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竹中半兵衛と黒田官兵衛は、豊臣秀吉や家臣や他の武将からも何方の方が好かれていましたか❓又は竹中半兵衛が長生きして黒田官兵衛が短命だった場合と両方とも同じくらい長生きをしていたら、何方の方が優秀で天下統一や歴史に深く名を残せましたか?何卒回答を宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

竹中半兵衛は、病弱なため、人付き合いは最低限。

秀吉に仕官前、難攻不落と思われていた稲葉城を10人ちょいの少人数で乗っ取りに成功。その後、主君に返して自分は自主謹慎。権力欲はほとんどない人だったようです。
黒田官兵衛は、癖の強い人だったようです。関ケ原の時、好機到来とばかり九州で動いたことから、油断できない人物と思われていたようです。
当時は多士多才の時代ですから、竹中半兵衛が健康で長生きしたとしても、それほど活躍はしなかったでしょう。
もし黒田官兵衛が短命だったら、歴史に名を残さなかったかもしれません。
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歴史にタラレバはありません、アニメの世界だけにしましょう。



大将と軍師は配下の武将に好かれてはダメなのです、信頼と恐れ、
いわゆる、畏敬の念を持ち合わせていなければ、いけない存在なのです。
それでないと無理と思われる命令を下せないのです。
諸葛亮孔明でさえ、私情を交えて馬謖を採用して失敗してます。

竹中半兵衛は相手大将、配下の武将達の性格や軍の組織などを総合的
に高見から考察して策略を練るタイプと思います。

黒田官兵衛は説得工作に秀でていて、敵方を味方にするタイプです。
秀吉の戦い方は味方の損害を少なくする事でしたので、黒田官兵衛は
打って付けの軍師なのです、秀吉は官兵衛を重く用いましたが、石高
を18万石以上にしませんでした。
秀吉軍の足軽達も死ぬ心配が無いので、無理な行軍なども厭わなかった
ので軍の移動の速度の速さに長けていたのです。
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豊臣秀吉がのし上がれたのは、実直で生真面目な兄想いの弟
小一郎(秀長)がいたからと思っています、歴史の表舞台には、
余り登場しませんが、秀吉配下の武将に慕われ、秀吉と秀吉配下の間で
クッション役になった、異能の稀有な武将なのです。
WiKiでで調べると面白いですよ。
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