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最後の将軍である徳川慶喜は手裏剣の達人だったそうです。

なんで手裏剣の腕前が凄かったのですか?

手裏剣って忍者しか使わない武器ではなかったんですか?

武士なのに手裏剣はどこで学んだのでしょう?

A 回答 (3件)

江戸時代、各藩(幕府含む)には「兵法指南役」という者が居たりしました。


これは剣術の各流派の宗家が就いていたりしたのですが、当然徳川家にも
指南役がいて歴代の将軍に「伝授」しています。
同じ徳川将軍でも「剣術に長けた」と後世に伝えられた将軍もいれば、
全くそのような記述の無い将軍もいます(将軍も人ですから様々ですw)

さて、実は「剣術」は「剣道」と違って、刀で戦う技だけでは無かったりします。
剣道自体は剣術の訓練の中で怪我せずに鍛錬するために生み出された「竹刀」を
使った鍛錬を中心に後世に創成された「スポーツ」なのですが、当時の「剣術」
は「刀」「薙刀」「棒術」「短刀術(脇差)」「甲冑組打(格闘)」「手裏剣術」などの
戦場で使われる戦闘術の多くが含まれるものでした。
将軍の一人が指南役やら伝授された剣術の中で「手裏剣術」に長けていたというのはありえない
話ではないと思われます。
ましてや将軍自体が戦場で戦う機会の減った状況であれば緊急回避的な意味でも懐中に持てる武器
で行使できる「手裏剣術」に長けているのは大きなメリットだったと思えます。
手裏剣と言っても一般的にイメージされる星型以外にも「棒手裏剣」「クナイ」「小柄(刀の鞘の
溝に収納できる極小の刃物です)」果ては「短刀」まで、投擲可能な刃物を投げるのが「手裏剣術」
です。

周りにアサルトライフルを持ったボディガードがいる中で、将軍は護身用に「ピストル術」に特化
している…といったらイメージしやすいでしょうか。
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この回答へのお礼

有難う御座いました

お礼日時:2018/01/12 21:55

徳川秀忠は、実は風魔忍者軍団の総帥だった。


とは、柴田錬三郎の小説でしたが、
事実だとしたら、歴代の将軍も風魔の総帥だったかも。
手裏剣の技などヘのカッパ。
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この回答へのお礼

有難う御座いました

お礼日時:2018/01/12 21:54

今風に言うなら、ダーツを楽しんでた、みたいな感じのようです。


私はどちらかというと写真愛好家のイメージが強いですね。たくさん撮っていたようです。
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この回答へのお礼

有難う御座いました

お礼日時:2018/01/10 20:09

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