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浅野内匠頭の辞世(とされている)
「風さそふ花よりも猶我ハまた 春の名残をいかにとかせん」

下の句については、「春の名残をいかにとやせん」とする説もあります。
「いかにとかせん」と「いかにとやせん」とでは、解釈にどのような違いが生じるのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

疑問を表す係助詞「や」と「か」は、厳密には働きが違い、「や」は述語への疑問、「か」は主語への疑問です。



女や来る・・・女が来るのか?
女か来る・・・来るのは女か?

だから、「誰か来る」は、来るのがだれかわからないので「誰や来る」にはなりませんし、
「誰やある」は、だれかはそのあたりに控えているはずなので、「いるかどうか」が疑問なのです。

主語は「我」。「今死んでいく私は、春の名残を、どのように惜しもうか(私にはそんなすべはない)」と、述語への疑問なので、「いかにとやせん」です。

「いかにとかせん」なら、「どうにかしようとしているのは私なのか」と、わけのわからない歌になり、「いや、あんたしかおらんやろ」というつっこみ待ちになります
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この回答へのお礼

簡潔明瞭、とても解り易いご説明なので、お陰さまでよく理解できました。
早々のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/14 20:07

>浅野内匠頭の辞世の解釈





内匠頭の辞世は、自筆の遺作遺言の体をなした物ではなく、後世の創作&伝承による物だと言われております。
しかし、その事と非業の死・忠節の義挙の事件を些かも疑い貶める物ではないと思います。
そして、その辞世の句を伝承・口述するに大きく関与貢献したのが多門伝八郎です。

幕府の目付であった多門(おかど)伝八郎のメモ「多門筆記」という史料に出て来ます。
「『忠臣蔵』の謎学」には多門筆記からのコピーらしい筆跡が載っていますが、その中では「・・・いかにとかせむ」となっています。

多門伝八郎は目付として内匠頭を取り調べた人ですが、元々内匠頭に好意的(藩主・武士道・質素倹約に共感、吉良の公家的な所作振る舞いや、当時の喧嘩両成敗に反する沙汰への疑念)であったようです。
後に内匠頭切腹の時にも、検死役の副使を命ぜられ、内匠頭辞世の句を残す事に繋がるのだと思います。

それで、「いかにとかせん」と標題にありますが⇒漢字を当てると「いかに解かせむ」と「いかに問やせむ」を用いられます。

当てる漢字の持つ意味・語感から、その漢字・感じによって、
自らの短気が招いた家臣への苦難を思う時、吉良への恨みを残したままに旅立つ無念さを幕府への表向き不満とされる為に言えず桜の花に託して万感の思いを詠んだ。
また、その心の整理がつかず、胸中を家臣に伝えようとする歌だと言われている。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は、『古文書で読み解く忠臣蔵』記載の「多門伝八郎覚書」(東京大学総合図書館蔵)の資料を見ているのですが、「いかにとかせん」と平仮名で書いてあります。
この覚書には何通か「写し」があるそうなので、最後の文字が「ん」に限らず「む」の史料もあるのですね。

お礼日時:2011/03/14 20:18

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