No.1ベストアンサー
- 回答日時:
●プラトンのイデアという考え方はその後、弟子のアリストテレスに、「イデアは個物から離れて存在する」という形而上学的側面を批判されました。
アリストテレス自身その考え方の中に形而上学的要素を多々含んでいたのですが、その形式論理学(古典的論理学)などは現代論理学と根元は変わりないほど完成度の高いものです。●科学という側面だけを考えれば、その後のデモクリトス、ガリレオ、デカルトなどいろいろな天才が科学というものの発達に寄与してきたはずですが、決定的にはデカルトの考え方こそが科学の方法を確立した考え方を世に提示したと思います。
●したがって、イデアという考え方は人間が形而上学に陥らないための警鐘としての役割は果たしたと思いますが、直接的には科学の方法論を支えるものは持ってはいなかったということです。
●「幸福」というものは人間界の個々人とは別のところに永遠に存在するという考えは、現代でもある種の宗教には存在するかもしれませんが、そういう考え方は人々を形而上学の罠に陥れるもので、科学を支える考え方ではありません。
●ギリシャ神話の神々「美と愛の神アフロディティ」は永遠に「美と愛そのもの」であって、人間のように状態は変化しないのです。つまりアフロディティだけは、英語で"I am Beauty."と言える存在なのです。しかし人間は、"She is beautiful."、"She was beautiful."という状態を変えざるを得ない形容詞を使うのです。
●科学は「見るもの」「見られるもの」という立場があって始めて成立するものです。イデアはすでに見られる必要はないのです。何にも変わるものはない。美は永遠に変わらぬ美であり、怒りは永遠に変わらぬ怒りであるわけです。イデアはすでに観察の対象外になっているものなのです。
●我々は「名称をつけること」で、形而上学に陥ってしまう危険性を持っています。つまりイデアの世界に陥ってもそれに気づかず思考そのものが誤謬に陥っているのに気がつかない状態があるということです。つまり我々は「名称」を本質としてしまうということです。中身はどんどん変わっているのに、或いは中身はその名称の表すものとは全く異なっているのに、「名称」だけは本質のように変化しない。まさにこれがイデアそのものではないでしょうか?
この回答へのお礼
お礼日時:2011/07/17 12:26
回答ありがとうございます。
>>決定的にはデカルトの考え方こそが科学の方法を確立した考え方を世に提示した
大変参考になりました。
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