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日本の国債の発行残高が増えている問題に関し、その解決法として「お金を刷ればいい」という人がいます。

この意味がわかりません。意味を教えてください。


私は個人的に、実体の裏づけの無いお金を勝手に発生させることを意味しているのかなぁと思っています。要するに、昔で言えば江戸時代の藩札や太平洋戦争中の軍票、現代で言えば預金通帳に「100兆円の入金と書いとけばいいじゃん」といっているのと同じレベルなのかなと思っています。

この解釈は正しいでしょうか?
違うのであればどのような意味なのでしょうか?
メリットデメリット・発生するリスク・現象などを具体的・論理的に教えていただきたいです。

また、キャッシュフローが電子化された現代において実現可能か不可能かや、ギリシャや韓国ではなぜそうしなかったのかも教えていただきたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

「お金を刷ればいい」という人の考えは、無視すればいいですよ。

その人は、中学生のお勉強をやり直し!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

ただ質問は「無視すべきかどうか」ではありません。
正しいと思うか間違っていると思うかは二の次で、そのような主張をする人の考えやどのような理屈なのかを知りたいのです。

もしご理解されているのであれば教えてください。
よろしくお願いします。

お礼日時:2011/09/04 12:06

造幣局で紙幣を印刷・製造すればいい。

という意味でしょう

単なる無知・無学な者の戯れ言

気に止める価値は無いので、聞き流しておきましょう

この回答への補足

造幣局で紙幣を印刷・製造をしたらどうなるのですか?
今でも毎日やっていることです。
そうするとなぜ国債問題が解消するのでしょうか?

「気に止める価値があるかないか」は二の次です。
その論理構造を教えてください。よろしくお願いします。

補足日時:2011/09/04 12:10
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/04 12:08

寿命に達したり破損したりなどで使えなくなった紙幣の交換分以上の紙幣を製造してしまうと、紙幣の価値が下がってインフレになるだけです



国債問題の解決には何ら寄与しません
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/05 00:41

その手の人の言い分としてはバーナンキなどが主張した「ヘリコプターマネー論」が軸になっており、それに大きく影響を受けた人たちの話でしょうね。



FRBには無限にマネーを生み出す打ち出の小槌がある。印刷機(小槌)を使えばFRBは何のコストもかけずに際限なくマネーを創出できる。金利がゼロになったとしてもFRBはまだまだ金融を緩和できる。一方で政府は好きなだけ赤字を出し、それを短期国債の発行で賄い、FRBは低金利を維持するためにその国債を無制限のマネーで買い続ける。FRBは思うがままに民間資産でも何でも買える。どんな価格で買うか、どれだけ買うかも思いのままだ。また消費を増やすために、小切手という形で直接国民へマネーをばら撒くことも可能だ。
 
バーナンキはデフレに苦しむ日本に対して「デフレを克服するには、ヘリコプターからマネーをばら撒けばよい」と発言している。ヘリコプターマネー論として有名になった。

バーナンキ氏は「デフレ問題に対する最善の策は、そもそも問題に陥らないことだ」と述べていた。


現在、円高で日本の輸出企業の利益が吹っ飛び続けているのもバーナンキさまのいわゆるヘリコプターマネー論に基づいた政策のおかげです。

この回答への補足

つまり「実体の裏づけなど関係なくいくらでも通貨を発行できる」「無から有を生み出すことができる」という考えが前提なのでしょうか?
それだけ確認させてください。よろしくお願いします。

補足日時:2011/09/05 00:51
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/05 00:44

 お金が流通していると言う事。

お金の流通量を低くコントロールすると、デフレに成る。輸出が困難であると判った時点で、お金を刷らねば成らない。もう半年遅れている。 
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この回答へのお礼

単純な金融緩和の話ということですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/05 00:53

「お金」は消費を意味するもの だからではないでしょうか。


「お金を刷ればいい」、はそれを消費に使うということではないでしょうか。
世の中、自動化機械化が進展し生産過剰という人々が決して困らない社会が実現されようとしていますが、おかしいのは give and take の古い金権論者、経済学者、政治家etc... と言うことができるのではないでしょうか?
 所詮、紙幣、お金は、信用がなくなると紙切れに過ぎない、しかし、医療、社会福祉など、人々の生命の維持の上で欠かせないもの、絶対の信頼を必要とするものも存在する。何かと問題と騒ぎを有する貨幣制度を廃止にするが最も有効ではないでしょうか。医療、社会福祉など、人道的なものは、信用の置けない紙切れ貨幣制度/お金などというもののインチキに左右されることなく、政府_社会の良識ある計画性その全責任にて永遠に運営されるそれが常識として認識される必要があるのではないでしょうか?

『 所得格差の是正から貨幣の廃止へ

世界中のあらゆる政府が、所得格差を減少させるための計画を立案している。フランスではその差は六倍以内に、またスウェーデンでは、既に格差を四倍以内におさえ、さらに近い将来は所得の最大格差を三倍以内に、つまり最低賃金の三倍以上の所得を得る人を無くす方向で検討している。
そして、この傾向は労働時間の短縮傾向と連動しながら、全地球上で所得格差がO(ゼロ)になる日まで続いていくだろう。所得格差がなくなるとき貨幣はもはや何の役にも立たず、そのとき何の問題もなしに、貨幣を廃止することができるのは明らかである。おそらくその時、もしくはそれより少し以前に、次の根本原理があまねく認められることになるだろう。すなわち「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」

  配給経済
「終身強制労働」の廃止は、配給経済の確立に依存している。この経済システムが貨幣の廃止を可能にするのだ。
 この経済システムは、緒生産単位が、人間がちょうど必要とするものを、多くもなく少なくもなく生産すべきであるという原則から出発している。
 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。
 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。
 国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。
 もし、その職業、人種、宗教もしくは性別に関係なくすべての人間が、ロボットやコンピューターによる生産で衣食住に必要なすべてのものを供給されるならば、価値あるものはその本来の価値を取り戻し、それに似合うだけの金銭的価値しか持たないものは、価値がなくなるであろう。
 例えば、芸術家はその作品が売れるかどうかを、気にかけることなく絵を描くことができ、そしてその作品を、通人気取りや欲がらみではなく、本当に評価してくれていると思う人たちにのみ、与えることができる。
 ある一つの発明が興味深いとみなされるやいなや、たとえそれが無益なものであっても、その作品は大量に生産され、一つ持ちたいと望むすべての人びとに配給されることになる。
 また、希少品についてはどうだろう。二十一世紀の文明は、人間の天才以外の希少品を知ることはないであろう。キャビア、シャンペン、ダイアモンド、何であれ、これらすべての物は実験室で合成され、好きなだけ生産することが可能になる。ぶどう酒、ダイアモンド、キャビア、肉、香水等々、すべては化学的なものである。つまり、あらゆる化学式は、科学的に再生産され得るのだ。生命そして人間でさえも、その遺伝子コードの中にその個性のすべてを含んでいる、D・N・A の分子に他ならないのである。 (ラエル著) 』

 自動化機械化の進展から貨幣の廃止、記されていますが、
~  人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。
 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。
 国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である。 ~

^お金を刷ればいい^、世界の政策が安定確約されていない現在、即効性があり有効なものでしょうが、ゆくゆくは、
~ 国家は廃止されなければならない。実現される必要があるのは、生産手段の国有化ではなくして、世界共有化である ~  
 世界政府が確定され、そこでは “ 衣・食・住は、すべての人間に何の代償もなしに供給される ”
そして、
~「人権宣言」の第一条に「すべての人間は何の代償もなしに、その出生から死亡に至るまで、快適な生活を享受する権利を有する」と記すであろう。~

 提案されていますが ?

この回答への補足

質問は、「お金を刷ればいい」の意味は?です。「国債問題を解決するにはどうしたらいいか」ではありません。「お金を刷る」以外の解決策についてはまったく質問と関係ありません。それはご理解いただいていますでしょうか?

>「お金を刷ればいい」、はそれを消費に使うということではないでしょうか。

# 国債が膨れ上がってる。
# どうしたらいいか。
# 消費すればいい。

ということですか?ちょっと意味がわかりませんでした。

補足日時:2011/09/05 01:04
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/05 01:04

国債の発行残高が増えている事の何が問題であるのかという事に着目してください。



国債とは、国民の経済や生活を守るために、発行する以上、売れてもらわなくては困る代物です。

つまり、国債発行において問題だとされているのは国債発行残高が増えることそのもの問題であるのではなく、国債の
売り抜けができなくなる事の方が問題なのです。

では、その国債の買い受け手は誰なのか、という事を考えると、日本の国債の実に70%近くを民間企業である銀行などの
金融機関が保有しています。

国債の売り抜けができなくなるという事は、金融機関が保有している資産に対して、国債の占める割合が増え、つまり
国債の原資とされる金融機関の現金資産がなくなってしまう事を意味しています。

まあ、日銀の資金循環表を見ればとてもそんな状況にないことなど簡単にわかるのですが、この理屈を理解していない人
たちはマスコミ報道などを簡単に信じて、「日本の国債は危ないんじゃないか」という発想にいたります。

脱線しました。話を戻します。では、実際に国債の売り抜けが難しくなった場合、どのような対処方法が考えられるでしょう
か。

国債の売り抜けが難しくなっているのは金融機関が保有する資産の中に国債の占める割合が増えているからで、償還期限が
到来するまで、新たなる国債の買い入れが行えなくなっていることにあります。

そこで、金融機関が国債に買取を行いやすくなるよう、日銀が金融機関の保有する国債を買いあげて現金化する=流動性を高
めることで、売り抜けの出来なくなった国債をさらに売り切る資産を作り出すことができます。(買いオペ)

この時、日銀が買いオペを行う原資として、買い入れに充分な紙幣を保有していれば問題ないのですが、万が一その紙幣を
保有していない場合。日銀は新たに紙幣を発行し、国債買い入れの原資にあてます。

「お金をすればいい」という表現は、こういった日銀の買いオペに至る行動の一部を切り取って行った表現は方法です。

実際には日銀が紙幣を発行するより政府が発行した国債をどのような方法で市場に流通させるのかということの方が重要な
もんだいなのですが、国債の原資をどうするのかといういことばかりに焦点が当たりすぎて、国民も、メディアも政府も
どんどん問題解決の軸から遠ざかっている様に思えてなりません。

そろそろどうすれば経済を回復させることができるのか、というい 問題の本質をちゃんとみなさん議論していただきたいと思
いますね。

この回答への補足

>日銀が買いオペを行う原資として、万が一その紙幣を
>保有していない場合。
>新たに紙幣を発行し、国債買い入れの原資にあてます。

それはどういうことですか?
実体が無い範囲でも自由に無制限に無限に印刷できるのですか?
それともあくまでも帳簿上の現金資産の範囲内でしかないのでしょうか?

その点を教えてください。よろしくお願いします。

補足日時:2011/09/05 01:14
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/05 01:09

紙幣を増刷して、それをプライマリーバランス健全化のための財源に充てるということでは?


円の流通量は、ドルやポンドと比べて半分以下なので、紙幣を増刷は寧ろ円高対策やデフレ対策になる。

この回答への補足

実体の範囲内でそれを物理的な形にするだけで何か変わるのでしょうか?印刷するとなぜプライマリーバランスが健全化されるのでしょうか?理由を教えてください。

別に印刷する必要は一切無い様に感じます。ただ振り込み作業をすればいいだけのように感じますが。振り込み作業をすることを擬似的に「増刷」と呼んでいるのでしょうか?

補足日時:2011/09/05 01:09
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/05 01:05

>>日銀が買いオペを行う原資として、万が一その紙幣を


>>保有していない場合。
>>新たに紙幣を発行し、国債買い入れの原資にあてます。

>それはどういうことですか?
>実体が無い範囲でも自由に無制限に無限に印刷できるのですか?
>それともあくまでも帳簿上の現金資産の範囲内でしかないのでしょうか?

日銀の通貨発行権限は、「日銀法」という法律で定められています。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H09/H09HO089.html

>実体が無い範囲でも自由に無制限に無限に印刷できるのですか?

多分、ごっちゃになっていると思うんですが、「日銀が紙幣をする」という事と、これを
市場に流通させるということはまったく別問題です。

日銀はこの国で唯一の通貨を発行する権限をもった機関ですが、日銀が日銀の裁量で行える
のは、「通貨を発行する」という行為と、「市場から裏付けのある債権を引き上げて日銀券
と交換する」というこの2つの行為だけです。

日銀は上記の日銀法に記されています、「政策(金融政策のこと)委員会」の決定の限り
で、自由に通貨を発行する事が可能です。そういった意味では、「自由に、無制限に」印刷
することは可能でしょう。ですが、これを市場に流通させるということになると話は変わっ
てきます。

日銀は、「代貨」がなければ市場に紙幣を流通させることはできませんから、日銀が通貨を
市場に撒くときには、必ず「債権」と引き換えに流通させます。

その債権の代表的な物が国債であったり、社債・地方債・株式などです。

つまり、いくら紙幣を発行したとしても、市場にない物と交換することはできませんから、
「紙幣は無制限に発行」することができますが、「市場に存在する債権」以上の量を市場に
流通させることは不可能です。

仮に国債が市場に750兆あるのであれば、その額面以上の紙幣を流通させる能力は日銀には
ない、と言うことです。

仮にその国債を全て買い取る必要が発生した場合、日銀が保有する発行済み日銀券が100兆
程度だったとしましょう。残りの650兆に関しては紙幣を発行し、合わせて750兆が国債の
買い取り原資に充てられるのです。(あくまでも、もしそんな事をする必要が万が一生じた
とすればの話です。夢物語だとでも思って下さい)

それともう一つ。

日銀が紙幣を市場に流通させる方法の中に、「政府が発行した国債を直接買い取る」という
方法があります。政府が発行した国債が、まだ市場に流通する前に日銀が政府から直接国債
を買い取り、日銀に代わって政府が今度はそのお金を市場に流通させるのです。

ですが、原則としてこの方法は「財政法第5条」によって禁止されており、万が一この方法
を用いるには、「国会の議決」が必要となります。日銀の意思では流通させる事が出来ない
のですが、「国会の議決」のある範囲内においては国債の直接買い取りが可能になります。

基本的には前期したこの2項目が日銀流通させられる通過の上限です。

繰り返しますが、「日銀が流通させられる通過」の上限であり、発行できる紙幣の上限では
ない事はご理解下さい。

ですから、

>実体が無い範囲でも自由に無制限に無限に印刷できるのですか?
>それともあくまでも帳簿上の現金資産の範囲内でしかないのでしょうか?

という問いに関しては、実体があるかないかは別問題で、日銀は自由に、無制限に印刷する
事は理屈の上では可能です。しかし、そのうち市場に流通させ、日銀券が本来持つ「通貨」
としての役割を担わせる事が出来るのはあくまでも帳簿上の債権の金額の範囲内でしかあり
ません。

ちなみに、帳簿上に現金資産があるのであれば、わざわざこれを印刷する必要はないですよ
ね。もちろん、年間に棄損(破損したり紛失したり)する可能性のある紙幣分の発行はしま
すが、それ以上には発行する意味がないですよね。現金と現金をわざわざ交換する意味が。

意味があるのは現金資産以外の資産を買い取る場合ですね。

「お金を刷る」という言葉にあまりとらわれない方がいいですよ。刷るなら刷るで、それを
どうやって市場に流通させるのかと言うのが大切です。市場に流通させるお金は新しく印刷
されたお金であろうが、以前から日銀が在庫として保有していた紙幣であろうが、そこはあ
んまり意味がないですよね。

新しかろうが古かろうが、お金はお金ですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

しかし、質問の仕方が悪かったようで質問の趣旨と異なる内容の回答が多いため質問の内容を見直し再質問させていただきます。

お礼日時:2011/09/11 16:55

No.6 (2)



>> 昔で言えば江戸時代の藩札や太平洋戦争中の軍票、現代で言えば預金通帳に「100兆円の入金と書いとけばいいじゃん」といっているのと同じレベルなのかなと思っています >

 そうですね。歴史は繰り返す で、まったく同じ局面を迎えているのではないでしょうか。
公儀、軍費を口実に パーになるまで、 0になるまで 好き勝手な(?)戦争をした、聞いたことがあります。

> メリットデメリット >
 政府が堂々と 公儀名文 を立て、日本の隅々から資金を調達したことにして予算にいきなり「100兆円記載する」、累積する貯まりに貯まった赤字国債/借金証文、そのすべてを平和りに民主的人道的に パーにする、 0にする、その デメリット ないのではないでしょうか?

> 発生するリスク・現象 >

 長年の国会における分裂/精神汚染の元凶である、金権腐敗、手抜き政策、インチキ経済等を縮小し解消するものとして、これ以上の大儀はないのではないでしょうか? 政府が一新され、新生、再生され、社会福祉が自動化促進され好景気がおとずれる。 発生するリスクも皆無、多少の混乱はあるにしてもすぐに対応されるのではないでしょうか。

>> ギリシャや韓国ではなぜそうしなかったのかも >

 伝統と文化を大事にし過ぎたのではないでしょうか?
時が経ち、混乱なく人々に受け入れられるならば、“100兆円の入金”⇒^2000兆円の入金^ でも可能なのではないでしょうか。

「 人間が生きていくうえで必要なものがある。衣・食・住がそれである。
 社会はこれら三つの物を、すべての人間に何の代償もなしに供給すべきである。 」

 これ以上の 大儀 世界にはないのでは 。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

しかし、質問の仕方が悪かったようで質問の趣旨と異なる内容の回答が多いため質問の内容を見直し再質問させていただきます。

お礼日時:2011/09/11 16:56

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!