
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
現将軍の父親が亡くなり自分の夫が将軍を継いだため、元将軍の御台所は落飾し、**院と号していますから、将軍の正室は「**院様」と呼ぶはずです。
(将軍は「母上」と呼ぶはず)例:家定御台所の敬子(篤姫)が落飾、「天璋院」(戒名は天璋院殿従三位敬順貞静大姉)と号す
皇室が上で将軍やその母親が形式的に下だからと、和宮から「天璋院」へと「様」を付けずに文書を差し出し大奥で問題になったことがあります。
家茂の正室として和宮が大奥へ入り、家茂の死後「静寛院宮」と名乗る
家達の正室泰子は天璋院様と呼んだはず。
お忙しい中ご回答ありがとうございました。
正室(御台所)は、姑である将軍の母親に、「大御台所様」とは呼ばないのでしょうか。
「**陰様」なのでしょうか。
正室でなくても女中や側室など、周りの人間が将軍の母親の事をどのように呼んでいたか、
リサーチしていました。
**院様の呼び方は大変参考になりました。
ご回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
こんにちは。
bungetsuです。
御台所や側室が姑の桂昌院を呼ぶ時は、
「桂昌院さま」
と呼びました。
また、桂昌院が御台所を呼ぶ時は、
「御台」
と呼びました。
桂昌院が側室を呼ぶ時は、
「○○の方」
と呼びました。
「**院様」と呼んでいたのですね。
やっぱりそうでしたか。
大御台所様とは呼ばないのですね。
お忙しい中、教えてくださり、ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
将軍が表で呼ぶ時は、例えば、綱吉の母の場合は、桂昌院(けいしょういん)様(または、殿)と呼び、将軍が大奥に入った時は、「遊ばせ言葉」と言って、お付の女中たちにも、将軍のことを「お上」とか、御台所のことを「御台」などと気安く呼ばせていました。
また、将軍と御台所の二人になると、庶民と同じように「お前」、「お上」と呼び合い、「私はこれが好き」「私はこれは嫌い」などと普通の会話をしていました。
従って、綱吉なども母桂昌院を呼ぶ時は、庶民と同じように「母じゃ」とか「母上」などとくだけた呼び方をしていました。
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