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関東の諸君(その中でも九州をバカにする方々)!

早稲田も慶應も創始者は言っとくがどちらも九州のド田舎者なのだぞ!
私立大の中でもこの2校は、国立大に匹敵するくらい優秀な人材を世に出し、今でもまだ絶大な人気を誇っている。関東の人達は、早慶早慶言うだろ?
そのどちらの創始者も九州のド田舎生まれなのだ。

九州・・・なかなかすごくないか?

A 回答 (17件中1~10件)

そんなこと言ったら、名古屋はずっと田舎扱いだがや。


バブルのころはよく「名古屋飛ばし」にやられたがや。

日本に来る外タレが名古屋を飛ばして、東京と大阪と福岡でコンサートしたがや。
新幹線「のぞみ」も名古屋を飛ばしとったがや。

でもノーベル賞の野依さん、益川さん、小林さん、下村さんも名古屋だがや。
トヨタも名古屋の隣だがや。

それでも名古屋はマイペースだがや。
自分の信じる道を一歩一歩すすむだけだなも。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

名古屋・・・意外と悲しい過去があるのですね。「~だがや」気に入りました。

ノーベル賞受賞者が4人もいるとは!
日本の技術を引っ張ってきたのですね。

たしかに、一歩一歩自分の道をひたむきに歩むといった印象です。

お礼日時:2011/09/21 11:47

 関東でも東京の住人は決して中華意識など持っていませんよ。

そんなことを意識しているのはコンプレックスの裏返しでしょう。横浜といっても横浜発の文化はこれといって見あたりませんね。幕末の開港を迎えるまでの横浜は海辺の寒村でした。それ以前では三浦按針ことウィリアム・アダムスが居を定めたのも三浦半島でした。
 博多の街は京都や江戸同様の商人の街です。中洲川端にあるリバー・レインやキャナル・シティから一歩路地を入ればそこには今でも商人街の活気が息づいています。東京ならば日本橋や八重洲の街に似ています。古くからの老舗が軒を連ねる一方で常に新しいモノに挑戦する「モノ作りの町衆が支える街」は京都にも似ています。博多織の名前が残る織物もあれば市営地下鉄に名が残る唐人街、周辺には伊万里もあります。少し離れますがグラバー邸で知られる長崎も造船業の都市として発達してきました。
 家康か江戸に拠点を構えたのは「消費地としての江戸」を支える「供給基地としてのバックグラウンド」が関東平野にはあったからです。大阪だったら農作物はの供給も大和川や生駒山系を越えるか瀬戸内海の海運によるかしかありません。商人がいるだけで商業は成り立たないのと同じ理屈です。
 横浜といっても広く、みなとみらい地区に見られる近未来的な都市部もあれば、猪が走るのどかな田園地帯もあります。これは東京23区と多摩地区が示す関係と変わりありません。東京だって練馬大根や小松菜が収穫できますし、東京Xというブランドの食肉もあります。横浜は「日刊新聞の発祥地」として知られていますが、物作りという点では他の都市とは比べるべきが少ないこともあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

中華意識・・・本当の中華意識は、他の文化や思想を知っているからこそ、それらを蔑視して自分たちが一番!とする感じですが、東京の場合は特に文化などにこだわりはなく、とりあえず情報の発信源であるという自負がありますが、一方その他の地方の文化や価値観なんか考えてもないと思うんですよね。まず興味もないし知らないと思います。それで、東京の方はなんと言うか素直に情報や、受信した文化を取り入れてる!自分たちが基準だ!自分たちがリードするぞ!という印象を受けます。逆に言えば、「自分がないのかな?」とも思います。

私が以前、原宿で服の買い物をしていたんですが、店にダサい服のコーディネイトがあったので、わざとそれを指して「かわいい!」と友達とはしゃいでたんですよね(←性格悪い)。そしたら、近くの別の女の子たちがそれと同時にこっちに来て我先にと言わんばかりに「わ~!これかわいいかわいい!」ってはしゃぎ出したんです・・・。何か、東京の子たちのセンスってそれ程度なのかな?なんて思ったこともありました。その子達はたまたまだと思いますが。

私も横浜については、あまり古い歴史は知らないのですが、独自のオリジナルの文化というのはそんなにないように思いますね。神奈川は、鎌倉の社寺などの文化財が多いですよね。東慶寺に代表されるように、もともとこの地は日本国の東の果てだったと聞いております。そういう歴史も含めて、横浜の険しい丘陵地帯と太平洋に開けた青い海のバランスが、人々の心を和ませる場所だなあと感じます。観念的な印象の強い街ですね。

>「消費地としての江戸」
家康はすごいですね。横浜のさらに東の広い関東平野に目をつけて開拓したことで、のちの東京の発展と結びついたのですね。考えてみれば合理的です。群馬や茨城などは農業や畜産が盛んですしね。千葉や東京湾などから魚も手に入りますしね。練馬大根と東京Xという食肉があることは知りませんでした。

お礼日時:2011/09/24 21:25

こんにちは。

 私もどうして九州がすごいのか不思議に思っているひとりです。 

やはり安土桃山時代、キリスタン大名が統治し、優れた文明を導入した名残りではないかと思っています。 貴兄の主張の端々に東京に対するコンプレックスが垣間見られます。 それほど東京が凄いのではありません。 近代文明は東京で始まったのではありません。 全ての近代文明は横浜から始まり、プロテスタントのキリスト教は横浜と熊本から始まっています。 

東京で生まれ育った人を何人か友人に持っています。 彼らは一種の『中華思想』に近い自己中心の傾向を認めます。 『花のお江戸』は凄いと勝手に思い込んでいますが、実はそれはみんな関西から来たもの。 徳川家康が関西の商人を招いて江戸を築いたのです。 

東京の凄いところ。 『雲霞(うんか)かウジ虫』のように人がどんどん湧き出して来る。 それは本当に不気味です。 とても人の住めるようなところではありません。 それが横浜に四十年住んでいる老人の正直な感想です。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

キリシタン大名が統治したのは九州南部と長崎で、鎖国時代も外国の技術や文化が伝えられたことで各地の港は様々な交流が生まれ、坂本竜馬のような「このままではいけない」という広い視野を持つきっかけにはなったと思います。
しかし、それ以前からも九州では中国や朝鮮との交流が深く、その土地の伝統工芸も盛んでした。熊本の肥後象眼などすばらしい技術を持っています。

江戸は「関西の商人を招いて作った」のは知らなかったです。堺などから江戸に招かれたということでしょうか。

そうですね。横浜は1859年の開港以来、国際貿易港として発展しましたね。重工業も盛んですよね。

あと、私は文明とは別に、江戸以降の政治や学問においては、地方の「藩」が鍵になっていると思います。江戸幕府は、江戸に近いところに譜代、遠い東北、中国地方や九州に外様を置きました。そして各地の藩において、奨励される学問が違ったと思うんです。朱子学など・・・
それの影響もあると思います。特に、薩摩や長州、肥前の方達のまじめさ(厳しさ、悪く言えば上昇志向の強さ)はここに由来するのでしょう。

東京はそんなに人が増えているのですね。東京に住んでいる方でも慣れないものなのですね。

お礼日時:2011/09/24 20:28

>九州は田舎だとバカにされるが



東京生まれで東京育ちの私が感じた東京以外の都会、それが福岡(博多)と札幌です。

「その根拠は?」と問われれば「何となく」としか申し上げられないが、私が感じる福岡の街のセンスは都会そのもの、多くのタレントや著名ミュージシャンを輩出したのもむべなるかなと思いますね。
食べ物も美味しい、25年ぐらい前だったか牛テールなんて物も博多で初めて食べました。

但しその一方で私が知る九州人(特に福岡県人)は中央志向が極端に強い人物が多く、その反作用として「田舎者」と思われているのではないかとの猜疑心も強い、その様に感じてしまいます。

本来ステレオ・タイプで語るべきではないが、例えば東北人は自らを田舎者と規定されている方が多い(と思われる)、一方関西(特に大阪)人には本来日本文化の担い手は我々であるとの自負が感じられるし歴史的にも確固たる文化圏が存在する、さて九州はと言うと「末は博士か大臣か」といったメジャー・成り上がり志向が強い気が、私が感じるだけかも知れませんが。

それともう1つ、下の方の回答者様も述べられてるが、ネイティブな東京人が田舎(者)を馬鹿にする事は少ないと思います。

そもそも東京生まれの人の関心は、東京及びその近郊に限定される傾向が強く、それ以外の地域に就いては非常に無知・無関心な場合が多い、江戸っ子に到っては、自分の居住する地域の周辺のみが興味の対象という人も少なくない。
尚私の祖父母も江戸っ子でしたが、自分の理解の範疇を超える人物を総称して「田舎者」と呼んでいました、恐らく大して悪意がある訳ではなく。

何れにしても、近年に於けるコミュニケーション・ツールと交通手段の発達に依り、北は北海道から南は沖縄に到るまで、今現在日本人は殆んど均質な文化を共有している、依って厳密な意味での田舎は既に消滅した過去の遺物、私はそう考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

福岡は田舎ですよ~^ ^ 明るい街だとは思います。
札幌は行ったことないので行ってみたいです。

福岡県の人は、たしかに「福岡福岡」うるさい人が多いですよ。博多の人じゃなくても「出身は?」と聞かれたら「博多です。」って言う人が多いです。地元意識が強くて、世間知らずな人が多いです。
福岡県人は「中央志向」というのは初めて知りました。それによって「田舎者と思われているのではないか」という心が生まれるのですね。
>「メジャー・成り上がり思考」
私もよくわかりませんが、たしかにそれはあると思います。福岡の人は、九州に残りたい人が多く、他の県の方は中央に行って成功して夢をかなえるぞ!という向上心の強い人が多いです。
悪い例で言うと、上昇志向の強い「谷亮子」がそうかなと思います。

そうですね。ネイティブ東京の方はもともと地方を意識しませんもんね。

>今現在日本人は殆んど均質な文化を共有している
そうですね。時代は変わりようはすごいです。
山奥の落人集落も今では観光地になったりして外部の人との交流もありますし、昔ほどの「田舎」らしさは消えていっていますね。
このインターネットというものもいいのか悪いのか・・・国、地方や、職業、伝統特有の価値観をも消してしまう力があるのですね。

お礼日時:2011/09/24 19:38

  #9。

補足。

   訳はピンポーン。おいげはひじぇん。
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この回答へのお礼

ご確認ありがとうございます。合っててうれしいです。
肥前の方なのですね。

お礼日時:2011/09/24 19:12

 九州はスゴイ!、僕も個人的に感じています。

海に向かって開かれた国際都市の印象が博多にもあれば、長崎にもあります(因みに中華街のあるのは横浜と神戸そして長崎だけです)。鉄砲が伝来したのも種子島で九州であり幕末維新の礎となった蘭学も長崎に伝わった当時最先端の学識です。その度に歴史はターニングポイントを迎えてもいます。
 大隈重信も九州生まれ、武田鉄矢や井上陽水も福岡や大分の出身。もう無くなってから暫く立つけれどギネスブックに「世界最高齢のニュースキャスター」として掲載された筑紫哲也さんも九州大分の出身です。そして最後に「日本のテレビ中継で初のパーフェクトゲームを達成したプロボウラー」の中山律子さんも鹿児島の出身です。
今は四国に会場を移したけれど、日本の男子プロゴルフツアーの最終試合である「カシオ・ワールド」も以前は鹿児島の指宿で開催されていました(この大会のあとはオマケみたいなものです)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

そんなに褒められるとは!ちょっと照れましたぞ。(自分とは無関係)

筑紫哲也さんって九州だったんですね。
中山律子さんは鹿児島なんですねー。知らなかったです。

長崎はとても素敵なところですね。
九州は土地土地によって様々な表情や文化があります。

ぜひTANUHACHIさんも九州に遊びにこられて、お気に入りの村や街を見つけてください。

お礼日時:2011/09/22 01:46

元々の東京の人が、九州をバカにするなんてことはありませんよ。


だいたい、東京の人は九州を知らない。
歴史上は、福沢諭吉や大隈重信を知っているけど、九州出身かどうかなんて気にしていない。

東京で九州やその他の地方をバカにする人がいるとすると、地方出身者の方が多いのじゃないかな。
俺は、田舎を出て東大で勉強して検事になったぞ、とか、おれは田舎を出て一橋で勉強して総合商社で世界をまたにかけた商売しているぞ、とか、おれは田舎を出て東工大で勉強して工学博士になって原子力発電を研究しているぞ、とかとか、もともとの江戸っ子でもなく、東京人でもない人が、東京で”成功”をつかんだときに、地方でチマチマやっている昔の仲間を見下する事があるのかもしれない。

でも、東京って街は厳しい街で、全国から続々とチャレンジャーを迎え入れるので、成功もつかの間、そのうち下剋上されたり、自らバーンアウトする人が多い。
60歳になって、ふと気がつくと、今まで頑張ってきても東京で家一軒手に入らない自分を発見する。
そんなときに、故郷が懐かしくなる。
でも、田舎をすててもう40年。
今更郷里に戻る訳にも参らず、東京の、否、神奈川か千葉か埼玉の住宅地で孤独な老後を過ごすことになる。

全国から優秀な人材をひきつけ、その優秀な人座を使い捨ててゆく東京って街は、凄い街だねよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

そうですよね。私も実は、大隈重信と福沢諭吉が佐賀と大分中津生まれだということは最近知りました。

たしかに、もし田舎だといって地方を本気でバカにする人がいるのならば、それは自分も地方から東京に出てきて働いている人達にいるのかなあと思います。

>東京は厳しい街
そうなのですね。私の友達で東京に行った人は、仕事仕事で大変そうです。お金は稼げても自分の時間や心の余裕がとれず、厳しいようです。一方別の友達は、東京で何かのプロジェクトに失敗し多額の借金を抱えて、今色んな場所を転々と逃げています。

40年も故郷に帰らず東京で辛抱して仕事を頑張ってこられたのはすごいことです。
しかし、田舎をすてたなどと言わず、気軽に遊びにいくなり戻るなりしてほしいです。
待ってる人がいると思います。

お礼日時:2011/09/21 15:36

王丸彦四郎という人がいます。

筑前国糟屋郡多田羅村(福岡市)生まれで新田開発をした人ですが、たまたま1720年に仏壇の灯明台を水田で洗ったところ、油が水田に流れ出てしまったのです。油は水に浮いて薄い膜のようになりました。そこにウンカ(稲を食べる害虫)が落ちて窒息して死んでしまったのです。それをじっくり観察していた王丸彦四郎が鯨油を水田に注油すればウンカを駆除できることに気づいたのです。王丸彦四郎は注油法を近隣の村に広めました。「おーい、皆の衆!鯨油を水田に撒いて、稲に群がる憎いウンカを叩き落せば、ウンカを駆除できるぞー!」。1732年九州・中国・四国地方を中心にウンカが異常発生し凶作になりました。享保の大飢饉です。100万人規模の餓死者を出した大飢饉でした。ところが多田羅村一帯では注油法によって凶作・飢饉を免れました。一人の餓死者も出さないで済んだのです。「かの大飢饉で被害が無かった村が九州にあった!」この噂話は、江戸にまで広まりました。それが「め組」の頭領の家でぶらぶらしていた徳田新之助の耳にも入りました。徳田新之助は実は時の将軍、徳川吉宗その人だったのです。「そんな凄い技術があるなら、全国に広めねばならぬ!」。徳川吉宗は下々の提案を幅広く吸い上げて政に活かさねばならぬと考えました。それが目安箱のアイデアにつながりました。それが享保の改革なのです。この時から江戸時代はウンカが異常発生することはなくなりました。一方、王丸彦四郎とは別に遠賀郡立屋敷村の庄屋蔵富吉右衛門も1670年に発見していたとされます。50年も前のことなのです。しかし江戸時代には特許制度がありません。どちらが先であろうとも注油法という画期的な農業技術が九州で発明されたことには間違いありません。

また薩摩藩は中国から琉球王国に伝わったサツマイモを火山灰で痩せた薩摩藩の領地で栽培することに成功していました。1705年琉球を訪問した前田利右衛門がサツマイモを薩摩藩に持ち帰ったのです。「こりゃいいもの見つけた。琉球の痩せ地で育つなら薩摩藩でも育つだろう。」そこに享保の大飢饉です。薩摩藩はサツマイモのおかげで餓死者を出さずに済みました。この噂話も徳川吉宗の耳に入ったのです。。「そんな凄い食材があるなら、全国に広めねばならぬ!」。薩摩藩のいいもの、縮めてサツマイモと名づけよう。

現代の日本人は暴れん坊将軍こと徳川吉宗の名は誰でも知っていると思います。歴史の授業で享保の改革も教えられています。しかし、王丸彦四郎、蔵富吉右衛門、前田利右衛門の名を知る人はどれほどいるのでしょうか。それは地元の人だけなのではないでしょうか。歴史の授業は幕府がどうしたこうしたといった内容しか教えていませんが、歴史はそれぞれの地域の人々が作ってきたのです。武士だけではない。農民、町民、僧侶、多くの偉人が地域の歴史に隠されています。

大分県中津市に青の洞門と呼ばれる名所があります。江戸時代中期、禅海和尚が30年かけてノミと槌だけで342メートルのトンネルを掘りぬいたのです。禅海和尚は越後の人ですが、一人で掘りぬいたわけでなく、多くの人から援助を受けて人を雇って工事を進めたのです。いずれにせよ幕府には金も技術も無く、ただ号令をかけていただけです。青の洞門には幕府は全然関わっていません。だから幕府偏重の授業では私たちは歴史に学ぶことはできないのです。

バカにするなんてとんでもない。九州は江戸時代や幕末・明治に限らず、古来より先駆的役割を果たしてきました。ここではその全てを取り上げることはできませんが、地域の歴史を発掘し、全国に広めることが現代人の責務なのではないでしょうか。享保の時代は、その責務は徳川吉宗が果たしました。でも現代は私たち一人一人が徳川吉宗なのです。そういう意図で注油法とサツマイモの歴史を少し紹介させていただきました。青の洞門にしても菊池寛が取り上げていなかったら全国に知られることも無かったと思います。歴史は学校で学ぶものではないのです。私たち一人一人が地域の歴史を掘り起こす。そして全国に広める。それが今、求められていることなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

いい話をありがとうございます。王丸彦四郎という人物は知らなかったです。糟屋郡多田羅というと現在の東区多々良ですよね。飢饉から村を守ったとは、大変感動しました。和歌山の津波から人々を山へと導いた「浜口梧陵」さんを思い出します。

蔵富吉右衛門さん、前田利右衛門さんについても無知でした。それぞれの各地には地域のために尽くした人々がたくさんいるんですね。

私も学校で習う歴史では「吉宗・・・享保の改革」とそれしか知りませんでした。昔、電話もインターネットもない時代に、九州という端っこの糟屋の田舎の民が行った注油法が江戸幕府まで伝わって影響を与えたとは、すごいですね。
江戸の吉宗という将軍のあり方もすばらしいです。

そうですね。歴史では、その時代を生きた名もなき民の生活、知恵や、意図的に隠された歴史、迫害された人々の思いなどをたどって学び生かしていくべきですね。

お礼日時:2011/09/21 15:13

>九州・・・なかなかすごくないか?



おお、九州!
すごいです。
九州と聞くと九州健児を連想します。玄界育ちで口も荒いが気も荒い。男っぽい、骨っぽい。高倉健みたいなのを想像します。太平洋戦争でも九州人はめっちゃ勇敢だったそうです。
南九州もこれまたすごい。西郷さんなどを連想します。
鹿児島県人は自衛隊や警察官が多いです。歴代警視総監には鹿児島県人が多いそうです。ちなみに私は九州に住んだことがありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

九州男児というイメージがあるのですね。福岡の博多とか北九州は口が荒いです。言われてみれば、気の荒い人は多いです。
一方長崎はやさしい言葉です。
熊本は力強い言葉で、鹿児島もわりとやさしい言葉ですよ。宮崎と大分は四国の文化の影響があるようです。

自衛隊や警察官に鹿児島の方が多いとは知りませんでした。

鹿児島の人の前で西郷さんの悪口を言うと怒られるらしいですので気をつけてください笑

お礼日時:2011/09/21 13:05

    そぎゃん、はいかかんちゃよかとばい。

わがいぇんにきのごとよかとかなかもんの。

    ふうけもんにそおこゆうたっちゃでけんばい。しらんとだっけん。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

「そんなに腹かかなくてもいいだろう。私たちの家の近く(土地)のようにいいところはないだろうが。馬鹿者にあれこれ言ってもしょうがないよ。知らないのだから。」

ふぅ~~
これで合ってますか??^ ^ 
普段そんな方言を使わないのでかなり難しかったです。

長崎島原か佐賀の方ですか?熊本?

お礼日時:2011/09/21 12:56

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