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今回、北朝鮮で3代世襲が始まりました・・が、人類は古代から今に至るまで、3代世襲の独裁恐怖政治を経験していない、あるいは、成功していないという話しか私は知りません。

・・と言いつつ、私は世界の歴史に、まったく詳しくないので、そう断言するのは、間違っているような気がして・・、どなたか詳しい人がいたら、成功した例、あるいは、それに近い例を教えていただけませんか?

A 回答 (7件)

日本の天皇は先祖代々世襲制で国民に主権が移るまでは天皇が政治の主権を握っていたはずですが…。


恐怖政治であったかどうかはわかりませんが独裁政治であったのは事実です。
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この回答へのお礼

天皇って、政治の実権を握っていた時代って、非常に限られていたと、思いますし、他の王朝と同様に、直系というのは、早い段階で、途絶えていたというのが、私の認識です

お礼日時:2011/12/20 12:37

日本の藩(武士)による政治


わずか数%の非生産武装集団が何十世代も独裁政治を続け、その他多数の階級の市民に対して切捨て御免で闊歩してましたよ。
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この回答へのお礼

個人的、見解では、江戸時代は、武士による恐怖政治ではなかったと認識しています。

・・かと言って、民衆にとって、バラ色の時代でも無いと思ってます。

おおまかな分類はともかく、一つとして、まったく同じ政体国家など、世界の歴史上、存在しないのは確かですが、江戸時代が恐怖政治だとは、思えないですね・・。

お礼日時:2011/12/20 12:36

大多数の「農民(実際には士以外)は生かさず殺さず」ですよ?

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この回答へのお礼

私も最初は、江戸時代が約300年が、全ての年代を通して、少数支配階級と多数の被支配階級の暗黒時代だと、思っていましたが・・・、

過去にいろいろ調べると、そのような単純なものでもなく、限定的ではありますが、民衆にかなり自由な側面もあり、支配階級のほうも、緊張感を持って、政治をしていた側面もあるというのが今の認識です。

少なくとも、民衆の自由度が、現在の北朝鮮と同じだと、断言出来ないという感じですかね・・。

具体例は・・と言うと、ちょっと、今すぐには、思い浮かばないのですが・・。

お礼日時:2011/12/20 13:16

町人は比較的自由だと言われてましたね。


しかし大多数の農民が義務と相互監視の上で、自分達が食うものもままなら無い程の税を納めなければ命が危なかったようです。連帯責任強いて相互監視させられてさ。奴隷階級じゃないのだから完全監視の管理生活ではないですが、集団で声を上げることも許されません。
もっと言えば、その下に見せしめのやなんぞ置いて「あれよりマシだろ」ってやるのは普通に恐怖政治じゃないのかなぁ?

この回答への補足

>実際に一揆の盟約によって秩序が達成されていた中世後期から、表向きは一揆が禁止されていた中で実際には百姓身分の権利行使運動として恒例化していた江戸時代のいわゆる百姓一揆の時期を経ることで・・・

引用すべきは、こちらでした。

補足日時:2011/12/20 14:55
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この回答へのお礼

私は歴史に詳しく無く、議論出来る立場どころか、むしろ、みなさんに、お知恵をお借りしたい立場ではあります。

わずかの情報で、想像力を働かせる以外に無いのですが・・。

ましてや、北朝鮮で、暴動と言うのは、間違いなく起きていると、想像出来るんですが・・、それが、海外に知れ渡る事は、あり得ない訳で・・・。

>監視の管理生活ではないですが、集団で声を上げることも許されません。

江戸時代に一揆というものがあります。ウィキペディアで以下の文章があるんですが・・・。

近世の「百姓一揆」も peasant uprising と英訳されて紹介されているが、現実には peasant の意味する零細な小作人だけによるものではなく、むしろ村落の指導的な立場に立つ裕福な本百姓らによって指導されており・・・中略・・・

日本では、史学界で階級闘争史観が支配的だった時代の「一揆は強者たる武士からの抑圧に対する、弱者たる民衆の決死の反抗であり、平等意識のもとで強固な団結力を持っていた」とみなす一揆観が、未だに一般市民レベルでは普及しているが、上記のような事情に鑑みると、その一揆観は一揆のごく一部の相を見て創られたものに過ぎない。実際の一揆は、大名層からの抑圧に関係なく結ばれることも多く、また、一揆内での主導権を巡る派閥抗争も絶えなかった。

これを読む限り、一般民衆も、声を挙げる事もあれば、被支配階級同士だけが連帯している訳でもなさそうですね、

>恐怖政治じゃないのかなぁ?

恐怖政治という言葉が登場するのは、フランスのロベス・ピエールの政治からだそうですね・・。

そもそも、恐怖政治の定義自体が、あいまいなもので、恐怖とは人間の感情ですし、恐怖と感じるか?どうかは、当然、同じ層においても各個人により、多少の差はあると思っています。

いずれにせよ、自由が無いというのは、窮屈だし、怖いと私は感じます

お礼日時:2011/12/20 14:49

アンリ4世からルイ15世に至るまでの4代はいかが?

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>これを読む限り、一般民衆も、声を挙げる事もあれば、被支配階級同士だけが連帯している訳でもなさそうですね



その文書だけで時代背景が把握できるとは素晴らしい理解力です。
貴方の中でそれが正しいなら、きっとそうなのでしょう。

この回答への補足

あ・・・中近東の国の多くは王朝国家でしたね・・・、・・となると、北朝鮮が特別という話しは、無さそうですね・・。

でも、サウジアラビアで、人権侵害と言うのは、あまり聞かないですが・・・。

あ・・・あそこは、オイルマネーがたくさんあるから、国民を懐柔できるだけのお金がたくさんあるんだった。

補足日時:2011/12/20 16:13
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この回答へのお礼

歴史ですから、想像するしかないんですけどね・・・。

正直、江戸時代というのは良く分かりません

いずれにせよ、人類は・・というのは、あり得ない、私は間違った解釈をしていたようです・・。

少なくとも、我々が生きている現代において、3代続いて、実権を握ってる王朝国家という意味なら、現在のところ北朝鮮くらいしか見当たらないというのなら、異論は少ないのでは?

お礼日時:2011/12/20 16:09

サウジアラビアって今の王様で確か四代目か五代目くらいのはずですよ。

彼の国の人権侵害については、鞭打ちの刑があったり、石打ちによる公開処刑があったり、女性は車の運転は禁止されているわ、宗教警察があって違反者を取り締まっているわ、むしろどこらへんまで人権が認められているかこっち(非イスラム教徒)が聞きたいくらいですわ。

それと江戸時代についていえばですね、当時江戸ってのはしばしば大火事に襲われたり、地震があったり洪水にみまわれたり災害に遭うことがありました。そういった災害が発生すると、すぐに江戸城にあった備蓄米が被災者に速やかに下賜されました。どのぐらいすぐに行われたかというと、災害が起きた翌日には放出されたほどです。
いっておきますけどね、17世紀かそこいらの時代の国家で、「災害時に国家が国民(国民という概念はまだありませんでしたが)に施しをしてくれる」なんてのは江戸(徳川)幕府くらいでしたよ。
江戸って町は当時は世界でも指折りの大都市であったにも関わらずエコ(ゴミと排泄物が循環されるシステムができあがっていました)でロンドンやパリに比べるとはるかに清潔で(ペストなど不潔が原因の病気の流行がほどんどない)、犯罪件数もヨーロッパの都市に比べるとほとんどないに近く(殺人事件が起きると瓦版で大ニュースになりました。それに比べればヨーロッパの都市では貧民地区での殺人事件なんて事件にもならないほど)、吉原など歓楽街が充実し、災害時には幕府が救済措置をとってくれた町だったんですよ。

ついでに、江戸時代にはこんな実話もあります。「八百屋お七事件」というのがありましてね、お七という女の子が江戸で火事が起きたときに出会った男に一目惚れして、どうしてもその男にまた会いたくなって、また火事が起きれば会えるかもしれないと思って放火をしてしまったという事件があったんです。
で、古今東西どこの国、もちろん現代の日本でも放火って罪が重いんです。当時では当然死罪です。ところがお七は数え年で16歳だった。当時15歳以下というのは未成年で罪一等が減じられる決まりだったのです。
で、哀れんだ奉行がお七に向かって「お前は十四(十五と聞いたという説もあり)だな」っていったんです。もしそれにお七がただ「はい」と答えさえすれば「よし、お前は十四だ」ということで罪一等減じられて死罪は逃れられたのです。ところがお七は「いいえ、私は十六でございます」と答えたのでやむなく死罪になったのです。ついでにこの話はあまりに世間の同情をかって今でも語りつがれる悲恋の物語になってしまいました。

よく時代劇なんかで農民が悪代官に虐げられて武士に切り捨て御免にされるなんて話がありますが、あんなのは真っ赤なウソで、江戸時代初期に水野十郎左衛門という不良御家人が幡随院長兵衛という侠客とケンカになって幡随院長兵衛をだまし討ちして殺すという事件があった(これは歌舞伎になっています)のですが、御家人てのは徳川家直参の家臣で武士でもかなりエラソーな顔ができる立場です。侠客つまり町人とケンカして殺したのですから本来なら切捨て御免にしちゃってもいいのですが、水野十郎左衛門はこの事件が原因で切腹を命ぜられたので、実は武士も滅多なことでは切り捨て御免になんかできなかったんです。「町人とトラブルを起こして殺したら切腹を命じられる」という「判例」ができましたから。

じゃああの江戸時代の「農民は、生かさぬよう、殺さぬようじゃ」というアレはなんなんだということになりますが、アレは明治政府が江戸幕府を否定するために「作った話」なのです。
ご存知の通り、明治政府ってのは薩長土肥が徳川幕府を戊辰戦争で倒して樹立した政権ですから、徳川時代は否定しなきゃなりません。文明開化もしなきゃいけないですしね。だから、全国に小学校を作ったのでそこで「徳川幕府ってこんなひどい政権だったんだ」と否定して教えたのが教育の甲斐あって広まった、ってわけです。
一揆なんかも幕末になれば「農民側の全面勝利」なんてのが珍しくなくなりましたし、そうでなくても実際の石高より少なく報告しても大目に見るのが慣例だったり、けっこうおおらかな時代だったんですよ、江戸時代って。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!非常に勉強になりました。江戸時代が恐怖政治で無く、江戸が同世代の世界の都市の中でも、傑出した。文化都市であったと言う話は、随分後に知ったのですが、具体的に・・・と言われても、説明がつかなかったものですから・・・。

非常に勉強になりました。ありがとうございました!

それにしても北朝鮮、これからどうなってしまうのでしょうか?、まだ誰にも分からないとは言え、今まで以上に、国際的不安定要因になってますね・・。

お礼日時:2011/12/21 21:27

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