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長い年月において政権が続いた理由について
ご存知の方がいらっしゃいましたら御投稿お願いします。

A 回答 (5件)

まずは親藩・譜代・外様の大名の配置が良かった。


外様大名を江戸から遠ざけ、親藩・譜代大名が目を光らせる。
次に参勤交代を行い、謀反の資金を無くさせる。
さらに江戸に人質を置く事で謀反を予防出来る。

余談ですが、参勤交代の最中、
火縄銃に火を点けるのは禁止でした。
仙台藩の伊達家だけは例外でした。
外様大名なのに…。
火縄銃の縄に火を点け、ぐるぐる縄を回して
道中歩いていたそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/03/30 15:43

 +


大阪、長崎や佐渡銀山、石見銀山など主要地の直接支配。
直接支配した領域も全国の4分の一と、それまでの政権に比べても多い。
中枢を譜代で固められたので乗っ取られることはなかった。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/03/30 15:43

様々な理由があると思いますが、一つには身分や秩序の固定化でしょう。



信長は人材登用によって自らを滅ぼし、家も衰退してしまったのを、家康は目の当たりにしてきたからかな?
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/03/30 15:43

政権が長続きする理由として、二つの面


から考える必要があります。

第一は、支配する側の力の強さです。
第二は、支配される側の納得の強さです。

力が強ければ強いほど長続きするように思えますが
北朝鮮を観ても判るように、力だけでは不安定に
なります。
反対に、納得の力が強ければ強いほど、支配する
力は弱くても長続きする訳です。

こういう処から、徳川支配を考えてみます。

1,支配する力の強さ。
 (1)軍事力
  旗本八万騎と言われるように、幕府には強大な軍事力があった。
  もっとも、八万というのは誇張だ、という説もありますが、
  旗本の子弟や、御家人を入れればその位になったと言われています。
 (2)経済力
  当時の日本は、全国で2400万石でしたが、徳川家は
  400万石も占めていました。1/6です。
  さらに、貿易を独占し、金銀山を開発しました。
 (3)大名の力を削ぐ
  参勤交代や普役を課しして、大名の経済力を削ぎました。
 (4)厳格な身分制度による、社会の固定化。
 (5)幕府内部においては、権力の分散を図った。
  例えば、老中に成れるのは、石高の小さな領主だけ。
 (6)鎖国。

2,納得する力の強さ。
 (1)永く続いた戦乱に対する反動。
 (2)改易などの処置が公平適切であったことが
  近年の研究で判って来ました。
 (3)百姓、商人などの意見を良く聞いた政治を行った。
  文献には、百姓を説得するのに苦労したとか、
  百姓の賛同が得られなかったので、ダメだったという
  記述が発見されています。
  又、近年の研究では、百姓ほど気楽な商売は無い、という
  文献さえ発見されています。
 (4)生産性が上がり、税金が、5公5民が実質上4公6民、さらには
  3公7民にまでなって、庶民に暮らしが楽になっていた。
  現代よりも低い。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/03/30 15:44

徳川家康が歴史に学んだからです。

徳川家康は鎌倉幕府、室町幕府が長続きしなかった原因を徹底的にブレーンに研究させたのです。その成果が260年の安定政権という結果になった。それだけの話です。明や清もだいたいそのぐらい続いているわけで、世界史的に見れば260年は特筆すべきほど長いわけでもないのです。

むしろ話は逆で、鎌倉幕府と室町幕府はどうして江戸幕府ほど続かなかったのかと考えるべきではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/03/30 15:44

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