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地元ではちょっと高い丘や山の中腹などから縄文時代の土器の破片が発見されています。
縄文時代はなぜ丘や高台などに住むことが多かったのでしょうか。

A 回答 (5件)

正確さは保証出来ませんが私が縄文人なら高台に長居する。



理由は狩猟の必要性からです。

低地に水を求める動物を邪魔しないで先に見つけられる。
水を飲んだ後の動物が高台を通るのを狩る。
もっと大切な風向きという理由が大きい、高台にいれば

上向きか下向きか横向きの風が吹きます。獲物を狩る時に
風下からの接近が出来ます。狩りの成功率が高まるのです。
縄文人の生息数は想像よりはるかに少人数という説があります。

大人数による狩りは不可能だったと考えます。数人の狩人に
よるゲリラ的攻撃が狩りの全てを決めたと思う。高台に居れば
周囲の音も良く聞こえる。低地では水音で動物の足音が消えます。

縄文人は腹ペコになると風上の匂いを嗅いで地面に耳を付けて
動物の足音を聞き取った。数人でそ~~~と近づき待ち伏せて襲う。
成功率はあまり高くは無いけど当時できる最高の狩猟。

考古学を学ぶ人は山での狩猟経験が無いのでしょうか?
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「集落が何故そこに作られ、どう発展し、廃絶したか」というのは考古学の究極の研究テーマです。


ですので完全な結論は得られおらず、また集落ごとにそれぞれの理由があったと思われます。
それを踏まえたうえで現在考えられていることを紹介させていただきます。

まず日本では平安時代まで主な住居は「竪穴住居」でした。この半地下式の建物形態は「夏は涼しく、冬は暖かい」と言われていますが、実際に復元してみると冬場はかなり寒く、夏場は湿気がかなりひどいようです。
これは各地に作られている復元建物に入ってみるとわかります。
それでも使い続けられたのは居住性よりも建物構造の簡易さであったと考えられるようになってきています。
それ故に建築技術が進化すると作られなくなります。
半地下式であるがゆえに、湧水や冠水のある低地には作れません。穴を掘った段階で水が湧いてしまいます。
そこで必然的に水はけのよい丘陵や台地の上に集落を作ったと考えられています。
また低地の場合は洪水の危険もあります
しかし、「飲料水」は必用なので「水が確保できる台地・丘陵」が選ばれたのだと考えられています。
「縄文海進」は縄文時代の一時的なことで、かつ内陸部では関係がありませんのでこれが丘陵に住む理由とは考えにくいです。ただし、縄文海進により丘陵谷戸が海になり遠浅で貝がよく取れるようになったことから食糧確保のために丘陵縁辺部に集落が築かれたと考えられています。
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場所や地方により異なりますが、縄文時代の温暖化の影響や地震に


よる地盤隆起により、海水が陸地の奥まで浸入していたことが研究
発表されています。(海進と言うそうです。)

このため、現在が丘や高台であっても縄文時代は海水面が上昇して
いたので、当時は低地であり、海岸の入り江等の川辺のごく近くの
場所でしたので、生活し行くには最適な場所であったと考えられます。

なお、次のような書籍が出版されています。
書店で購入するか、図書館で読むことをお勧めします。

書籍名:貝が語る縄文海進-南関東、2℃の世界
著者名:松島 義章
発行所:株式会社 有隣堂
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    日本の旧石器文化人は竪穴住宅や台地の上に住んでいた、という意見は下記などでよく聞かれます。


    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AA%E7%A9%B4% …

    弥生人が農耕をもたらして以来、低地は農地となり、海の近くでは津波などの災害もあって、遺跡が損壊した可能性もあると思います。

    従って今の高い山や山の中腹に遺跡があるから、そこに住んでいた、と即断は出来ないのではないでしょうか。
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竪穴式住居が主だったからまず穴を掘る。


低地にもし作ると底に水が出てくるので
高台や丘を選ぶのだろう。

深く掘れば温度も一定で冬は暖かく夏は冷たい。
自然から身を守る為にも穴をうまく利用したのだろう。
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