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どうしても理解できない

こんなに科学技術が進歩してDNAだ、なんだかんだって言いながらも

迷宮入りしてしまう事件が世界中で沢山あるなかで

何百年前とか何千年前とかの事を、あたかも実際に見たような歴史書(教科書等)って

万人を納得させられる根拠があるのでしょうか?

FDさえ改竄してしまって、あたかも真実のごとく報道して

あやうく冤罪になりかねかった脆弱な体制の現代でさえも

このような状態なら、それこそ昔の事は?

と思ってしまいます。あと何千年前の土器とか人骨だとか

言ってますが、ほんまかいな?と思ってしまいます。

元素だかなんだか知らないけれどそれの減っていく事によって時代がほぼ特定できる

とかって言っても信じられないのは知識が足りないだけでしょうか?

A 回答 (5件)

疑問に思っておられること私も理解できます。




 私は定年退職して数年経ている中高年ですが、確かに私の頃の歴史の教科書と現在の教科書は違っています。私が高校の時に習った歴史の先生は『歴史に絶対はない、歴史は年代なんか覚えるより流れを覚えろ』という言葉を教えてくれました・・・。

 歴史に絶対はないということは、教科書はその書かれた時代で、『最も正しいと考えられる事実』に沿って書かれているからで『その時代の真実にすぎない』からだと思います。 

 その一例ですが、質問者の方が『元素だかなんだか知らないけれどそれの減っていく事によって時代がほぼ特定できるとかって言っても信じられない』とおっしゃっていますが、この分析法は多分C14分析法のこと等だと思いますが、少し前までは信頼性が低かったようですが、この分析法も時代と共に改良されてきているようです。
 おかげで、弥生時代の開始年代は数百年遡ることになり、その結果教科書もそのうち変わるでしょう。

 例えば、東アジアの歴史的事実を書くときに、中国の歴史書と朝鮮の歴史書と日本の歴史書すべてに同じ事が文字で書かれていれば各国で『真実』として記載しても間違いは無いでしょう。
 しかし、中国と日本の文書に同じ事が書いてあり、朝鮮の文書には違う事が書いてあった場合、確実性は低くなりますが、事実として教科書に書くか書かないかは『歴史家の良心しだい』ということになります。(あるいは、その国の都合ということもあります)

 では、文字の無い時代の歴史はどうかということですが、例えば弥生人初期の日本にどのようなヒトが住んでいたかというA.遺物(動植物の遺骸を含む) B.人骨の形 C.人骨のDNA D.現代人の分析より推測 E中国の史料等 この場合も本来すべてのA~Eの証拠が揃って初めて事実として教科書に記載すべきですが、これらが完全に一致する事の方が少ないようです。
 ですから、ここの部分は「おおよそ正しいと考えられる」程度の事が書かれているのでしょう。

 まだ『新事実の発見』によって教科書はどんどん書きかえられていますし、書き換えられない国定教科書あるいは検証の不十分な教科書を持つ国(近くの国にもありますね)の方が異常だと私は思います。日本の教科書は国定教科書ではありませんから、右から左まであり、それぞれに事実を書いてありますし、ある程度科学的な検証を受けています。日本では少なくとも伝説は歴史教科書には載っていません。

 という訳で・・・『歴史に絶対はない』・・・と思います・・・歴史の多面性を含めて歴史に絶対はないでしょう。

 教科書や歴史読み物を絶対視する必要はないでしょうが、すべてを否定する必要はないと思います。
 日本はここ10年間で科学技術分野でアメリカに次ぐノーベル賞を沢山受けている国ですし、日本は分析機器の開発製造でも世界有数の国で『分析機器メーカー』の技術屋さんがノーベル賞を受賞している国です。彼らのことを誇りを持ってもう少し遺物分析を信頼してあげてはどうでしょう。

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/25 17:45

以前にゴッドハンドと呼ばれて、その人が掘ったところからは必ず石器が出る、と言われていた考古学者がいましたね



結局自分で埋めていたことが分かり、それまでの教科書が大きく改正されました
石器時代という名前から先土器時代という名前に変わったのもそいつが原因じゃないのかな

なんでそれまでばれなかったかといえば、石器といえどただの石
科学鑑定では私の家の庭の石も石器も区別はつかないのです

だからその石器の出てきた地層なんかから推測するしかないのです
だから、その気になれば捏造し放題ってわけ


歴史はこのような悪意や欺瞞だけでなく意図せざるものによっても真実が隠蔽されてしまうのです

記録としての歴史は勝利者のものです

為政者が作った正史が信頼できる資料かと言えばそんなことはありません

聖徳太子はいなかった、とか
かぐや姫は当時の権力者を皮肉った風刺だったとか

根拠の乏しい俗説ですが、オーパーツなんかよりは、自分で調べてみる楽しみもあると思いますよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/25 17:45

 知識語りなのは確かですが、あっても混乱するのも事実です。



 厳密にみるか、大まかに見るかでも変わってきます。 また、検査する場合も複数の機関などに渡して見てもらうなどもあります。すべて全く同じではないが、ほぼ同じ結果が出れば正しいという判断も出来ます。
 それと、つじつまが合うかどうかのです。 そして、納得出来るように見える物が正しいとされています。 実際、考古学や歴史では色んな説もありますし、変わってきていることも多いです。

 見てきたようには、今でも普通に行われていますよね。人の話を聞いて理解する。それと同じ事です。その人を信用するかどうかなのです。その分野の権威と呼ばれる人の事が正しいと判断するからです。

 時代測定の方法も様々有るようです。ただし、一定の期間で、どれだけ減っていったかなど科学的な根拠に基づく物ですが、安定した状態でもないので誤差は出てきます。基準となるものがあります。そこと比べて矛盾がないかなどを見て特定することもありますよ。

 オーパーツは、そういった中で、矛盾が生じたりする者達なのです。本当に分からないものも多く、比べる物が無いなどもあり、とりあえず、考えないでおこうという感じですね。

 犯罪などの場合は厳密さが求められます。証拠として価値があるかどうかです。ちょっとでも違えば、証拠にならないからです。そして、人生までも変えてしまう物です。しかし、考古学などの遺産に関しては死刑になったりしないので、結構曖昧でも問題無いのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/25 17:46

>>何百年前とか何千年前とかの事を、あたかも実際に見たような歴史書(教科書等)って


万人を納得させられる根拠があるのでしょうか?

遺跡や遺物を科学的な研究を元に推定していると思います。なので証拠とされる物の年代とかは正しいが、それを基にした推論が間違っているってことはあると思います。

また、明らかな遺跡や遺物等があっても、現在の定説を覆すようなもの(オーパーツ等)は無視する傾向にあると思いますね。一万年以上前のアトランティスや日本人の祖先でもあるムーの時代には、宇宙人との交流もあったようで、それを推定させるような遺物が書籍に紹介されたりしていますが、学会では「無視」でしょうからね。

>>あと何千年前の土器とか人骨だとか
言ってますが、ほんまかいな?と思ってしまいます。

教科書にあるよりも、はるかに古くから人類(そして人類以外の知性ある高等生物)は存在していたようです。が、聖書の「ソドムとゴモラ」の話にあるように、何度もそうした文明は核兵器やアメリカがすでに実用化している地震兵器のような大量破壊兵器の乱用で滅亡し、生き残った少数の人類は石器時代からやり直しているようです。

なので、砂漠から太古の核戦争の痕跡が発見されようが、数千年前のもとのされる土器や人骨が発見されようが、個人的には疑うほどのことではないと思っています。

現在の文明も1999年はなんとか無事にやり過ごしましたが、とりあえず「神の正義」を軍事力を背景に標榜するアメリカですがイラクやアフガンの実質的敗戦で勢力が衰え、逆に勢力拡大する中国の間で第2の冷戦が始まり、それが世界的な核戦争と至って人類は再び石器時代に戻るということも考えらる昨今ですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/25 17:47

知識が足りないのではありません。

何事も疑うことが大切です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/10/25 17:47

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