空の流れが「そのように」あったためであり、「物理定数がそのように」あったためといった概念を形成し得ます。すなわち
2のように過去に向かって「必然」といった概念を推し進めていくと、「(弱い)人間原理」といった概念が形成され得ます。このような状況を作り出したことについて、「何らかの意志・意図」が存在したと考えると「必然」は「運命・宿命」といった概念として読み替えることが可能でしょう。

少し、思考実験をしてみましょう。

たとえば、通常、食べ物を「放置」しておけば腐っていきます。即ち「菌」が繁殖します。
しかしながら、たとえば、「意図的に」密閉して(菌が入り込まないようにして)煮沸し、冷凍保存すれば、「菌」は繁殖し得ません。
ところで、上述の「放置・意図的」は、地球という環境で、高温多湿な夏場という環境を想定するならば成立しますが、月という環境で、すなわち「空気と水」が存在せず「温度差が大きな」世界を想定するならば、「放置・意図的」は逆転します。
すなわち、食べ物を「放置」すれば、腐ることはなく「菌」は繁殖しませんし、「意図的」に「空気・水」が含まれる環境を作りだして維持するならば、「菌」を繁殖させることが可能になるでしょう。
さらに、「放置」という概念も「意図的に放置した」と捉えることもできます。

宇宙全体からみれば、「地球」といった(放置していても)生命が繁殖可能な環境が生まれ、維持されているのは「偶然・奇蹟的」だと考える人々もいるし、「必然・宿命的」と考える人々もまたいるのです。

「何かのために」という目的を、あらゆるものごとに対して創り出すことが可能な生命体・・・人間・・・その「目的意識」を死後にまで持ち込もうとするところに宗教が生まれ、その「目的意識の否定」を死後のみならず人生にまで援用しようとすることで別の宗教が生まれています。

「今・ここ」において進行中の「たった一つの」できごとに対して、複数の視点から複数の概念が交錯しているのです。

目的があろうとなかろうと、偶然であろうと必然であろうと、運命であろうと奇蹟であろうと、「そのような質問を考えている一人の人間が生きていて、今・ここで質疑応答をしている」といった、たった一つの真実は、何ら変わることはないのです。

そのことについて、どのような解釈を当てはめるかは、偶然であれ必然であれ、質問者様自身が選択し決定すべき事だと言えます。
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すべては、あなたが今を生きるためにあります。



あなたこそが、生きる意味のまっただ中に存在しているのですよ。
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自分は頭が弱いのですが


ひょっとしたら「死」から逃れたいから
繰り返しを行っているのではないのでしょうか?

自分は偶然はないと思いますし
生命が地球だけにしか存在してるとは思いません。

もしかしたら偶然ではなく必然的に人間は生まれ
必然的に人間に託されているのかもしれません。

ひょっとしたら神様は
地形でゆっくり動かすだけに飽き足らず
もっと劇的な変化を期待して
生命を生み出しているのかもしれませんね。
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種の存続のためだと思います。



偶然に地球が誕生し、生命は偶然に誕生したのですが、
それ以降、この地球では今日まで熾烈な生存競争が繰り広げられてきました。

そして生存競争は現在も行われていて、これからも続きます。

現在は偶然、他の種に脅威を抱くことがかない程圧倒的に
人間がこの地球の頂点に君臨し、支配し続けられているため、
生存競争を生き抜き、種を未来に繋げるという意義を感じにくいの
だと思います。

もっとも、人類以外の生物もそこまで知能が発達していないため、
意識はないと思いますが、無意識(本能)で彼らは必死に
生きていると思います。
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