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「人は石垣、人は城」とはどういう意味でしょうか?
人を大切に扱ってる意味でしょうか?

A 回答 (10件)

戦国時代の大名、武田信玄の言葉で部下や仲間を大事にしていれば必死に領地や自分を守ってくれる。


それはやわな城よりはるかに強力な防衛力をもつという意味です。
信頼や団結力を大事にした証拠でしょうね。

ちなみにもう1つ有名なのは「風林火山」ですが、実はもう2つあるんです。
中国の孫子が作った言葉だと言われています。
風林火山陰雷、後ろの2つは「知りがたきこと陰のごとく」「動くこと雷霆(らいてい)のごとし」です。
相手に動きがバレバレでは勝てない、動くには風の速さだけでなく雷のような鋭さが必要、ということですね。

実際に武田信玄は自分が死んだことを情報が漏れないように隠せと指示し、しばらくの間その死を隠し通せていました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

人材ということに関しては他の方々が述べておられますが


その他にも「人は石垣、人は城」そのもの
人材こそが石垣や城であり、国内に堅固な城塞を構えるのではなく
人材を以って国の守りとなす。
またその用い方こそが肝要である。あたりかと

事実、躑躅ヶ崎館等は館としては非常に堅固でしたが普段の拠点としては
それ以上のもの=「城」は用いていなかったと記憶しております。
(勿論国内での戦闘用には別にありましたが、居城(政庁)としては用いていなかった)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:05

元々は甲陽軍鑑という書物の中に「ある人が信玄公の御歌として言う」として紹介されているもので、あまりに有名な言葉であるので現代の流行歌の歌詞にも取られています。


意味としてはいかなる名城であっても人なくしては意味がないと言うことで、そういう意味では人が大切だという意味だと言っていいでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

最終的に雌雄を決定するのは人という人材で決まるってことです。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

さらに歌詞のアドレスです。



http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/t …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

ウィキからのコピペです。



武田節(たけだぶし)は、1961年に作られた民謡調歌曲。作詞は米山愛紫、作曲は明本京静。本来は三橋美智也が歌唱する民謡調流行歌または新民謡と呼ばれるジャンルの曲であるが、山梨県の民謡が少ないこともあり、現在は山梨県の民謡とみなされることがある。ただし2008年現在、詞・曲ともに著作権が存在する。

三橋による『武田節』のレコード売上はミリオンセラーを記録した[1]。

山梨県では愛唱歌となっているが、作曲者の明本京靜が理事長だった日本文化協会が、1961年から彼が死去する1971年まで、毎月20日の夜に日比谷公会堂で開催されていた「みんなでうたう音楽会」の愛唱歌になっており、毎月歌唱指導が行われていたため、現在もカラオケで歌われることが多い。

武田信玄とその配下の武士たちの出陣の様子を歌にしたもので、曲の間には風林火山の文句を歌う詩吟がはさまれている。

かつて特急「あずさ」・「かいじ」に使用されていた183系・189系電車には、車内放送のチャイムとして、この「武田節」があり、「かいじ」の甲府駅発着の際に使用されていた。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 あだは敵なり」


と言う有名な句ですね

部下を大事にしていればいざと言う時自分の力になってくれる 
と言うことです 武田信玄は父の信虎が領民から嫌われていたのを見て
父のようにはなるまい 領民を慈しむ政治をしなくてはいけない
と思いこの考えに至ったと言われています

ちなみにこの句
信玄が言ったかどうかは定かではありません(守役の板垣信方の句という説もあります)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

武田節の一節です。



武田信玄は城を持たなかった戦国武将なので、その事を表現したかったのでしょう。


武田節のウィキです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0% …

躑躅ヶ崎館のウィキです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%91%E8%BA%85% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

こんにちは。



民謡の「武田節」に出てくる一節ですね。
一応、武田信玄が言ったとされています。

人=民(武士以外の人々)

民が居るからこそ石垣も造れる。

民が居ればこそ城も造れる。

民が居ればこそ我々(武士たち)は生きていける。

つまり、民が礎(いしづえ=基礎=土台)となって働いてくれているから、我々(武士)は(年貢米を受け取り)暮らして行けるのだ。だから、民を大事にしなければなりませんよ。

と、いう意味です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

そうですね。

簡単に言うと人(人材)は大切だってことです。
武田信玄が言ったか言わなかったかわかりませんが、その人柄を表しているんだと思います。
城が非常に大切だった戦国時代の言葉だからこそ重みがありますよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/08 20:06

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