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結構有名な話ですよね?
大阪夏の陣の最終盤に真田幸村が三千の兵を三隊に分けて松平忠直軍一万三千に
突撃をかけ、家康の本陣を突き崩す
真田隊の鉄砲(幸村が仕掛けた地雷を踏んだとも…)で深手を負った家康は葬儀の棺に
紛れ脱出をはかるが、これを怪しんだ後藤又兵衛に棺を槍で突かれそれが致命傷で死んだらしい
そして小笠原秀政が影武者となった

しかし後藤又兵衛の件はやや難有り
又兵衛はその前に伊達の鉄砲で死んだという説が有力だからだ

A 回答 (1件)

それ以前に本能寺の変の際に死んだ説もありますね。


徳川家康が乗っていた御輿に銃弾の穴と血痕が残っています。
(その御輿は現存しています)
また『影武者徳川家康』という小説では関ヶ原の戦いで
死亡したとありますね。
まあこれは小説なので着色がありますからね。
しかし徳川家康が神社に訪れた時だったでしょうか?
名前と生年月日を奉納した時に、2歳若く記された書面があります。
(この書面も現存しています)
どこかの時点で徳川家康は死亡し、影武者が徳川家康に
なり代わった可能性は十分あると思います。
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この回答へのお礼

関ヶ原で死んだのは脚色しすぎかと
本陣はほぼ無傷でしたし
最後に島津が突撃したけど本陣にはいたらなかったので
そこで家康が死んだとは考えにくいです

本能寺の変で死んだのは有るかもですね
当時堺を遊説していて兵士はいなかったわけだし
実際明智も家康も狙ったみたいですし

お礼日時:2012/06/13 13:15

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