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足利義持が父義満の死後、朝廷からの贈太上天皇を辞退した理由は何ですか?断る理由がよくわかりません

A 回答 (3件)

親父に冷たくされたので、親父の業績を否定したかったのでしょうね。

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義満自身は生前から太上天皇の尊号を望んでいたことは判明しています。


ただ、朝廷はそれにかなり消極的どころか嫌がっていたことも事実。
義満の没後、後継の義持と朝廷の間で話し合い、朝廷から尊号授与を申し出るが、義持が断るという形で故人の面子を立てながらも敬意を表したのでしょう。
義持としては、義満が行った将軍家の家格上昇運動の結果である摂関家と同格で十分満足であったことや、今後の朝廷関係も考え恩を売っておいてた方が後々得になると計算したのではないでしょうかね。
積極的に公家を家臣化して朝廷内部のことも差配したがった義満と違って、義持は基本的に朝廷内部には非干渉の姿勢を貫いている政治的スタンスの違いも尊号辞退の主要因だと思われます。
義持と義嗣の関係も、言われているほど不仲ではなく、義満没後にも兄弟仲良く参内することもしばしばでした。義嗣の官位昇進は義満の死後も続いていることから、義持と不仲であればそれを許すはずがありません。
義嗣は結果的に上杉禅秀の乱で誅殺されますが、これは舅である上杉禅秀が討伐対象とされたことにより立場を失ったことによる出奔と大名同士の権力闘争に巻き込まれて旗頭に担ぎ上げられそうになったことを危険視した義持が将軍家の分裂を防ぐために行ったことと考えられ、個人的な憎悪は後付けだと思われます。
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単純に嫌っていたというか、憎んでいたからでしょう。



義満は、早めに出家し、今でいえば小学校低学年くらいの年の義持に将軍職を継がせた。
ところが、そのころ生まれた弟の義嗣が眉目秀麗で頭の出来も良く、義満はその弟を溺愛する。対する義持には非常に冷たく怒ってばかりという状況になった。
義満がもっと長生きしていれば、義持は将軍を廃され、弟が将軍になるとみられていた。

義持と父義満はそういう関係だった。
であれば、そんな憎い父親に対する朝廷からの贈太上天皇なんて辞退するのが当然でしょう。
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