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日本史に関する質問です。
江戸時代の幕府のトップ・将軍に対しての呼称についてですが、あの時代ではどのような呼び方となっていたのが多かったのでしょうか?
時代劇では「上様」とか「公方(くぼう)様」とか言ったパターンが見受けられますが、実際のところではどちらのパターンが主(おも)だったのでしょうか?


参考までに、一介の大名の場合だと「御館(おやかた)様」とか「殿様」といったパターンが見受けられたようですが…。

A 回答 (5件)

身分によって異なりました。


①一般庶民、各大名家の陪臣たちは「公方様」と呼びました。
②「上様」と呼ぶのは基本的に直参の幕臣、及び大名です。
③朝廷や公家は、基本的に「大樹公」と呼びました。
大樹公とは征夷大将軍の異称です。
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この回答へのお礼

なるほど、「呼ぶ側の身分」によってパターンが違うのですね。
実に分かりやすい解説に、心より感謝申し上げます。

お礼日時:2023/08/22 14:28

江戸時代の武士社会は 完全なタテ社会の筈ですから、


身分の下の者が 直接将軍と言葉を交わす機会は なかった筈です。
身分が高い武士で 直接 将軍に相対する場合は、
相手が決まっていますから 2人称の 呼び方は 必要なかったのでは。
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江戸時代に 将軍にまみえている状態で、将軍を呼び指すようなことは滅多にないのでしょう。

 もしも、そのようなことがあった場合にも、どうしても呼ぶ必要が生じても、公方などとは呼ばないように想像します。
そして、たぶん 「上様」のような尊称でさえも、あまり使わないと思います。
江戸時代は、それなりに身分秩序の意識が高いので、最上級に位置する相手を直接に呼び掛ける尊称を口にするようなことを、基本的にはしないと思います。面と向かってではなく、後ろから声を懸ける、襖越し御簾越しに声を掛ける場合にも、「尊称」でさえも声には出さない方法をとっただろうと思います。
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「上様」です。

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