今年はマシな感じがしますが、夏はベタベタしますね。ずっと考えていた質問なのでよろしくお願いします。
冬場はともかく、夏場は一日一回以上風呂に入らないと、体表がベタベタになる人は少なくないと思います。
エアコンを効かせていればそうでもないでしょうが、エアコンを使わない生活者にとっては入浴と着替えは欠かせないと思います。
我々の先輩たちは、大昔から最近まで、この夏場のベタベタと、どう付き合ってきたのでしょうか。
下男は褌一枚でもいいでしょうが、女と身分のある人は、着物を脱げないでしょうし、汗だくですよね。
女は井戸端で着物の上から水をかぶっていたのでしょうか。手ぬぐいで拭いて済ましていたのでしょうか。そんなもんじゃベタベタは取れませんよね。
そういう作業は生活習慣の中でどの時間帯にどのようになされていたのでしょうか。習慣というよりも適宜なのでしょうか。
ご紹介のそういう作法があったと歴史学的に説明できても、実際、ほとんどの人はしていなかったのではないでしょうか。おっくうなことは社会的・家的に習慣化されていなければしないと思います。
結局、みんなベタベタの体にベタ付きの残る着物をまとっていたのでしょうか。さっぱりしませんよね。その手ぬぐいで畳を拭いたら畳もベタベタになるでしょうし。着物の場合は必ず灰汁を使っていたのでしょうか。汚れが十分に取れるんですかね。
ついでに布団を干すなんて習慣がどれほど実施されていたのでしょうか。
大昔から現代までの広い範囲を対象にする質問ですが、現代の我々につながるように、ご教授していただきたいと思います。どうかよろしくお願いします。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
40過ぎの女です。
確かに暑かったでしょうね。でも、今イメージするよりマシだったのではないかと思います。
まず、今とは暑さの質が違うと思います。
木が植わっているところだと涼しいですよね。
昔は、アスファルトもない土の道ですから、打ち水をするだけで、体感気温が下がり汗はかきにくかったと思います。
続いて、住宅です。
私が子どもの頃、庶民の住宅にはクーラーはついていませんでした。そのかわり、昔の家は「涼しく過ごす」を基準に建てられていました。なにしろ徒然草に「家のつくりやうは夏をむねとすべし」とあるくらいですから、鎌倉時代には既に建築関係者には常識であったようです。
具体的には、火を使う台所は吹き抜けで熱がこもらせない、床を高くして地面からの熱や湿気をこもらせない、開口部を広くとり風を通り抜けさせる、と言った具合です。
京都の町屋での夏座敷が典型例ですが、障子やふすまさえ外すのですから、かなり涼しかったと思います。おまけに、先にも書いたように外は土の道です。水さえ撒けば気化熱で涼しい風が作れます。
http://www.digistyle-kyoto.com/study/culture/mac …
実際、私は子どもの頃は町屋のような作りの長屋暮らしだったのですが、それほど暑さを感じた記憶がないのです。夏は北側の部屋で主に生活していましたけれどね。
ちなみに畳もふきますが、ゴザを敷くのです。時々、風に当てればべたつきません。もともと、イグサだけで作られたものは、それほどベタベタにはならないものです。
次に着物です。
質問者さまは脱げなかったろうと思っていらっしゃるようですが、脱いでいたと思いますよ。
着たままでも麻ですから、今、着物を着ない方が思うほどは暑くありません。Tシャツと同じ程度ですよ。これは、私が夏着物好きなので実感しています。
源氏物語にも、雲居雁が薄物を着ただけで、肌が透けて見えるままでいたという記述もありますから、身分が高い女性でも、ごく薄着は当然。家は先に書いたように風通し万全ですから、十分涼しかったでしょう。
庶民になれば、さすがに私が子どもの頃には夏でも女性は服を着ていましたが、戦後まもない頃でも女性が上半身裸なのは珍しくなかったそうです。
江戸時代以前は日本では女性でも上半身裸は珍しくもなかったようなんですね。春画も普通に売られていたわけですし、性にかんしては、おおらかだったのでしょうね。
また水浴びですが、「行水」は一般的でした。
子どもがビニールプールで遊びますよね。あんな感じです。大きな盥をもちだして、水を張ってザバザバ。日常の行事です。
庶民は自宅にお風呂がありませんし、今のように電灯がつくわけでもありませんから、日中から夕方にかけて水浴びが当然です。江戸や大坂のような都市部では銭湯が一般的でした。
「あかぬけた」という表現がありますよね。あの語源は、銭湯に何度も入るので、脂分が抜けた乾燥肌から来ているという説があるくらいです。
洗濯は、昔は着物が一張羅ですから、回数が少なかったでしょうね。
ただ、麻はあっという間に乾きます。手洗いをして半乾きの段階で「手のし」といってシワを伸ばすのですが、1時間放置すると乾きすぎて霧を吹かなきゃいけないくらい。ですから、庶民で汗をかいた人は気楽に洗っていたと思います。
前述の通り、入浴はしょっちゅうしていますから、着物に付くのは汗ですね。水洗いで充分おちます。
布団は、どうしていたんでしょうね。
ちなみに布団が一般的になったのは江戸時代です。平安時代には貴族でさえ畳の上に着物をかぶって寝ていました。江戸時代の川柳などには、夏に布団や火鉢を質に入れ、冬は蚊帳を質に入れるというようなものがあるそうですから、夏はゴザの上にごろ寝だったのかもしれませんね。
戦後、建物が西洋風になるにつれ、必然的に衣服や生活習慣も変わっていったのだと思います。
この回答への補足
回答ありがとうございます。
戦後以前は(家の中で)婦人が半裸だったのですか。洋館に住んでいるような人は別でしょうが。
分かる気がします。
鍵のかかっていない引戸の玄関を開けて、かまちをあがってすぐ横の部屋で、ちゃぶ台わきに女座りしたお上さんが、半裸で、扇子を扇いでいる感じ。下着無しですよね。
ちなみに回答1の補足でサンダル…と書いてしまいしましたがこれはセクハラではなく和装の女性は下着を付けていないという意味です。私は洋装が暑いというよりも下着の着用が暑いと思うのです。下着を着けなければ半袖で帯のない洋装(アッパッパー)の方が涼しいように考えますが。
江戸時代以前は夏は半裸ですか。程度問題ですが、さすがに家屋敷の中ですよね。
貴族は脱いでいたような気もして参りましたが、武家の女は着ていましたよね。
時代劇は無理にこさえなくても時代考証を貫くぬだけで半裸の露出は可能という事ですね。女部屋で着物をほどいていた方が現実味がある演出になりそうですね。
しかし日本人は超歴史好き民族ですが、半裸のイメージは育っていませんね。
タライをどこで使うのでしょうか。土の土間ですか。玄関付近ということですかね。
着物の脂は取れないと思うのですが、つまり蓄積していくように。
お湯か石鹸がないと汚れは取れないように思うのです。
日本人は清潔なので、ほこりやゴミはないでしょうが、脂はどうにもならなかったのではないでしょうか。
家は夏をむねとするというのは現代でもそうです。それは暑さをしのぐ設計にしたら間違いが生じると思います。なぜなら現代の家は暑さをしのぐようには作れるからです。夏をむねとする作りにしないと人ではなく家がもたないのです。暑くてもいいから湿気で家を腐らせないようカビをはえさせないようにする設計をしなければなりません。
貴族も畳の上で寝ていたのですか。畳が汚れませんかね。寝具もカバーはありませんよね。ベタベタだと思うのですが。
ただka28miさんの回答は小奇麗な方にまとめられているように思えてしまうのです。トップクラスは別として、支配階級も含めて現代人が許容できる綺麗さは、まるで持っていなかったと思うのです。洗剤を使わない洗濯に耐えられますか。
大変勉強になりました。お気づきのことがありましたら宜しくお願いします。
ご指摘のように、いろんな工夫がされていたのですね。
もったない文化ですので、洗濯はほとんどしなかったように思います。たぶんこれは生地が汚れごと擦り減ってしまうのですね。
発想の大転換につながるご解説でした。今後ともご教授よろしくお願いします。
No.4
- 回答日時:
昔の人はある程度ベタベタなままだったんじゃないでしょうか。
11世紀以降は小氷河期だから温暖化した現代より涼しい時期が多かったとは思いますが。
戦国時代に来日した欧州の宣教師は、ロクに風呂に入らない上に肉食で脂臭くて嫌われていたそうです。
私も夏はベタベタしていたと思うのです。それは現代人からすると暑苦しい状態ですよ。知らぬが仏だったのでしょうかね。
豊富な下着・良く落ちる洗剤・夏場の全自動洗濯機・回し続けるタイマー付き扇風機・出先の無料クーラー……
現代とは違う条件が多すぎて、どのくらいベタベタしていたかちょっと想像しきれないのです。
No.1
- 回答日時:
>下男は褌一枚でもいいでしょうが、女と身分のある人は、着物を脱げないでしょうし、汗だくですよね。
女性は肌襦袢と腰巻とか、家の中では腰巻一枚と云うのもあったかも知れません。 浴衣、身分のある人は絽の着物とかでしょうね。
女性の場合、襟をぬく(大きく開く)と結構涼しいです。 着物は冬は寒いですが、夏の着物は日本の気候に合っていると思います。
武家には風呂が有ったのではないでしょうか。 農家でも本家などは五右衛門風呂とか。
また、長屋では、銭湯、銭湯にいけないときは、土間などでたらいで行水。
石鹸の代わりにぬか袋とか。
ただ、現代と大変違うのは、気温が32~33度以上になるなんて事はめったになかったと思います。 現代の気温が高いのは、コンクリート、アスファルト、車、エアコンのせいだと思います。現代の都会ではビルが邪魔をしますが、昔は、日が暮れると海風が吹き涼しくなりました。また、地面や草木が多ければ、朝夕と昼の気温差は大きくなります。
また、日本人の食べ物が穀物と野菜、いわしなどの青魚、海藻類、味噌、醤油などで、油や肉類、卵、牛乳製品を殆ど食べなかった時代。 子供は別ですが、大人がベタベタとすることは、本当に真夏日で、土方仕事をすることぐらいしかなかったのでは、ないでしょうか。 真夏日で農作業と云うのが思いつきません。
また、昔、ベビーパウダーのことを天花粉=あせしらず(商標名)やシッカロール(商標名)があり、子供のあせも対策や大人の脇の汗対策に入浴後に使われていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%93% …
http://yabu.269g.net/article/14916275.html
家に帰ると、玄関先で桶の水で手や足を洗ったと思います。玄関は土間になっていて、腰掛けられる様に板張りになっていて、障子の後ろにたたみが敷いてあります。
桶に水を汲んで来て、家の中でぬれ手ぬぐいで丁寧に身体を拭くと云うこともしたと思います。
昔はノミとかダニとかいっぱいいたでしょうから、布団は良く干したと思います。 でも、江戸時代や明治の頃くらいまで、江戸で泥棒が盗む物が布団だったとか聞いたことがあります。
この回答への補足
回答ありがとうございます。楽しく読ませていただきました。
使い切っていないシッカロールがどこかに眠っているかもしれません。
おっしゃることは全部納得できますが、やはりベタベタだったと思います。
最高気温が低いというのはいいのですが夏は夏ですので。
コンクリートと室外機と自動車がない時代は、
プロパンガスも水道も電気もなく、冷蔵庫も洗濯機もありません。
家事はとんでもなく重労働でした。昼間にそれをしない訳にもいかないと思うのですが。
夜は寝るものとして。
エアコンのない部屋で動いたらさすがに汗をかきますね。
体はもっぱら水ぶきですか。それでは夏場の汚れは堆積しますよね。
着物も床板もベタベタだったと思うのですが。貴族もおいらんも身ぐるみは立派でもぜんぶ油じみていたのですかね。綺麗事では済まされませんね。和服は脂でギトギトだったのでしょうか。
土足ではありませんので、足の土は落とすでしょうが、私が問題にしているのは体幹部や頭部の汚れです。女は毎日ぬれ手ぬぐいで拭いていたのでしょうか。一番清潔な人を基準にされてもいいのですが社会全体的にどうだったかを知りたいですね。頻度ですね。
当時は、よくその状態に耐えれていたと思うのですが、逆に死ぬまで現代的にさっぱりしたという思いを味わう事がなかったのかもしれませんね。アルカリ性の温泉に漬かったりでもしなければ。
また現代では皮膚科を中心に洗う事の正しさを医学的に強調していますが、同じ日本人ですからね。噴きで物だらけだったのでしょうかね。
浴衣涼しい説というのはよく聞くのですが、それは露出度の高い格好と比べない場合だと思います。まとっていたら暑いですよ。ましてや帯びは。
サンダルノーパンワンピースの方が涼しいでしょう。
布団泥棒は笑えました。時代の素顔を物語っている貴重な情報です。ありがとうございます。
武家も貴族も布団干しをしていたのでしょうか。洗濯よりは簡単な作業ではありますが。そうい風俗は絵にも文にも残っていないように思うのですが。
虫に関して、今と一番違うのは虱の多さですね。DDTですね。戦後から異常に清潔になったのだと思います。
今後ともよろしくお願いします。大変参考になりました。
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