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刑期を終えた元犯罪者に対しては、
どんな凶悪事件を起こした人であっても、
刑期を終えている以上は偏見を持ってはいけない。
偏見や差別の極力少ない世の中にしていかなければいけないから。

というような教え方は(子供に対して)、とくに問題ないでしょうか。

A 回答 (5件)

 問題ないと思います。


 犯罪を減らすためには、色々な手段があるわけですが、やはり犯罪を犯した者を社会内に取りこんで市民の一人にして自活できる環境を整える事が大切だと思います。実際に、犯罪を犯したものが、刑期を終えてやり直す決意をして出てきても、仕事が無く生活に困って犯罪者に逆戻りしてしまう問題があるわけですから。
 凶悪犯罪を犯したものは、出所後に再び凶悪犯罪を犯してしまうこともあるかもしれません。ですが、そうした人達をも含め、偏見を持ってはいけないよ、と子供達に教えることにより、偏見などによって社会から弾き出され、疎外感を感じて再び犯罪に手を染めてしまう人を減らす事が出来るわけです。
 大切なことは、過去の犯罪にこだわることではなく、新たな犯罪被害者を出さないことではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>大切なことは、過去の犯罪にこだわることではなく、新たな犯罪被害者を出さないことではないでしょうか。

その通りだと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/18 13:15

確かに偏見を持ってはいけないかもしれませんね。

しかし、これは全ての人間に対していえることです。只、再犯の可能性に対する認識は大人でも難しいのですから、況してや子供に出来るはずがありません。

勿論、理想社会に近づける努力は尊いものですが、その前に現実を認識することも大切です。

子供は現実から学んでいきます。上記のような人間に対してどう思うか?を、子供に問い掛けることは大切ですが、偏見を持ってはいけないとの断定は、子供にとって判断を奪うことであり、問題があるとおもいます。

答えは、子供が成長し、色々と経験・体験する中で自然と、子ども自身が出してくると思います。そのような意味での、この種の問いかけには意味があるでしょう。
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この回答へのお礼

>偏見を持ってはいけないとの断定は、子供にとって判断を奪うことであり、問題があるとおもいます

>答えは、子供が成長し、色々と経験・体験する中で自然と、子ども自身が出してくると思います。

ご意見、非常に参考になります。
ただ、親が断定的に言ったことは、子供自身の判断を奪うのではなく、子供自身の判断を形成する上での支柱になるように思えています。
親が断定的に「人には親切にしなさい」と言っても、実際には親の言葉をよそに、苛めなどをしてしまうのが子供だと思います。
しかし後に己の行動を内省する時に、親に言われた「人には親切にしなさい」の言葉が大きな意味を持つと思います。
親の言葉と自らの経験とを葛藤させることによって、より本質的な自我を形成していくように思えます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/18 14:15

 こんばんは。


これは「差別」と「区別」の違いについての問題だと考えます。現在の刑法が、重大な犯罪を犯した人に対して無力であることを考えれば、「また犯罪を犯す恐れがある」と思われても仕方ない部分もあります。

実際にアメリカでは、婦女暴行犯が出所した場合でも州によっては出所後の住所など個人情報を公開しているところもあるくらいです。「過剰反応」という批判もありますが、再犯率を考えれば「仕方ない」といった考えがあるのでしょう。

大事なことは、刑期を終えている人がどのくらい反省しているかであって、刑期を終えているかどうかではないと考えます。前科を持つ人であっても反省している人を必要以上に恐れるのは「差別」と思いますが、前科があり、反省のない人のことを恐れるのは単に「区別」であって自分や大事な家族の事を守ろうとする人にとって「当たり前」のことです。何ら問題視する必要はありません。

有名な「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャンと銀の食器を彼に与えた神父の事を思い出しますが、人は誰でも神父のように許すことができません。確かに偏見はいけませんが、現代社会にあって「人を信じろ」と言うことは場合によっては「自殺行為」になりかねません。それが現実です。理想論では家族を守ることすら出来ないのです。
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この回答へのお礼

>大事なことは、刑期を終えている人がどのくらい反省しているかであって、刑期を終えているかどうかではないと考えます。

そうかも知れません。ただ、どのくらい反省しているかということは心の中の問題ですので、傍から判断するのはかなり難しいと思います。
もちろん、出所後の素行に問題があることが明白な人に関しては、何らかのマイナス感情を持つことはやむを得ないと思います。
ですが、出所後の素行について確実なことがわかっていない人に対して、最初から「前科のある人だから」という意識を持つようなことは、私はやはり差別感情だと思えてならないのですが。
ですから、出所してきた人と聞いただけで、条件反射的に嫌悪感を持つようなことがないようになってもらいたいと思っているのですが。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/18 13:51

どういう状況を想定されているのかよく分からないのですが。


まず、「刑期を終えた元犯罪者」という存在に対し、子供が
直接触れる機会というのは、そんなに多くはないですよね。
ですので、「あえて触れる必要はない」というのが大前提
かと思います。
が、事情により、触れなければならない場合もあるかも
しれません。その場合は、一般的な話としてよりも、個別的な
状況の中で、どのように子供の成長を促していくのかという
実践的な問題となると思います。
子供は言われたことをうのみにする年齢なのか、それとも
批判的に咀嚼した上で自分のものとする年齢なのか。
子供が再犯の被害者となる可能性があるのかどうか。
等々考慮した上で、基本的には人間の尊厳というものを
踏まえながら、個々に対応する能力を身につけさせていく
べきだと思います。
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この回答へのお礼

>直接触れる機会というのは、そんなに多くはないですよね。

そうですね。直接意識して接することは稀なケースかも知れません。が、知らないうちにそういった人と隣り合っていることはあり得ると思うのです。
電車で隣に座っているとか、コンピニのレジの隣にいる人がそうだったりとか。
そういう時に、子供が友達どうしで、「前科者になんかになったら人生終わりだよなあ~」などと言ったことを話して、刑期を終えて真面目に頑張っている人を傷つけるようなことはしてほしくないと思っているのですが。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/18 13:13

 こんにちは。


 そのように子供に教えることは問題ないと思いますが、非現実的
と言うか理想論でしょう。
 いくら刑期を終えたと言っても犯罪を犯したことには変わりない
ですし、その犯罪によってヒドイ目に遭わされて人生をメチャクチャ
にされた被害者がいるわけですから。
 そういう “何の理由もないのに、犯罪の犠牲になった被害者” の
存在を考えた時、一様に “偏見を持つな” とくくってしまうのは少々
問題があるようにも思えます。
 だったらむしろ、『ああいう風に悪い犯罪を犯してはいけないよ。
 犯罪によって大事な友達や家族が死んでしまったり、不幸になって
しまったら、嫌だよね? 犯罪を犯した犯人を憎い、と思うよね?
 だから犯罪を犯してはいけないんだよ』
 …と言った方が、よっぽど子供の教育になると思います。
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この回答へのお礼

>そういう “何の理由もないのに、犯罪の犠牲になった被害者” の存在を考えた時、一様に “偏見を持つな” とくくってしまうのは少々問題があるようにも思えます。

そうですね。実際に被害にあわれた方は、分けて考えるべきかも知れないですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/18 13:02

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