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ラノベを趣味で書いているのですが、いつも手が止まるのは、何かしらの擬音語を書くとき。
字面の問題もありますが、例えば機械音なら、ガチャリ、ゴゴゴゴゴ、ガシャッギーバタン!みたいな表現よりかは、巧い比喩や表現技法を用いてスッキリ表現したいのです。間抜けに見えるので;
トランスフォーマーの変身シーンやスターウォーズのロボットの駆動音なんかも、ガチャガチャガチャガチリとかギュイーンよりはすっきりした表現ができると「お、巧い言い回し」なんてなるじゃないですか。
そういう表現が学べる(擬音語の連呼から離脱して高尚な言い回しを学べるような)サイトや、指導書あるいは、擬音語を比喩や言い回しで巧く置き換える際のコツなど、あれば教えていただけると幸いです。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

(1) ネタ帳は自分で作ろう



たとえば駆け出しのお笑い芸人は、ネタに使えそうなことを何でもこまめに書き留めるそうです。それが大学ノート何冊分もたまって財産になっていると聞きます。
ご質問はライトノベルについてであって漫談ではありませんが、「そういう表現が学べる」「サイトや、指導書」があればいいなと考えるのは、横着者かも知れません。ご自分で「(音に関する)文章表現集」のようなノートを作らないと、使いこなせないのではないでしょうか。

(2) 擬音語単独で使うから幼稚なんだ

明治・大正・昭和の大作家たちの小説・随筆をご覧になってください。意外なことに、擬態語・擬音語(総称してオノマトペ)がけっこう使われています。「ガチャリ」「バタン」などと作品に書かれ始めたのは、何も最近のことではありません。
ただし、文士たちはオノマトペと同時に比喩も用いていることが多いようです。「ガチャリという、何々が何々するような音」と書いて、「何々」の部分を工夫します。つまり、オノマトペも比喩も駆使してサービス満点なのです。
たとえば寺田寅彦の短編『病院の夜明けの物音』は、そのようになっています。ネットの「青空文庫」でタダで読めます。
要するに、オノマトペを使ってもバカっぽくはないんです。使わないのは、学術論文や政府の御達しなど四角四面の文書でしょう。小説で避けるべきなのは、オノマトペを比喩抜きで多用することです。

それでは、三島由紀夫『金閣寺』から見事な比喩を引用しましょう。
「身を起して、はるか谷間の金閣のほうを眺め下ろした。異様な音がそこからひびいて来た。爆竹のような音でもある。無数の人間の関節が一せいに鳴るような音でもある。」
この「無数の人間の関節が一せいに鳴るような」は、人の業(ごう)の深さ、積もり積もった歴史の長さなどを感じさせて、名刹の燃え落ちる音の比喩として実に巧いですね。これを次のように書いたら台なしです。
「金閣はボンボン燃えていた。バキバキバキッと異様な音も聞こえた。」

(3) 「ガチャリ "ような音"」などでグーグル検索

「ような音」は半角のダブルクオーテーションで囲ってください。また、「ガチャリ」を他の擬音語に替えれば、それに対応する比喩も見つかります。それらをコピペして収集すれば、(1)、(2)を活かした文章表現集を作ることができます。
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この回答へのお礼

その通りですね。自分でしっかりと情景を想像して適切な表現を見つけるために考え抜いたり、日頃から表現の材料になりそうなものにアンテナを張ったりという努力を突き詰める前から、即物的にサイトや本で学べることを求めるのは確かに横着な考えだったかもしれません。
また、(2)については、言われてみてハッと思い当たることもありました。成る程、読者の中で情景が精緻に再現されるように、文士の方々は比喩もオノマトペも合成して駆使するなど、工夫を重ねているんですね。もう少しそういった文学に触れてみて、センスを磨いてみようと思います。
最後のサイトの紹介に関しては非常に助かりました。便利なものですね。頼りきりにならないように、でも適度に別角度の視点をここから得ながら、推敲を進めていきたいと思います。
どうも有難うございました。

お礼日時:2011/08/30 10:23

 基本的な言い換えのシステムはありますけど、さすがに比喩(直喩、暗喩、換喩、提喩)や誇張法、列叙法、緩叙法などはご存じですよね? 知らなくても、検索すればすぐ理解できます。


 もう少し突っ込んで知りたいなら、佐藤信夫の『レトリック感覚』という本があります。

 その上で具体的な表現を学ぼうと思えば、うまい作品を読んで盗む以外にありません。

 擬音、擬態語は、多用する派と絶対使わない派に大きく二分されます。これはライトノベルに限らず、文学作品でも同じ。擬音が絶対にダメということもありません。

 擬音、擬態語をうまく使うには、詩や落語などのセンスが必要です。端的には音読したときのリズム感が保たれていないとだめ。

 逆に使わない場合は、意味もなく文章が重くならないようにする必要があります。
 擬音、擬態語は会話文と同じで、音をそのまま書くわけですから直接的な表現でわかりやすいです。それを使わないで書くと、どうしても間接的、抽象的な表現になります。下手をすると回りくどくて長ったらしくて読みにくくなる。いっそ擬音語で書いておいた方がマシということもあり得ます。
 また、変な比喩表現を用いた結果、場面表現そのものを壊すこともよくあります。

 どのぐらいのバランスでどう書くべきかは構成や文脈などにもよるので、一概にどうとは言えません。
 結局のところ、小説を書く作業は「最初から最後まで何をどう書くか」の選択ですから、手が止まらないで書く方がむしろ問題です。鬼のように表現にこだわっていたフローベールは、友人に「この一文を書くのに一日かかった」という自慢話だか苦労話だかをした、という話もありますし。
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この回答へのお礼

成る程、よく分かります。
無駄に回りくどい表現をいちいち用いていても逆に文章のテンポの悪さや読みづらさを生むだけかも知れない、ということですね。
そのときどきのうまい表現を考えながら、しっかり使い分けて生きたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/08/30 10:17

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