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東日本大震災と阪神淡路大震災について調べてします。

少し前の阪神淡路大震災と最近起こった東日本大震災の医療の進歩について知りたいです。

阪神淡路大震災の時と比べて東日本大震災で進歩した現場での医療について教えてください。

A 回答 (3件)

直接被災者でもなく医療従事者でもありませんが、仕事で東日本大震災と阪神淡路大震災を後方支援した経験で感じた事を書かせて頂きます。




トリアージを挙げている方がおられますが、仰る通りだと思います。
阪神淡路の時より医療技術は進歩してはいますが、東日本大震災では生かしきれなかったと思います。
理由としまして、阪神淡路大震災時は被災地に比較的容易(警察・自衛隊の先導がありましたが)に入れましたが、東日本大震災では陸上・海上の輸送手段が無く、降雪により空路も容易に活用出来なかったので、最先端医療も宝の持ち腐れ状態となってしまいました。八戸で医療に従事している親戚の姉が言っていましたし、埼玉で医療に従事している親戚も同様の事を言ってましたので確かかと思います。
寸刻を争う事態であっても、その場にあった人材や機器は津波で流され活用できず、移動・輸送ルートが寸断された状況下では救援が到着出来たのは阪神淡路の時より遥かに遅い時間になってしまったからです。(私が取り扱う石油製品も例外ではありませんでした)
また被災地区が広範囲であり、情報も入らない状況下では優先先を決めかねられない状況でもあったかと思われます。

どんなに医療が進歩しても、地震によるインフラの破壊や積雪時期であった為に雪崩による交通網の寸断、放射能による大幅な迂回ルートを取らざるを得なかったのも要因です。
ある地区ですが、江戸時代に起きた地震の教訓が生かされていた為、津波による人的被害が軽微な地区もあったそうです。


まもなく震災から三年経とうとしてますが、未だ続く放射能の脅威や心のケアが今後の課題となるのではないでしょうか。
東海原発の放射能漏れ事故の際の切迫した乗務員の声が、東日本大震災の時は茨城県の乗務員から目の前で橋が落ち流されていく車から身を乗り出して助けを求める声が対処を相談する泣き声混じりの乗務員の携帯電話から聞こえ、今でも耳の奥底に残ってます。

歴史にifは禁物ですが、福島の原発建設時にある教授が提言した鎌倉時代に起こった地震による津波の高さを地層から見つけ、原子力院や東電役員の会議で「あと3m高く建設を」との言葉を取り入れていれば、少なくとも原発被害とその後の放射能の脅威は無かったはずです。 
どんなに医療が進歩しても、現場で生かされなければ意味がありません。
人は自然を支配出来ないのです。それでも自然とともに生きていかねばなりません。


徐々に復興の兆しが見え始めた東北ですが、眼では見えない心の痛手を調べて下さい。
仮設住宅や避難先での孤独死や自殺件数が物語っているかと思われます。
そして、間接被災者にも目を向けてあげて下さい。

貴氏の質問内容から大きく逸脱しておりますが、マスコミには取り上げられない苦しみがあるのも知って頂ければ幸いです。
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建物が混んでいる地域は少なかったとはいえ,クラッシュ症候群やエコノミー症候群のような,救出された後で命を落とす人への対策は,評価で

きるのではないでしょうか?
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トリアージの標準化が思い当たります。

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