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戦前の日本で赤紙で徴兵された人は、どれくらいの期間訓練を受けていたのですか?
志願した人たちとはどんな差がありましたか。
配属先などは希望が受け入れられたのでしょうか?

また海軍などでは専門知識が必要だったと思います。
赤紙で海軍に入るというようなことはありましたか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

陸軍の召集兵は新兵と既に訓練を受けた者とは別です。


新兵は未訓練ですから本来2年の訓練に入るのです。しかし戦況が不利になると訓練期間は次第に短縮されて短期教習で前線に送り出されました。
既に訓練を受けていたものは短期の教習の後同様前線に送り出されました。

志願兵と召集兵とは歴然とした別待遇です。
志願兵は進んで軍務に志願したのでいわゆる少年兵のように戦車兵や飛行兵など適性に応じた兵種を選べますし幼年学校のように士官学校に進学できました。
進級も早く訓練終了の時点で兵長クラスです。
士官学校や海軍兵学校は士官の養成が目的でしたから
卒業と同時に見習い士官ないし士官候補生に任じられました。 彼らは教育中の適性により配属先が決められたのです。
訓練期間も戦況により次第に短縮された事はかわりません。

海軍は専門知識が必要なので海兵団に入団するとそれぞれ専門別(兵科、機関兵科、潜水科など)に分けられて訓練を受けます。  この時ある程度コースが決まるのです。 
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 海軍志願兵は召集兵より兵役が長く、訓練もしっかり行われてました。


 また基礎訓練期間が終わった時点で、配属先の希望を聞かれてたようです。もちろん実際に希望通りになるかは別ですが。
 年2回前後期の募兵で、新兵訓練期間は3~4ヶ月程度で配属だったと思います。

 やがて戦争も末期になると慢性的な兵力不足に陥りますので、海軍陸軍の差もなく、徴兵は行われたようです。
 また、海軍に入ったとは言っても乗る軍艦が無くて、れっきとした海軍兵でも陸上勤務になることは珍しくなくなっていきました。

参考URL:http://aimy.or.tv/book/top_page.html
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漫画家水木しげる氏の兄には最初戦車兵として召集令状がきましたが、戦死率が高そうでいやだったので海軍予備学生に応募して陸戦隊の高射砲将校になったそうです。

水木氏本人は赤紙により徴兵され、訓練中はラッパ卒をやっていて、その後北か南か(大陸か南方か)の希望を聞かれ、結局南方を希望したそうです。(「昭和史」より)
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陸軍の場合は各地の連隊で教育を受けましたが、徴兵期間は2年間で、出征しなければ2年間ずっと教育訓練期間でしたが、そのうち基礎教育期間は3ヶ月で戦争が激しくなると基礎教育期間が終わると戦地に出征することもよくありました。


陸軍の場合は志願兵も徴兵もそれほどの差はありませんでした。
また陸軍の場合、配属部隊は特殊な兵科、職種にならない限り徴兵された原隊か、そこで新たに編成された部隊に配属され配属先の希望などということはありませんでした。
海軍の場合は、各鎮守府に海兵団という新兵の教育を行う部隊(海兵団は新兵教育だけをおこなっていたわけではありませんでしたが)があり、陸軍とは違ってそこへ集められて3ヶ月間の集合教育を受けて、そののちに艦船、部隊等に配属されました。
配属先については一応希望を述べることは出来ましたが、希望通りになることはほとんどなく、楽な部隊を希望したりするとかえってきびしい部隊に配属されたりするということがあったようです。
海軍の場合は、基本的には志願兵を主としており、専門技術等を身につけさせて下士官等に昇進させる方針でしたが、それだけでは兵士の人数が足りないとか、人事管理上低い階級の兵士がたくさんいることなどから徴兵もいましたが、これらの徴兵は専門技術の教育もあまりうけさせずに兵役期間が終われば兵士のまま除隊させるのがふつうでした。
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