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あなたが行った悪行が決して明るみにならないとするならば、何をしてもいいと思いますか?
設問通りです。
なぜそう思ったのか理由もお願いします。
必ず自分が真に思う方に答えてください。
いろんな意見お待ちしております。

A 回答 (25件中11~20件)

悪行なら、ばれようがばれまいが、してはいけない。


そこには神も罪も関係ない。
恥というものさえわかれば悪行はしない。してはいけない。
ただ、何をもって悪行かはむずかしい。
個人的には、金持ちから盗むのはいいんじゃないかしらん。
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個人的な理由ですが、基本嘘が下手で顔にでるそうなのでせっかく100%ばれないのに自分で暴露してしまうと思います。

事実、いいこと悪いこと含めてそわそわしてしまいどうしても言いたくなる性分なのでやったこと自体が自覚症状のない事例でない限り私には無理ですね。
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まず悪行の定義が必要ですね。


悪にもさまざまありますが、少なくとも私自身がそれは悪だと認めていなければなりません。
絶対明るみに出ないとしても、私自身は知っているわけです。
私が認める悪で、私以外には知られない悪をなすことに私自身(の心が)耐えられるかどうか。
そういった問題がありますが、それを含めてそれが良いことかどうか、といえば、
やはり良いこととは思えませんね。

良いか悪いかという判断は、やはり私の良心を価値観の基準にしてということです。

可能かどうか、出来るかどうかということになるとまた異なってきます。
よほど困窮していて、目の前に大金がある。そんな場合、ひょっとして手が伸びるかもしれません。
愛する人が迫害されていて、その犯人が目の前に居る。誰もいないし、きづかれなければあるいは殺すかもしれない。これが倫理的に悪行かどうかは議論があるかもしれませんが。

そんなところでしょうか。
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「いい」の定義を、


「幸せになりたいという人間本来の願望に逆行するような結果にならない」という意味ととりあえず推測しておきます。

すでに幾人かの方がお答えになっていますが、自らを偽ることは不可能なので、「いいえ」と答えさせていただきます。
仮に、明るみに出なかったとしても、「悪行を行なったのだ」という認識そのものは永遠に本人の記憶に残ります。

そういった(悪行なので隠してしまおうとするような)記憶というものは、すぐに忘れてしまいそうなものですが、何かの折に、水面下で割れた氷の一部が浮かび上がるように意識に昇ってくるものです。
浮かび上がらなくても、その無意識的な神経連関作用によって日常的意識なり行動なりが支配される結果となります。

悪行を為している(と無意識的にせよ自覚している)人が、常に穏やかならぬ気持で日常を過ごしているのはこのためです。
表情も基本的には歪んでおり、目は常に猜疑心の光りをその底に宿しているはずです。

このような状態が幸せとはいえないにも拘らず、そういった無意識の及ぼす作用を軽視するために、人はつい過ちを無視できると考えて強引に押し通してしまう場合があります。

何をしてもいいと思うのは錯覚にすぎない、心安らかでありたければ。
といったところでしょうかね。

「悪行」と自身が認識している場合には、このように言えると思います。
悪行か否か、という判断が絡んでくるとまた別の問題になるのでしょうが。
    
  
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聖書(マニフェストでもよいが)を読み、いつも持ち歩いている俺様は、正しい人間だ!という はき違いを改めさせるべきでしょう。



考えるまでもないことです。
「悪行は かみにも、自分にもばれている。仕方がないんじゃないかぁ」というのは、悪人の言い分です。

とにかく だれかに ばれてたら やってもいい というのであれば
法律自体の存在意義がなくなります。

法律をなくせ!革命だ!一揆だ!というのは、短絡的に見ると威勢がよいようです。

しかし実際はどうでしょう?

このような主張・主知をする人間は、政治家・法律家・税理士もしくはマスコミに属する人間たちで、にせもの です。

税制・政策がなくなったら生活すらできなくなってしまう 生活の種がなくなる そういう(くちからうまれたじょうゆう)人間である ということに 注意したほうがよいです。

「もっともっと自由に!」というのは、大間違いです。
必ず「条件づき」で自由であると いっており、条件は 具体的には特定の書物です。
そして、俺様の唱える「必然性」が行動のよりどころとなっています。

「無ずかしい」と「必然性」の間の考えを分析すると、
そういう人たちの要求する社会性というのは、

俺さまの考える社会が出発てんであり、
生起的には「おれ(大いなる俺)」が、社会の起源

とされています。詳細な分析が必要です。

社会を含め
経営は むつかしいのだ。経営者はつらい!俺は哲学経営だ!「哲学者はつらいよ」といっておくぞぅ。

為政者は、ちゃんとやっている。今の為政者を選出した俺たちも間違いを犯したわけではない。隠し立てをしているわけではない!当然反省する必要もない。俺は間違っていない。それはそれでよかったのだ!

悪行は、行わないものであるというのが建前である。わかったか!

でも脱税は仕方がないぞ。
悪行は知らず知らずのうちにおこなうもんだ!
いきるためだ!知らないで行っている!

人間はみんなしらないといえる ということを おれさまわしっている!
人間は無知である!神だけが知っている。

こころしてきけ!

人間はみんな善である!しかし女と幼いやつらは、まず人間として認めてもらう必要がある。

全体としての秩序や安定した成長を享受する生活のためだ!
あと 埋蔵電源があれば隠さず出せ!かくすなょ!

人間が罪を犯すときには汗をかくか・顔が赤くなるものである!
自分にうそはつけないから、悪行はできないものである!


というようなことを主張しているペテン師がいますが
そういう意見は、口からでまかせです。

現に企業に脱税はつきものであるとか・毒をばらまくのはしかたがないとか
犯罪の容認を唱え、
達成されない約束を目の前に出され追及されると

「それはそれ これはこれ」と言い逃れをする。
話者を無視して
自分は最高のアドバイザーである というような顔をしながら
何もせず、 国の金を懐に入れている。

懐に入れていないというのなら反論してみればよいが 聞こえないふりをして
全てをなかったことにする。

卑怯にもほどがあるのではないでしょうか?

とにかく正々堂々と論性に応じるべきです。
自分の間違えをはっきりさせ、謝罪する・責任を取るというのはその大前提でしょう。

辞めろと いわれたら辞めるべきであるということを述べているのです。
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自分のやることは少なくとも自分にバレとるよ。

  自分にもバレない悪行という条件なら、それは致し方ないでしょ。
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ばれる、ばれないに関わらず、ひととして産まれた以上、「悪行」は行ってはいけない。

ただ日常生活を送っていると、ひとつひとつこれは「善行か悪行か」と考えて行動している訳ではないので、「悪行」を行ってしまっていることはあるかも。

このように生きているので、ばれなければ
「なにをしてもいい」という事は考えたこともありません。
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ちょっとぐらいならいいです。


理由:バカ正直に悪いことしないでおくと死んでしまう。

昔こんな人がいたそうです。
「餓死した裁判官」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3% …
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 こんにちは。



 社会というような広がりと深みをもった世界のことを考えると これを経営するのは なかなかむつかしい。
 或る人びとには よいことであっても ほかの人びとにはよくないことという場合があります。
 円が高くて困っていても 輸入業者には うるおうことがあります。

 《悪行》と言っても そのように社会という次元での行為となると なかなか一概に規定することがむつかしい。
 ですから 為政者は 一部の人びとには悪いと知っていても 全体としてよい方向に向かわせようとして その政策を実施する場合があります。

 すなわちだとすれば 《明るみに出るかどうか》にかかわりなく 悪行をおこなう場合が人間にはあります。
 つまり 一般に悪行はおこなわないのですが おこなわざるを得ない場合がありえます。しかもそれは 《明るみに出ない・出さない》からではなく 決してそうではなく 全体としての秩序や安定した成長を享受する生活のためです。

 《ばれないなら》と言っても それはすでに少なくとも一人の人間すなわち自分にはばれています。
 自分の心にばれているということは 同じ人間ならいづれは ほかの人たちにも知られましょう。
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してはいけないと思います。



誰にも見られていなくても、自分が見ています。
他の誰も知らなくても、悪行をした自分が知っているのですから…。


そして、そんな自分自身と一生付き合い、向き合っていかなくてはいけないのも自分です。
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