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火力発電所などに務めている人が、『私は地球温暖化反対、環境破壊反対です。そんな仕事できません。』などと言えば、『それじゃ、お前はクビだ。』と言われるでしょう。

死刑執行官が、『私は、死刑反対論者です。死刑の執行はできません。』などと言えば、『それじゃ、この仕事はお前に向いていないから辞めろ。』と言われるでしょう。

自衛官が、有事の際、『私は、平和主義者で、非暴力主義者です。ですから、戦闘行為はできません。』などと言えば、『お前は、自衛官失格だ。』といわれるでしょう。

日本国に雇われた公立学校の教員が、大事な学校行事を自分の思想からくる主義主張で職務を拒否しておきながら、なぜ、これまで社会的に『クビにしろ。』と言う、風潮にならなかったのでしょうか?

そもそも、そのような主義主張を持つ人達なら式で立つ立たないという以前に最初から教員になどならないはずです。
それに、あの教員達は教員になる前から学校行事で国旗掲揚と国歌斉唱があるという事を、あらかじめ知っていたはずです。
知ってて、教職に就き拒否しているわけです。
こんなこと、常識的に考えておかしいでしょう。

なぜ、あの教員達の"奇行"だけが、これまで許されてきたのでしょうか?

A 回答 (8件)

 基本的な認識に誤解があるかと思います。



 質問者さんが言うように、発電所で働く人間が、環境破壊なので発電に協力できないというのは、首になってもおかしくない。

 それに相当するのは、教員が生徒の自由を侵害するので、「勉強を教えることは出来ない」というケースです。勉強を教えない教師が首になるのは、『サボタージュ』でしかありません。

 それに対して、日の丸掲揚時の起立については、「教育」そのものとの関連があるかどうか、社会的なコンセンサスがあるとは言い切れません。
 また、「教育」そのものと深く関連しているとするならば、「教育」の本質に対して、政治権力が規制する形となり、日本国憲法に違反している可能性がおきくなります。

 そのような認識を背景に、一部の自治体においては、条例化される一方で、
「国旗に対する敬意というものは、他者から強制されるものではなく、自発的に持つべきもの。」
「だから、条例化するべきでない。」
 という考え方が根強く存在しています。
 実際、起立しない教職員の方の幾人かは、条例化されるまで、自発的に起立していた人です。

 そのような人は、条例制定後、学校教育の場であるからこそ、基本的人権を守るとはどのようなものか、明確にするために、起立するのを止めたと言えます。

 社会における自由・義務・基本的人権とはどういう性質をもつものか、それを基礎とした日本国憲法の保障する民主主義とはどのようなものなのか、「学校」とは、その基礎的な考えを身につける場です。
 ですから、『敬意』を表す行為を、学校という場で規則によって規定するのは、学校教育になじまないということを示すために、「起立しない」ということを、あえて行っているわけです。


<<あの教員達の"奇行"だけが、これまで許されてきたのでしょうか。>>
 法的には、条例化後の問題ですから、条例化以前と同じ状況と捉えて『これまで』と同一視することはできません。


<参考>
 国旗国歌法では、国内における式典等での規則については、何等規定されていません。
 なぜなら、国旗・国歌とは、国際的な場で、他国との対比・立場の違いの区別の為に使用されるもので、一国の国内において使用する特段の必然性はありません。
(国際的な場での使用についての規則もないが、国際的な場では、日本の国内法規は当然のごとく適用されないので、規則がないのは当たり前。)

 そのような事情を背景に、国内の教育現場で国旗国歌の扱いについて、強制規則がある国は、独裁国家など一部の国だけで、先進国ではほとんど見られず、アメリカでは最高裁判例として否定されています。

yahoo知恵袋回答によれば
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
この回答者の気持の方向には賛同できませんが、事実として

イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。

カナダ: 国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。
アメリカ:国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。

アメリカではとっくの昔の1942年に最高裁が「国旗敬礼の強要は信教・
言論の自由を保障した憲法に違反し、知性と精神の領域を侵している」と
判決を下し、現在の教育行政にも生かされています。
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この回答へのお礼

>>アメリカではとっくの昔の1942年に最高裁が「国旗敬礼の強要は信教・

いくらなんでも、「国旗に敬礼しろ」と強要している人など、現在の日本にいるのでしょうか?
その他に「国旗に宣誓しろ」などと強要している人もいないと思います。
現在の日本で、このような事が論争になっているなんて聞いた事がありません。

小、中、高校には、それぞれ学習指導要領というものがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92% …

この学習指導要領の中で、「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」
と決められています。
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/kyouiku/hotline/ …

ですから教員は思想など関係なしに生徒にこれらの事を指導しなければなりません。

式典を妨害する教員連中もこの事を当然、教員になる前から知っているわけです。
知っていて、それに反対ならば、最初から教員にならなければよいのです。
予備校の先生か塾の先生にでもなればいい。それか私立学校の教員になるべきです。

それにです、あなたが例に挙げられた国々は過去に侵略行為を働いた国々ですが、それらの国で国旗、国歌を侵略と結びつけて見る国民などいないと思いますよ。
もし、いたらそのような人達は国を捨て外国に移住していきます。

私が本当に問いたい事は、なぜ、日本人だけ国旗、国歌を見たり、歌ったりするのもいやだというのに、「日本を捨て外国に移住して行かないのか?」と言う事です。

最後は日本人論の問題となります。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/01 16:50

>火力発電所などに務めている人が、『私は地球温暖化反対、環境破壊反対です。

そんな仕事できません。』などと言えば、『それじゃ、お前はクビだ。』と言われるでしょう。

電力会社は色々職場があるので水力とか送配電とか営業とかに回されると思いますが?
私の知人2人は共に20年以上務めていますが1度も火力には行かないようでしたね。
私が上司ならいかに効率よく火力運用してCO2を少なくするか検討しなさいと言うとおもいますが?

その設定無理があるな

>死刑執行官が、『私は、死刑反対論者です。死刑の執行はできません。』などと言えば、『それじゃ、この仕事はお前に向いていないから辞めろ。』と言われるでしょう。

そんな職種ありますか?

拘置所の職員だと思いますが、そう言えば他の人に代わるかも知れないですね。
死刑執行のためだけに雇用しません。

>日本国に雇われた公立学校の教員が、大事な学校行事を自分の思想からくる主義主張で職務を拒否しておきながら、なぜ、これまで社会的に『クビにしろ。』と言う、風潮にならなかったのでしょうか?

今話題のことなら大阪府や大阪市に雇用されているから大阪府の旗や大阪府の歌に従えといえるだけでは?
それと学校行事がそれほど大事でしょうか?
それと妨害しているわけではなく起立しないだけでしょ?

大げさに考えすぎ


>そもそも、そのような主義主張を持つ人達なら式で立つ立たないという以前に最初から教員になどならないはずです

それは貴方の思い込みそう言う人も子供を教えたいとおもうのでは?

この回答への補足

補足日時:2012/03/01 00:29
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2012/03/01 06:53

 質問者は、『良心的兵役拒否』の事例を知らないのだろうか?



現在、良心的兵役拒否は、手法を変えて多くの国で認められている
ちなみに、自衛官に関しては不明である。事例がないので・・・

質問者はあまり賢くないようである

誤認を提示しておこう

>日本国に雇われた公立学校の教員

基本的には、ほとんどの公立学校の教職員は、地方公務員である。したがって、日本国に雇われた公立学校の教員というのは、存在はするが、指摘される事例に該当する事例はない


>大事な学校行事を自分の思想からくる主義主張で職務を拒否しておきながら、なぜ、これまで社会的に『クビにしろ。』と言う、風潮にならなかったのでしょうか?


かなり昔から、「クビにしろ」と言われているが?

>そのような主義主張を持つ人達なら式で立つ立たないという以前に最初から教員になどならないはずです。

どういう理屈でそうなるのだろうか?
民主主義思想や個人主義などの思想も許されないのだろうか?

>なぜ、あの教員達の"奇行"だけが、これまで許されてきたのでしょうか?

別に許されてないが?訓告処分などになっているが?

この回答への補足

当然、あの教員達も職務内容をよく理解した上で自分の"意思"で教員になったわけだ。
いやなら最初から教員なんかになるわけがない。
もっと言えば、世界中どこの国でも同じだが、国旗を見るのもいやで国歌を歌うのもいやだ。という人間は遠慮なく国を捨て外国に移住していく。
中国でも韓国でも台湾でも、その他の世界中の国々でも同じだ。
唯一例外なのが、この日本。

この辺の事情は日本から出たことがない人間にはわからないだろう。
特に、ニートにはわからんと思うぜ。(笑)

補足日時:2012/03/01 11:14
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この回答へのお礼

自衛官は徴兵されているわけではない。
みんな自分の"意思"で自衛官になっている。
つまり、誰かから強制されて自衛官になったわけではないという事。
自分の"意思"で自衛官になったという点が重要で、自衛隊の仕事、自衛官に課せられた任務がいやなら最初から自衛官になるわけがない。
みんな自衛隊の仕事がしたくてしている。当たり前の話だ。

自衛官の仕事内容をよく理解して、そして、自分の意思で入隊をし、その上、軍事訓練もこなしながら、いざ、有事の際になると、自分に与えられた任務を拒否するとなると許される事ではない。

世間では、与えられた職務を拒否するような人間の事を『泥棒』と言う。『給料泥棒であり、税金泥棒』です。

お礼日時:2012/03/01 10:43

>『クビにしろ。

』と言う、風潮にならなかったのでしょうか?

 確かに、そうあるべきだ。

 しかし、国も国民もそうじゃなかった。許してきたんだ。なんやかんや許してきた。
 そして、国は、情報隠蔽で福島の子供達を見殺しにするか。そして、また許すのか。

 「国は国民の生命を守りませ~ん。」 

 国がこの体たらくで、君が代なんぞ誰が歌うか・・ 許すか・・・もう、許さんか。


 なぜ、許されてきたからかって?  許されてきた?

 許されてきたんじゃない。許してきたんだ。
 なぜ許されてきたかを知らないのは、許してきた部類だ。無関心もだ。

 なぜ、許されてきたかを知ろうとするあなたは気が付いた。
 単純に許してきたからだ。もうあなたは許さなければいい。

 
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左側の人たちは、そもそも国家てのが嫌い


なんです。
そんな国家が作った法律なんぞ、何とも
思っていないのでしょう。

だから、彼らは、死刑に反対し、犯罪者に
同情的なのです。

法務大臣だって、明確な法の定めに違反して
死刑を執行しないではないですか。



”なぜ、あの教員達の"奇行"だけが、これまで許されてきたのでしょうか?”  
     ↑
世の中、力関係ですから。
今まで、左側の人たちの力が強かったので
首にできなかったのでしょう。
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思想信条の自由を盾に、狂信的自虐史観信者として、そうでない者達の思想信条や言論の自由を弾圧しながら、反体制左翼運動を続けている、ということです。

所詮日教組なんて旧社会党系共産党系の反体制左翼そのものの強硬派がいます。
 教員を公教育にたずさわる者と思ってなってみたところ、旧社会党系(朝鮮労働党そのものにみるべき)の考え方を強要され、誓いをたてさせられたりする、と聞きます。
 今でこそこんな条例の制定なんていう話ができますが、数年前まで絶対無理でした。
日教組のみならずマスコミも含め左翼が本気で暴れまわして殺す勢いで、自虐史観に基づく思想信条の自由を盾に猛反対し、その勢いで史実に基づく思想信条や言論の自由を認めない、と弾圧していましたので…。保守政権がひっくり返りかねない恐ろしい狂信的暴力集団ですから、国家からみると許されていたのではなく、放置されていたのだと思います。要するに保身ですね。
 ちなみに私は、教員に「君の人権を認めない」といわれ校内一室に監禁され暴行を受けました。それに対抗すると次に日教組本部のやつや社会党系議員みたいなやつら、共産党系議員らも押し掛けてきました。やつらは銃を所持し私のみならず家族にも銃を向けました。(現民主党幹事長ら、前共産党党首らをはっきり覚えています)
日本語が通じそうにない銃を所持した朝鮮人たちにも付きまとわれました。
 
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教育者ではなくテロリストですから、許されると思っているのです。

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国旗掲揚、国家斉唱に反対している理由は、日の丸と君が代が国民を侵略戦争に駆り立てる道具として使われたものだからです。

ご存知ですよね。言ってみればナチスの鍵十字の旗と同じ。

学校の先生は式のマナーを教えるのも仕事ですが、思想の自由を教えるのも仕事です。国民を侵略戦争に駆り立てた歴史を子供達に教えるのも使命と思う先生はいて良いわけです。あえて国旗掲揚、国家斉唱に反対する勇気を持てと教えるのも使命と思う先生がいて良いわけです。国の言うことに唯々諾々と従った戦前の教育を反省するからこそ頑張るわけですね。この辺が民間の企業や他の公務員と違うところで、簡単に排除出来ない理由になっているのですね。

むかし「隣組」と言って近所の人同士の圧力で国民に愛国主義・国粋主義を押しつけた歴史があります。「式のマナー」といった程度のものにも国粋主義を押し付ける道具としての面があり得たわけです。

靖国神社がことさらに国旗国歌を大事にするのも戦前の愛国主義を引きずっているからとよく言われます。

戦後70年を過ぎて彼等の主張は現実的な意味を失っていることは私も理解していますが、戦後の一時期には彼ら(日教組)の言い分にも結構説得力があったのです。何しろ戦犯級の人たちが戦後の国会を牛耳っていましたからね。

以上解説のつもりで書きました。ご存知の上のご質問でしたら余分な解説でしたが。
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