下で女性のアグラについて質問している者です。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6813502.html
大体分かってきたのですが、お答えを聞いている内に疑問に感じ始めたものがあります。
映画などによく登場するシーンなのですが、江戸中期以降の武士が主君や高貴な人を訪問した時、控え室で何時間も待たされる時があると思います。
刀を脇に置くか、事前に誰かに預けた形で控え室で待ち続けるわけですが、その間に足が痺れてどうしようもなくなる時って無かったのか? という事です。
当時の武士は正座に慣れていて、何時間でも大丈夫という事なのでしょうか? いくら慣れていても肉体的に限界はあると思うのですが ・・・
それともうひとつ
待っている内にお腹がゴロゴロ、「もう限界!」 と厠を借りようとしても付近に誰もいない、勝手に屋敷内をウロウロするわけにもいかない。
仮に運よく借りられたとしても、もし厠に行っている間に相手が部屋にやって来たら、とんでもない失礼な事になって最悪の事態に ・・・
これが自分が所属する家の主君ならまだしも、大名たちが将軍にお目見えする時など一切の弁解は許されないのではと思います。
当時は礼儀や作法の方が命より大事な時があると思うのですが、こんな場合どう対処していたのでしょうか? また実際にそんなトラブルは無かったのでしょうか?
No.2
- 回答日時:
>当時の武士は正座に慣れていて、何時間でも大丈夫という事なのでしょうか?
この質問ですが、簡単に言ってしまえば「そうです」ということになるかと思います。
正座は慣れや習慣によってどんどん苦痛ではなく普通のこととなります。
私は正座が非常に苦手なのですが、私の母は何時間でも正座しています。
これは、和装の仕事を長くしており正座をする時間が長かったため、正座が普通になり苦痛ではなくなったそうです。
もちろん同じ体勢を続けるということは、正座に限らずどんな体勢でも固まってしまうため、限界はありますが。
母にとって正座は、私にとってのあぐらと同じ体勢です。
慣れれば正座も普通になるということです。
有難うございました。
たしかに年配の女性は正座で座るのが自然になっているようなイメージがありますね。
慣れてしまえば何の問題もないわけですね。
No.3
- 回答日時:
仏壇の前でお題目をあげる類だと、真面目な信者であれば在家出家に限らず、長時間正座
しているなんて珍しくも何ともありません。今では身体を気遣っていますがね。
耐える事が主目的ではないのだから正座にこだわる事はないのでしょう。
腹に関しては、命より大事な事だから、前もって準備するのでしょう。
だからこそトラブルは少ないんじゃないかと思いますよ。
有難うございました。
たしかに今でも冠婚葬祭で長時間の正座を強いられる時がありますね。
お寺の住職さんなどは、何時間正座をしても平気かも知れません。
となると、江戸時代の武士にとっては何の問題も無いという事になりそうですね。
No.4
- 回答日時:
あくまでも確証のない想像ですが。
正座は、2~3時間であれば昔の人は普通に大丈夫でしょう。
現在でも、それくらいは問題無い人も大勢存在しますから。
なお、武士が控えで待機しているときには正座でなくあぐらの可能性もあります。
また、訪問を受けた方も特別の理由がない限り2~3時間以上も待たせることは無いでしょうね。
なお、「お腹がゴロゴロ」などの体調については、重要な方への訪問で有れば事前に体調管理を整えて失礼無いようにするのも武士のたしなみで、現代人にも通じる物で有ると思います。
それこそ万一の場合は、訪問先であろうとその家の者にお願いして厠を借り受け、その間側近が主の接見タイミングをはかってくれる事はあり得たはずです。
将軍などが、訪問者に意地悪をする為に待たせるのでなければ。
有難うございました。
なるほど、待っている間はアグラをかいて楽にしている可能性もあるのですね。
トイレについてですが、私もたしかに側近が配慮してくれたと思いますね。
特に大事な用件の時など、つまらない事で雰囲気が悪くなると側近の責任になると思います。
今も昔も側近の存在は大きいですね。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
bungetsuです。
>>待っている内にお腹がゴロゴロ、「もう限界!」 と厠を借りようとしても付近に誰もいない、勝手に屋敷内をウロウロするわけにもいかない。
色々な場面があったとは思いますが、旗本以上の屋敷になると、客間の裏手とか横手にお客専用のトイレが必ずありました。
旗本などでは家の造りは多少違ってはいましたが、ほぼ同じような造りでしたので、トイレを探して台所などへ迷い込むことはありませんでした。
>>仮に運よく借りられたとしても、もし厠に行っている間に相手が部屋にやって来たら、とんでもない失礼な事になって最悪の事態に ・・・
生理的現象には誰も勝てませんでしたので、大目に見られました。
>>これが自分が所属する家の主君ならまだしも、大名たちが将軍にお目見えする時など一切の弁解は許されないのではと思います。
主君や公方さまに面会・・・その前にトイレへ行き、小便や大便などを済ませてから面会に臨みました。
しかし、面会中にまたまたゴロゴロの場合は、その場で座ったまま排便してしまうケースもありました。
もちろん、周りに臭いが・・・となるのですが、いたし方ありませんでした。
立ち上がって退出する時は、袴の裾を手で足に巻きつけてゆっくり立ち上がり、下へ零れないように気をつかいました。
(よもやま話)
☆将軍の立ちションベン
江戸城内にいるときは、もちろん厠へ行ったが、式典などで装束を身に着けたときや外出時(例えば、内裏への参内とか寺院仏閣詣で)などでは、おいそれと簡単には小便もままならなかった。そこで、家康は土田孫三郎という者に「公人朝夕人」(くにんちょうじゃくにん)という肩書きを与え、尿筒(にょうづつ)と呼ばれる竹筒をくり貫いたものを装束の袴の下から差し込み放尿した。尿筒は樋(とい)なので、庭などに流れていった。ちなみに、この役職は十人扶持で脇差一本という軽い身分であったが、公方さまじきじきに仕える役目だったので、誇りを持って土田家が世襲をした。明治維新で江戸幕府が倒されるまで250年余りを土田家はこの役職一筋に生きてきた。
先生、いつも有難うございます。
当時の屋敷には客用のトイレがあったのですか。
訪問した客が危ないなと感じたら、「暫く失礼つかまつる」とか言いながら厠にたったのでしょうね。
それと大名が公方様に面会中に粗相をしたケースがあるのですか。
面白いというか本人にしたら、下手をすれば御家断絶になるくらいのプレッシャーだったでしょうね。
あと将軍に専属の「オシッコ係」がいたのですか。
何だか身分が高いのか低いのか、今考えると微妙な役目ですね。
とても面白く歴史の勉強をさせて頂きました。
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