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聖武天皇は何をした人
ですか?

A 回答 (2件)

1,聖武天皇は、国分寺建立と大仏造立という大事業に乗り出した人です。



741年、聖武天皇は詔を下し、国ごとに「国分寺」と「国分尼寺」を建立することを命じました。
どちらも、国府のそばに建てられ、多くの場合、国府と並んでその国でもっとも大きな建物でした。

七重塔を建てて「金光明最勝王経」という経典を安置し、毎月読経することを定めました。
こうすることで、四天王という仏教の神が国を守り、災難を除いてくれると信じられていたのです。
このような考えを、「鎮護国家」(ちんごこっか)と言います。

国分寺と国分尼寺は、聖武天皇の后・光明皇后が、建立するように天皇に勧めたと伝えられています。
仏教を篤く信仰していた光明皇后は、その教えに基づいて、
貧しい人々や孤児、病人を救う慈善施設を設けるなど、仏教の広まりに大きな影響を与えました。

聖武天皇は、仏教による国家安定をいっそう求めるようになり、
743年、大仏を作ることを命じます。
民衆の協力も得て作られたのは、高さおよそ15メートルの巨大な盧舎那仏
像でした。
盧舎那仏は、全世界をあまねく光で照らし出す仏で、
仏法の本質を表わすとされる、仏の中の仏です。
752年の開眼供養の儀式は、1万人もの僧侶が参加して、盛大に執り行われました。

大仏の造立は、仏教によって国を守りたいという聖武天皇の願いを表わすと共に、
律令国家・日本の威信を内外に示す一大イベントでもあったのです。

2,聖武天皇が、このように大きな仏像を造った理由として考えられるのは、
一つには、先にあったように国の威信を示すためです。
平城京の朱雀大路や官道同様、大きいことが国家の力を示すという考え方です。

しかしそれと同時に、聖武天皇の不安の大きさをも表わしていたと考えられています。
聖武天皇の時代には、疫病が流行したり、
九州で740年に藤原広嗣の乱が起きるなど社会不安が相次ぎました。
そのため聖武天皇は、仏教の力によって、国家の安定を取り戻そうと願ったというわけです。
しかしながら、相変わらず政局は不安定なままで、飢饉なども続きました。

ただその一方で、8世紀を通じて、仏教は民間にも深く浸透していきます。
このように奈良時代は、仏教国・日本の下地が作られた時代だったのです。
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奈良時代に聖武天皇は平城京を作り、大仏を建てて東大寺を建立したひとです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます(^-^)゛

お礼日時:2012/03/09 23:50

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