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人間が滅びて欲しくないとは思うのですが

これから何千年、何万年、いや何千万年のうちには今以上の危機が訪れるでしょう

しかし繁栄し過ぎて今の様に人口爆発してるのも事実です

生き残る人もいるでしょうが 何時かは人間以外のものが人間に取って代わるかもしれません

それが人間の願いであれば永遠につながっていくと思いますが

人間の意に反してウイルスなどで滅びるかもしれません。

どうでしょうか?人間の本意に沿う未来になるでしょうか?それとも残酷な滅びが待っているでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (27件中1~10件)

多分、宇宙に出ていくくらいにはなると思います。

そうなると、何万年かは生き続けるのではないでしょうか。別の星と交流を持ったりするようになると思います。果てしなく長い時間を、人類の子孫は生きることになると私は思います。
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この回答へのお礼

そうですよね そういう可能性もありますよね

ここ100年で宇宙のことは爆発的に分かってきました

物理学も花形です

未来永劫まで人間の思いが伝わっていくといいですよね

これはどうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/30 04:04

ええかげんにしようと思ってましたが、どうしても二言言っておいた方が良いと思ったので、今回は短い言葉で延べましょう。




滅びるとは。
生物としての人間種の絶滅を指すのかどうか。

恐竜類が絶滅したとか言う人がいますけど、
恐竜類(の中の翼竜族)は絶滅していません。
恐竜類が鳥類と名前が変わっただけです。

恐竜類(の一部か全部かこれから証明待ちでしょうけど)には鳥類のように羽毛があったこともわかっていますし、
冷血動物(変温動物)ではなく恒温動物であったとも言われています。
トカゲのイメージは大間違いですね。(特に色は、適当に塗っているらしいし。)

恐竜類すら絶滅しないんですよ。
絶滅したと見なしたい人たちは見なせばいいんですけど。
形を変えれば「永遠につながる」の良い答えが出てますね。


滅びるかどうかが、精神を指すなら。
それも、「人類の精神」よりも「私の精神」を指すなら。

偉業を為して、信奉者に昇華することです。
科学業績でも良いし宗教の教祖でも同じことでしょう。

ニュートンは力の単位として生き残りました。
   物理学者や高校生は 9.8ニュートン とか言う時に、
   いちいち頭のなかにおっさんを思い浮かべたりはしません。
でも、ニュートンの存在は、「永遠に生き続ける」 のです。

50人くらい同じように単位になってる偉人(?)たちの名前が出てきますね。高校程度の知識でも。キュリーとか、デシベル(ベル)とか。

これは、

   自分の子供を百万人とか一億人生むのと同じこと

ですよ。血はつながっていないけど、ニュートン力学を子供たちが脈々と受け継いで、「ニュートン先生がしなないようにしよう!」 というわけです。だから、質問者さんが、「我が名は永遠に捨てられず!」「我が肉体は滅びても精神は永遠に滅びず!」と仮に思うなら、教師か教祖になるのが一番手っ取り早いでしょうね。カリスマでも良いですけど(エセカリスマも多いですね)。


ちなみに科学の世界では 元素とか法則とか天体(恒星、小惑星)とか新種とか、「名前を付けるチャンス」は山ほどあるみたいですけど(星の名前はお金で変えますね。確か20万円以下で。)、

   自分の名前を付けるのは恥知らず

とされているようです(禁止している学会もあるようです)。だから、

   ヤマダ先生! とあがめてくれるお弟子さんをいっぱい増やして、
   お弟子さんに偉業(ノーベル賞とか)を成させて、
   「僕はこの発見に ヤマダ先生へのリスペクトを込めて、
   ヤマダ という現象名と、ヤマダ という単位名を命名します」
   と言わせる

のが良いでしょう。
極めて哲学的。

(人間がその学問を続ける限りヤマダは滅びない、という意味も含めて。)
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この回答へのお礼

成る程よくわかります

そういう考えもしますよ

ただ人類の長年の営為 生命の40億年の魂がこの先どうなるかということですから

簡単には片付けられないですねえ

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/13 20:32

#24、25です。


それぞれは独立していますが、番号の若い順にお読みいただければ幸いです。


>人間がいなくなっても 新しい組織・意識を生み出し、受け継いでいってほしいのです。
>人間は存在しようと意志して存在する 特殊存在性を持っています
>人間の体は大自然の一部ですが 精神は特別なものがあるように思います
>未来永劫まで人間の思いが伝わっていくといいですよね

そうですね、同感です。
   機械生命体
   機械に自分の意識を移す
は、SFで使い古されてきた設定です。
   銀河鉄道999(スリーナイン)
は私は好きですね。全話読むのはたいへんですが、いくつかの機械の星の話はぜひ読んでみてください。
   999のテーマそのものは、
   「人間は、機械の体を手に入れてまで生き延びたいか」
です。メーテル、車掌さん、999機関車、そして鉄郎、それぞれの考えがあります。
   YAMATOのラストシーンにも共通するものがあった
ですね。
人間には言葉があります。イルカの言葉や、ハチのダンスと決定的に違う点は
   記録ができる
ということです。
   ナスカの地上絵
   世界各地の壁画
   ロゼッタストーン
みなやはり、「何千年前の人々が、今目の前にはいないのに、我々と精神で対話できる」 というところに普遍の価値を見出すのです。
だから、今の人間が考えていることを
   金属ドーナツレコード盤
などに記録すれば、
   後世の人類や、人類に取って替わった鳥人類などや、
   猿から進化した類人猿人や、
   不毛の地となった地球に降り立った宇宙人
に人類の考え・文化を伝える、という夢がかないます。
   DVDは無理ですね。樹脂は滅びます。
   カセットテープは・・・磁気記録は永遠ではないでしょう。
   同じ理由でハードディスクも苦しいです。
フラッシュメモリーは・・・「記録の保存」という点では優れています。ところが、「記録の読み出し」が困難と思われます。01010001とか言われてもわけわかんないでしょう? 巡回冗長、というやり方で、暗号化した数字の羅列を並べているわけですよ、何十億(1GB=約11億ビット)も。
この鳥人や新猿人や宇宙人が 「この何十億の白黒2進数信号には何か意味があるはずだ」 と気付いて、
「これは 素数 と 素数 の組み合わせと互除法を利用して、暗号されたメッセージだ」
という結論にまで到達できるでしょうか?
うちのVHSビデオデッキや DVDプレイヤーや CDプレイヤーや プレイステーションは、皆だいたい10年以内に壊れました。記録メディアと一緒に再生機器まで保存することは不可能です。
例えば98~110ボルトで動く機器に、250ボルトをかけてしまうと壊れます。

それでも、これと同じ発想で、
   無人宇宙探査船ボイジャーには
   ボイジャーのゴールデンレコード が搭載された
   のはあまりにも有名な話
ですね。ボイジャーが宇宙を漂流して、10万年後に
   地球外知的生命体(E.T.)の宇宙パトロール隊に拾ってもらった
とき、
   我々人類が 知性と文明を持つ生命体 で、
   肉体と遺伝子は滅びたとしても、
   知的財産としては地球という星の地面の下のどこかで生き続けている
ということが伝わることを祈っています。
   ゴールデンレコードよりフレスコ画のような絵巻の方が
   わかりやすかっただろうに
とは個人的に思いますけどね。その絵に黒人(アフリカ系人類)を何人描くか、というような政治的な問題が絡むので、レコードという象徴に落ち着いたのでしょう。宇宙人が
   きれいな絵の描かれたフリスビーの道具
にして遊ばなければ良いですが。(ご精読ありがとうございました。)
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長くてもお読みくださいましてありがとうございます。


   映画 すばらしい新世界 Brave New World
(原作)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%B0% …
も私はオススメします。はるか先の未来では、人類が抱える悩みとは結局、
   ウィルスの克服 などの理科的なことではなく、
   精神のコントロールである
という面において私は「そういうSFもあるのか」と楽しむ意義を覚えております(勉強じゃなくて、あくまでエンターテインメントとしてですよ!)。人間は何万年経っても うつ や 殺意 を自分ではコントロールできない、という示唆を感じます。

ちなみに食糧問題・人口爆発問題は、先進国の飽食と最貧国の飢餓・「人生の楽しみがゴム無しセックス中心」という問題を、同列に並べてはいけないと私は思います。「産みたくて産む、計画的に作る」というのとは全然別次元だと思うのです。パンがあるから子供を産む、は当てはまらない国が多過ぎます。
餓死の問題、先進国の搾取の問題、貧しいが故の少年兵士・幼児売買・少女人権無視の問題が、さらに深刻化して目を背けられない状態が必ず来るはずです。注目が今でも遅いくらいです。ブラジルの森林は次々となくなりますしね。


>人間の本意に沿う未来になるでしょうか?

この本意の部分が私には捉えにくいですね。今ですら、
   人類が滅びて欲しくない
と頭で心で危機に感じている人は少ないでしょう。世界終末時計のように、
   このままじゃ滅びるからまずい
と考えている人は多いですよ。でもいざ滅びようという日には、皆の本意というのは意外とばらばらだと思います。「死を覚悟」してる病人はたくさんいらっしゃるじゃないですか。自分の死を人類全体の死に置き換える心の余裕がある人はそう多くないと思います。

生き残る人が少しでもいればそれは滅んだと言えないということですか? 滅んだに等しいということですか?
私は、現代の理科の知識的に考えれば、ノアの方舟に100人しか乗れないというのは「遅かれ早かれ種として絶滅」していく運命だと思います。これが0一つ増えたところで同じところだと思いますよ。現にジャイアントパンダ等で頭数が数えられていて、「保護なしでは」ここから繁栄へと転じるのは難しい状態でしょう? 1000匹(頭、人)以下で、遺伝子的には絶滅の危機に瀕している種は、たくさんあります。その代わり、新しく生まれる種 もたくさんあるわけです。地球は生きているのですから。

ヨーロッパ王家が近親交配が多過ぎてどういう末路をたどったか、ご存知と思います。まだ「絶滅」はしていませんが。従来とは「違う血」を入れることで生き残りをかけたわけです。誰とは言いませんが日本にも似た家系はあると思いますよ。宇宙への旅、宇宙植民地(スペースコロニー)という閉鎖空間ならなおさらです。

だから、何を奇形と呼ぶかは社会の包容力の問題ですが、近親交配で「人間が人間以外のものに取って代わられる」 ことを「人間と呼べるものはいなくなった」と見なすか「人間は違う形で生き続けている」と見なすか、その定義によってこの命題の答えも変わってきます。
指が6本(以上)の人は、1000人に1人程度生まれる、と言われる。でも我々はあまり出会ったことがない。形成手術を受けさせるからですよ。なぜ手術するのでしょう? 1000人に1人というマイノリティは、「修正・矯正すべき」でしょうか? そんなこと言い出したらアイヌの方々のような(日本にはアイヌ以外にもたくさんの少数民族がいたのですよ!)マイノリティにとっても非常に生きづらい社会です。人間が「ここまで数が減ったら、少々の奇形(エラがあるなど)でも、それをニュー・タイプとして受け容れる」という包容力も必要です。王家でそういう実例がありますね・・・




残酷な滅び、もわかりませんでした。繁栄を享受している我々から見たら絶滅は残酷な結末です。しかし、
徐々に先細りになって、「人口密度の少ない社会で、アーミッシュ(要 検索)のような素朴な生活」 を送っている子孫は、「最近流産することが多いなあ」 という不安は抱えても、「我々は人類の最後の2人だ」 という恐怖は覚えない と思います。むしろ 希望 の方が強くなるでしょう。
(アーミッシュを引き合いに出したのは、人口が1万人とか極端に今より少なくなると、資源を掘り出す人、電気を生み出す人、送電線のメンテナンスをする人、メンテナンスの技術を研究する人、コンピューターで過去の知識を検索できる人、ゴムの木を育てる人、ゴムからタイヤを作る人、金属を精錬する人、車を作る人などが、いなくなると思われるからです。)

映画のラストなどでよくありがちなように、「世界は一旦悲劇を迎えたが、生き残った2人(つがい)が希望となってこれからの未来を築いていく」 というシーンを連想します。
人間の本意に沿わない未来=文明社会を維持できないくらい人数になる=残酷な滅び
とすれば、私は それは残酷とは限らない、と見ます。

>残酷な滅びとは 例えば核戦争で地球がそっくり汚染されて人がバタバタ死んで行くとか

残酷な滅びをそう定義し直すなら、確かにそれは悲惨ですね。戦争&汚染ですから。。。でもそうした状況ですら、生き残った2人(対)のように希望を抱き続ける人間は必ずいると思いますよ。
   映画 実写版バトルシップYAMATO
の冒頭のシーンでも、
   地上の放射能汚染から逃れて地下に隠れた人類が、
   最後の希望を求めて(遠くへ)旅立つ
という様子が描かれています。


主に数多く
生き残るのは
 ×ねずみ
 ○ゴキブリ(を含む昆虫の大半)
 ○昆虫を食べるクモ、その他変温動物
 ○植物全般
 ○菌類全般
 ○微生物全般
 ○クマムシ
 ○深海魚
などでしょう。要は、被捕食者や分解者たちですね。恒温動物の大型捕食者たちがいなくなるわけですから。

クマムシについてはぜひ検索してみてください。結局人間は、進化の面で見ると あまり進化していない生物 だと思いますよ。種類が少ないことが何よりの証拠です。


いつの時点であなたの遺伝子は絶えてしまうのか。
常識的には、子が子を産み、孫を産み、・・・と続く限り、あなたの子孫は繁栄するわけです。
しかし生物的にはそうとは限りません。
   親   1
   1代目 1/2
   2代目 1/4
   3代目 1/8
   4代目 1/16
   5代目 1/32
   6代目 1/64
   7代目 1/128 (1%以下)
と薄まっていきます。これはなぜなら、「相手方、配偶者の遺伝子も入るから」です。
   7代目には128+64+32+16+8+4+2人のご先祖がいる
   (7代目に限れば128人)
ということです。
あなたの遺伝子、は人類全体の遺伝子、に置き換わるのですよ。

>うちの子に限っては別です^^
>私が人間と呼んでいるのが 動物の種としての人間でないからです。

に対する答えですよ。あなたの遺伝子「だけに」注目すれば、あなたが亡くなった後にいずれ絶えてしまうと言っても良いです。だって、ヤマネコAの遺伝子がイエネコの遺伝子の中に何万分の1か流れていても、ヤマネコAの一族は死に絶えたと言って良いでしょう? ヤマネコAの子孫どうしが交配を繰り返して、ヤマネコAの純系を作ったのなら話は別ですよ?(農業でよく行われます) でもヤマネコや特定の人間の遺伝子を色濃く持った子孫というのは消え去る運命でしょう。
例えば、めかけが100人もいた王や摂政がいたでしょう? 藤原道なんとか、みたいな。で、彼は多数の子供を産ませていたはずです。でも、現代に藤原道なんとかの遺伝子を色濃く受け継いでいる人はいません。藤原道なんとかの一族は絶えてしまったのです。
藤原道なんとかの子孫が、「うちは純粋血統の本家だ!」 というのなら、ある程度正当性はありますよ。でも 128人のうちの残り127人の血も受け継いでいるわけです。

よく 世界史で○○人が▽▽人を滅ぼした、とか言うじゃないですか。あれも、全員殺されたという意味ではない はずですよ、たいていの場合。ごく一部の人は殺リクを逃れ、また攻められた国の女性たちは攻めた国の子たちを産みました。だから、▽▽人の遺伝子は残っています。▽▽語族・▽▽民族が滅んだ(▽▽語を話す人がいなくなった・▽▽の民俗習慣が伝承されなくなった)というだけのことです。

人類が滅ぶとき、というのも、徐々に血が薄まる場合があるでしょう。どこから「もはや人間とは呼べない」となるか、それは点ではないかも知れません。


SFがいかに有効か、という馬鹿げた例なんですけどね。
過去にもさかのぼれるタイムマシ-ン を実現したら、
人類が滅びそうになったら過去に逃げる、ということを繰り返せば良い
です。

   過去にさかのぼるのは理論上不可能、と言う人は
   SFというものをわかっていない
と思いますよ。今の常識を覆すような、新しい発見 が前提なのです。そうじゃないとアバターもラピュタも楽しめません。

なぜこの話を持ち出したかというと、科学知識を得て将来を悲観するのでなく、科学知識を都合よく用いて将来に希望を見出す、という発想の転換を提案したいからです。
信じている限り、人類は滅びません。

(続く)
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こまめにお礼を書いていらっしゃるので、とても好感持てますね。


拙文ですが、これまでのご回答を読んだ上で私見を一つ。いくつかのセクションに分けて展開します。


私は哲学には全く知見がありませんが、私も人間ですから哲学する資格はあるのかなと存じます。
そもそも哲学は あーでもない こーでもない と以前の説を部分否定しながら自前の説を展開すること「そのもの」が楽しいのであって、
結論は出ないものである、というのが私の印象です。
結論が出てしまえば(議論参加者「全員」を納得させてしまえば)それから先は楽しさがなくなる(議論を続ける意味がなくなる)ので、「その議題はつまらなかった」という評価になってしまうかと・・・

つまり皆さんがおっしゃっていることはどれも正しいわけで、誰もそれが正しくないなんて証明ができないわけですよ。しりとりと一緒です。終わらせてしまった人が負けです。だから私も「あーでもない」に参加させていただきます。

この疑問の追求に意味がなくはないですね。私の目の前にいるリアルな子供、そしてその子供たちという観念としての子孫、それが「そう簡単には滅びない・全滅しない」 と願うのが、人間としての当たり前の感情です。私も同じ気持ちを抱いています。
ある意味永遠不変の命題なんじゃないですか。

どの時代背景があっても同じ疑問を抱くということは、科学の発展は直接は関係ないということです。
科学が未成熟だった頃には、科学のせいで人間の存在に脅威が及ぶと考えられたこともありました(魔女狩りもそうですね)。
科学が発展したら発展したで「我々は科学以外の理由で滅ぶかも知れない」とも悩むわけです。「世界全体が完全な平和を手に入れたら、人間の心は逆に狂ってしまうのではないか」とかね。
科学が全くない頃でさえ、人類全体のことを考える、という世界観はなかったとはいえ、自分たちが滅ぶということの恐怖感はずっと抱いていたでしょう。


とはいえ、科学に触れるが故に未来への不安が大きくなって行っているとも言えますよ。
山奥に引きこもって自給自足の農業生活をしている人は、「そんな難しいことはわからん」と、人類滅亡に関心を持たないかも知れません。
内戦に悩まされている国の人は、自分の命と家族のことを考えるのが精一杯で、人類滅亡に関心を持つどころではないでしょう。

科学にものすごく造詣の深い人は、こういう疑問はあまり長時間悩まないと思います。自分の科学の知識でこれまでなんとかしてきた。科学には不確実性はあるけれども右肩上がりであることは間違いない。人類の未来が右肩上がりかどうかは知らんけれども科学は「正しいことの積み重ね」だから「後退する」ことはあり得ない。従って100年後の未来の科学では無理かも知れないが、10000000年後の未来の科学なら、人類滅亡の危機にすら対処する力を身に着けているだろう、とね。もちろんこれは、人類以前に科学がクライシスを迎えることはない(文献が全て失われることはない)、という前提の上に成り立っていますが。

ところが先進国のほとんどの人は、ここまで科学に造詣があるわけでなく、いわば「中途半端な」知識に振り回される人々です、私を含めて。。。コラーゲンがお肌に良いのかウソなのか、とかね。平和で、科学の知識があるからこそ、家族ではなく人類全体、あるいはまだ見たことがない自分の子孫(100000代目の孫?)のことを考える余裕があるし、特にいろいろな科学知識がネガティブな予想も作り出すわけです。


では、科学的な思考こそが、人類がいつか滅びる! という考えさせるから、この思考は無駄なのでしょうか。そうとは言っていません。
みんなが科学をもっともっと身に着ければ(要するに教育が豊かになって理系的思考の人が増えれば)、科学の全体レベルも上がるわけで、「科学にものすごく造詣の深い人」も増えていくわけです。そういう状況になれば「科学のおかげで我々は『人類絶滅』という恐怖をも乗り越えることができる」というわけです。
「科学のおかげで『人類絶滅』をも乗り越えることができる」ではないですよ。乗り越えるのはあくまでも恐怖です。
電気を人間がコントロールできるようになってまだ200年も経ちません。しかし電気のおかげで我々は、虫籠に入れたホタル、火事も起こしかねないローソクや、ガス燈に替わって、常夜灯を手に入れたわけです。そして暗闇という恐怖を克服しました。
暗闇という名の恐怖は、お化け、妖怪、もののけ、幽霊亡霊、悪魔、その他いろいろな名前で古今東西現れます。黒い悪魔も多いですね。太陽光の下ではっきり見える幽霊もあまり聞きません。普遍的な恐怖だ、ということですよ、夜中に一人でトイレに行くのが恐い、カーテンが揺れてびびった、等と同じことです。こうした「普遍的」なはずの恐怖さえも、我々先進国の人間は知識によって克服したのです。
従って、発電機登場以前と以後では、お化けの性質も大幅に様変わりしているはずです。ゾンビや貞子がわかりやすい例ですね。

お化けと隕石じゃ雲泥の差でしょうが、地球に隕石(小惑星)が衝突する、という恐怖ですら、いつかは克服できると思いますよ。探知・軌道計算は今よりずっと早く正確になりますし、
太陽系のかなり外寄り(地球に破片が飛んでこない範囲)に○○レーザー砲・○○爆弾という物を設置するか、
地球人全員がブラジルに集まってタイミング合わせて せーの、ドン! でジャンプして地球の軌道を変えるか、
今の科学ではあり得ないと思ってることでもいつかは実現できそうです。100人乗りの宇宙船100台もそうですね。まあ、船型の宇宙船大和が地上から大気圏離脱をするのは無理だと思いますが、それに近いことはいつか実現するでしょう。


>SF小説のようですが 哲学の話として書いています。

とおっしゃいますが、
>ブラックホールの中に特殊なストロー
ということもご自分でおっしゃっているので、

   この命題をサイエンス・フィクション的なアプローチで解く

こともある程度許していただけるのかな、と思っております。


SFは似非科学と表裏一体ですね。
人間はSFを楽しみ、SFがある意味科学を発展させてきました。鉄腕アトムを作りたい、ガンダムを作りたい、ドラえもんアラレちゃん・・・自律思考型ロボットと巨大メカを作りたいのは、人類(主に先進国の男性)の多くが共有できる夢です。そしてアシモが生まれ、リアルな軍事パワースーツを作ってしまう人も現れました。だから、SFは科学にとって「荒唐無稽」ではないです。むしろ、「科学の原動力」です。

理系の人・文系の人という言い方は私は嫌いですね。あるのは理系的思考(積み上げ論理的思考)と非理系的思考(直感的論理思考)、及び芸術でしょう。高校や大学やお仕事が文系の人でも、多かれ少なかれ理系的思考は必要なわけです。山を歩くまたぎみたいな人は別ですよ、直感的論理思考の方が大切です。

>半魚人?面白いですね 鯨と話すようになるかも

これを、茶化しではなく本気でおっしゃることが必要です、茶化しではなかったですよね。
エラのある人間の話は既に映画ウォーターワールド(ケビン・コスナー)で示されています。
   トータル・リコール
   猿の惑星
   X-MEN
いずれも、人間が「少し違う形」になった時(突然変異を獲得した時)に差別なしに彼らを受け容れられるか、という点では、こうした映画を見る価値があります。
   「人間が進化したらどうなるか」
それは未来の話じゃないのですよ。未来というフィクションを科学的に考えることで、同時に現代社会の問題点(マイノリティに対してのまだまだ大きい差別。日本でも在日の人たちの偏見を公言してはばからない人がまだいますね。)も見えてきます。

だからSFはサイエンスであると同時に「社会風刺」あり、哲学(人生論)でもあるわけです。

>もっとSF読んどけばよかった。
とお思いになるなら、今からでも全然遅くないでしょう。
科学抜きに「人類滅亡」の可能性を論じるのと、
科学を入り混ぜて論じるのでは、
だいぶ方向性が変わります。

人間への進化については
   現在地球上にいる猿の子孫は将来人間になるのか
   http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8623504.html
に私も回答を寄せておきました。

未来というフィクションを科学的に考えることで、同時に現代社会の問題点も見えてくる、
というのは、
「数千万後に人類はどういう理由で滅びるだろうか」と考えることで、同時に現代「我々がどの問題を早期に解決しないと滅びる危機に直面しかねないのか」という点も見えてくる、
とも言えるわけです。
   地球温暖化
   核兵器廃絶
   食糧問題・人口爆発問題
   ウィルスの克服
などが優先順位の高いところでしょう。
   宇宙人の侵略
などは「考えるべき問題」としては優先順位の低いと思います。しかし前述の通り私はこの可能性も否定はいたしません。

(話を少しずつ変えて続く)
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「足の引っ張り合いで自滅しなければ、遠い遠いいつの日か‘パラレル宇宙‘へ進出するかもしれない」と思っています。

新たな種に進化していればその生き物として。
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この回答へのお礼

そうですね 新たな種は通り越すでしょうね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/13 20:36

私がブラフマンに溶け込んだ瞬間にこの世は消滅します。

当然に人類なる幻影も消滅します。
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この回答へのお礼

そう考えると気が楽ですね

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/13 20:37

どこまでを生物的に「人間」と呼ぶかって定義上の問題もありますね。


今の人間は今の形態でしかありません。
数万年後、数十万年後の人類の末裔「達」が今の人類と同じ形態である保証は無いでしょう。
生物は環境の変化などの要因で常に変化する物です。

末裔が複数の種に分化してしまう可能性もあるでしょうし、人類の末裔が知的である保証も無いです。
遺伝子工学なんてのもあるから自らを自らの手で想定もしない形態へと変化させるかも知れません。
あるいはテクノロジーを駆使ししてすでに生物と言う状態を超越してるかも?

まあこのままで行けば種の弱体化で徐々に数を減らすでしょう。
文明の弊害で生物としての力は人間はかなり弱体化してるらしいです。
昆虫など単純な生物で無い限りは1つの種族が数万年程度でもその形を保ったまま繁栄する例は無いみたいです。
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この回答へのお礼

いいえ うちの子に限っては別です^^

と言うのが 私が人間と呼んでいるのが 動物の種としての人間でないからです。

体は猿のようなものです。糞ひり虫です。

私が人間と呼んでいるのは その糞ひり虫のなかに宿った精神のことです。

人間とは精神だと思います。

従って種が分かれても遺伝子工学で変化しても 組織と精神があればそれを人間と呼ぶし それがなければ人間ではない 別のものと考えます。

それが滅びるか否かです。

別のものになるにしても 人間が望んでなればそれは永遠にまた少しつながったと観ますし

人間の意に反して別のものにとって変わられたら それは人間の敗北です。

SF小説のようですが 哲学の話として書いています。

もっとSF読んどけばよかった。

人間は形態を変えるわけですね 分かりました

失礼しました どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/05/31 18:26

人類滅亡の原因の一つとして、人口爆発を心配されているようですが、どうして心配されるのかわかりません。

よく人口爆発で食糧が不足するという人がいますが、「頭悪いんじゃないの」と思います。逆です。食糧があるから人口が増える、あるいは増えてきたのです。

第二次世界大戦後、食糧が大量に増産されました(緑の革命といわれています)。その結果、人口が増えたのです。緑の革命は現在も進行中。だから人口が増えているのです。食糧がなければ人口は増えませんよ!都会のカラスと同じ、食べるものがあるから増える。だから人口爆発は心配する必要はない。

そのほか、おっしゃるとおりウィルスとか隕石の衝突とか核戦争とか気候変動とかいろいろと危機はありますが、説明は省きますが1000年や1万年で、人類が絶滅することはないと思います。しかし、100万年くらいたつと、人間はほかの生物に進化してしまうので、種としての人間はいなくなります。そして、1億年くらいたてば、地球上に人類文明が存在したという痕跡すらなくなってしまうでしょう。

ただ、人間が100万年続くとしても、私はその間に人間が文明を失ってしまうということの方を心配します。文明がなくても生きていけるような社会を築いてしまえば人間は文明を失い原始時代に戻ることになるでしょう。それは意外と早いかもしれませんよ。あと10万年くらい先かな。もっと早いかも。
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この回答へのお礼

御高説御尤もです。

なるほどとは思いますが、人口が増えたら人間は2人分の食料を5人で分けて食べるでしょう。

もっと増えたら 飢え死にするものも出てきますが 奪い合いも始まり

今の国家のエネルギー争奪戦のように 一触即発の事態になりはしないかと思うのです。

飢えてるものを見殺しにできるくらいなら 殺さずに身体障害者を増やして敵を弱らせるというような作戦は取れないでしょう。

家族や顔見知りは見捨てられないことが多いと思います。

今はアメリカに富が偏り 太った人が多いですが?アフリカでは餓死 世界中で自殺なども多く 彼らを見殺しに出来る冷徹な精神があれば人口爆発など何ともないのでしょう。

100万年経てば地球表面はほぼ人間化されて、指定自然公園以外は全て人工的に管理された理想的な世界になってればいいなと、思うには思いますねえ。

でも事実・現実はひとつです。放射能に汚染されて手がつけられない世界になって人間が壊滅しているのか それとも人間はもっと賢く生存を確保しているか 1万年後には勝負は決まっているでしょう。

我々はちょうど過渡期に生まれ 世紀末だとか何とか言って何も起こらず。

なんとか生存できてる。長生きするのが得か 損か それすらも分からない今日この頃ですねえ。

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/05/31 18:17

>そこを何とか 一万年くらいの間に宇宙に向けて、10億とかじゃなくて100人の宇宙船が100隻とか太陽が膨張するまでにはまだ時間がありますから、、、



キリスト教信者が信じてやまない「ノアの箱舟」のようなお話ですね。


100人乗りの宇宙船で地球から飛び出して、恒星の放射エネルギーを吸収し、そのエネルギーで生命活動を維持しつつ、100万光年かなたのハビタブルゾーンを有する惑星がある恒星系に向けて旅をするのはロマンがあります。

しかし、100万光年の旅を、光の速度の10分の1で進んだとして、到着までに1000万年かかります。

1000万年の間、100人の乗組員が近親相姦を繰り返しながら生命のバトンを渡してゆくと、必ず遺伝子異常を起こして、そのグループが殺し合いをして、乗組が全滅になるでしょう。

その確率が99.9999%以上あると思うので、滅亡する方に100円賭けてもよいと思ったのです。
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この回答へのお礼

ノアの方舟じゃないですが 100人乗りの船が宇宙で独立するんです

エネルギーリサイクル型宇宙船で時には物質を燃料にして

どこまでも行こうと言う訳です

何処かに楽園があるかもしれません?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/05/30 17:58

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