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 グアムで戦死した祖父について調べています。10月18日にも質問し、親切な方々に、詳しく教えて頂きました。
 今回、あらためて靖国神社に行って調べてもらったら、祖父は陸軍ではなく海軍の軍属でした。スミマセン。
 祖父が戦死した1944年7月25日は、グアムで玉砕があった日で、しかも、当時、グアムに徳島の歩兵43連隊からなる独立混成第48旅団が居たので、軍属にしても、この連隊に関係があると、私は考えました。ほとんど祖父(自分の父)の記憶がない父も、昭和18年(1943年)頃に、祖父が多度津に行ったことを覚えており、歩兵43連隊が多度津の隣の善通寺にあったことからも、このあたりに関係があろうと考えました。そして、おそらく、この連隊に同行し、19年(1944年)の春くらいにはグアムに渡ったのでは、と考えました。
 しかし、海軍軍属とわかり、全く別の方向から考え直しています。今、厚労省の資料調査課に調査依頼を出していますので、ここで、何か分かるかも知れませんが、それまでに、何か示唆していただけるならば宜しくお願いします。
 靖国神社でもらった報告書では、海軍軍属工員とあり、所属は横須賀海軍施設部とあります。
 徳島出身、多度津、横須賀、グアム・・・、これらは、結びつきますか?。
 グアムには、明石に海軍54警備隊がいたそうですが、何か関係ありそうですか?。
 

A 回答 (4件)

質問投稿から随分時間が経ったので何か判明したかもしれませんが、多度津と海軍の関連は容易に回答できると思います。



当時は多度津の隣、現在の三豊市詫間町に海軍航空隊がありました。多度津駅から詫間駅までは現在のJR予讃線なら2駅10分です。詫間航空隊は昭和18年開隊だそうで、お祖父様はそのために横須賀から派遣されたのではないでしょうか。当時の多度津からは、陸軍第11師団があった善通寺を経由し多くの戦勝祈願者が参拝したであろう金刀比羅宮の門前町へ通じる鉄道が2路線(現在のJR土讃線と旧琴平参宮電鉄)ほぼ併走して競合するほどで、県内最大級の港でもあった多度津は詫間から一番近い本州からの船便発着港といえます。そのため幼少のお父様の記憶に残ったのが田舎町の詫間ではなく四国の交通の要衝として知られた多度津だったと考えられます。なおグアムでの戦死とはつながらないと思いますが、詫間勤務の次、または横須賀へ帰任した後にグアムへ行くことを命じられたと考えれば理解できそうです。

三豊市公式サイトより海軍航空隊記念碑
http://www.city.mitoyo.lg.jp/forms/info/info.asp …
土木学会公式サイトより水上機滑走台跡
http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/476
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No2です。



防衛庁防衛研修所戦史室 戦史叢書 マリアナ沖海戦 です。
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グアムでは横須賀海軍施設部所属の工員788名が戦死しています。


おそらくこの中に居られたのでは無いかと思います。

この回答への補足

 こういう資料って、どこを見ればあるのですか?。

補足日時:2010/11/04 07:19
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ま、それだけのことから類推できるようなことは何もないと思いますけど、


軍属は、軍人ではないということはわかってますよね?
なぜか無理矢理に、軍と関係づけようとしているようですが、非戦闘員ですよ。
「海軍軍属工員」とあれば、そのまま工員です。
グアムには港もあれば、空港もありましたが、横須賀海軍施設部とあれば
当然、航空整備士ではない、船工でしょう。
グアムは玉砕したから、戦時徴用された可能性はあるかもしれません。
港で働く工員だったけど、徴用されて、グアムの戦闘に動員されて、死亡された、
または米艦隊の艦砲射撃や空爆によって、工員として死亡したのかもしれません。
ま、死亡の経緯とかは厚労省の記録にもかかれてないかもしれませんけど、
何か分かればいいですね。
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